2005-01-01から1年間の記事一覧

「不思議な拍手」が起きる時

シンポジウムや公開討論などの質疑応答で「不思議な拍手」が起きる時がある。例えば、権力者に対する皮肉めいた発言がフロアから出た時。正直なところ、僕はこれが苦手である。そういう場で「対話」のために声を挙げるのと、「主張」のために声を挙げるのは…

山口誠「記憶の地層:眠るグアム」『朝日新聞』(2005年6月8日夕刊)

山口さんは、「教育熱心」な研究者。問題意識の持ち方、議論の運び方、論文の書き方など、何回かお時間を頂いた時に教えてもらったことは数え切れない。『英語講座の誕生』から「声の文化:オラリティ」や「生放送」の話まで、研究でも沢山のヒントを頂いて…

“映画の眼”と都市

押井守監修『東京スキャナー』を観た。“写真の眼”について言及した論文を書いていたところなので、これは押井さんほかの“映画の眼”によるものとして楽しめた。ヘリの音が一切消去された上で、載せられている音もまた“映画的”。この手の映像を観ると、「眩暈…

「読むキーワード:外国人講師」『朝日新聞』(2005年6月7日)

昨日の「英会話講師」の件で、3月3日に以下のような記事があった。 「英会話「ノヴァ」、外国人講師を社会保険に加入させず 」『朝日新聞』(2005年3月3日) 「大手英会話学校「ノヴァ」(統括本部・大阪市)が、外国人講師を法律で義務づけられている健康保…

音の耳

本を読み続けていくと「本の眼」ができるように、音楽を聴き続けていくと「音の耳」ができあがる。「テレビの眼」もしかり。かつては自分の好みに絞っていたけれども、ここ数年はそうでもない。視聴率の高い番組、ベストセラー、オリコンチャートなど、人々…

「外国語学校を一斉調査 社保庁、外国人講師保険未加入で」『朝日新聞』(2005年6月6日夕刊)

「英会話講師」として世界各国を廻る人々は少なくない。日本はその大きな市場の一つである。いろんな人に逢ってきたけれども、滞在して数年で「英会話講師」であることを言いたがらない人は多い。ある意味で「英会話講師」は入国の建前にすらなっている面が…

池内恵「時流自論:中東論が映す日本の思想状況」『朝日新聞』(2005年6月6日)

先日、アジアの仲間と議論をするとアメリカの話に辿り着いてしまうと書いた。このヘンテコ気分を掴み上げるように、池内さんは日本における中東論を支える前提=「「米国」への著しい関心」を示している。 「表面上は中東について議論しているようにみえて、…

三木清の「技術哲学」

ここ六ヶ月くらい不透明だった点がクリアになった。戦中の広告制作者の言説と当時の社会の論理との接点が、ようやく描けそうである。岩崎稔「ポイエーシス的メタ主体の欲望:三木清の技術哲学」にあった「構想力」が鍵言葉。「特集:構想力・神話・形の論理…

「テレビ的葛藤」の1970年代

「テレビ史における転回点としての1970年代」という研究会に参加。充実した発表を前にして、自分がすべきことを確認した気がする。頑張ろう、うん頑張ろう。 なぜ70 年代なのか。それが日本のテレビの歴史のなかで転回点だったように思うからです。永六輔や…

アジアに生きる「私」

韓国前大統領・金大中さんの講演を聞いてきた。民主化運動をめぐる受難、南北首脳会談の実現、ノーベル平和賞の受賞など、20世紀のアジアを象徴する一人なだけに貴重な機会だった。彼を眺めながら、彼がどのような人と出逢ってきたのかと想いを巡らしたりも…

鈴木謙介『カーニヴァル化する社会』講談社現代新書、2005年

ユニクロ化したブックカバーになってから初めて購入した現代新書。うーん、やっぱりフォントの選択と扱い方が凡庸なんだと思う。背表紙の白抜きは特に厳しい…。本の中身が何であれ、ブックカバーが何色であれ、文字を「文字」たらしめるフォントの現前性は侮…

社会化したカーニヴァル

年に2回、お台場の国際展示場で開催されるクリエイター・フェスティバルに「デザイン・フェスタ」というものがある。出品条件は作品がオリジナルであることのみで審査はない。これはこれで面白さと難しさを抱えているのだが、スターやアーティストを積極的…

本田由紀『若者と仕事:「学校経由の就職」を超えて』東京大学出版会、2005年

まずは装丁カバーでお気に入り。若年労働問題は後回しにしようと思いつつも、やはり購入&読了。修士に入学した時は、研究フィールドをクリエイター系の専門学校にしようと思っていたので、その関係から本田さんを知った。僕とは方法論的関心の違いはあるも…

Tシャツ考

Tシャツが好きだ。しかし、文字柄はかなり照れくさい。妙にメッセージ性が高かったりするとなおさら厳しい。だから僕は必ず図形柄ものを選ぶ。そのほうが楽に着られるからだ。 ところで、なぜ、Tシャツにはメッセージを書き込みものが多いのだろうか?ふと…

「特集:下北沢は終わらない」『SWITCH』2005年5月、SWITCH PUBLISHING

確かに「ZOO」や「SLITZ」などのクラブや、「Que」や「屋根裏」などのライブハウスなどでの想い出(曽我部恵一+向井秀徳「うたとギター日和」)もあるとは思うのだが、個人的には、原田郁子としまおまほの「カラフル日和」が面白かった。しまおまほが高校生…

銀座にて。

ノートパソコンが逝ってしまった…。銀座のアップルストアに持ち込んだところ、2回目のロジックボード交換を宣告される。apple care protectionに入っていたので金額的には助かるが、ハードディスクの初期化だけはなんとしても回避されたい。私の4月よ、消…

「15秒のエンタテイメント CMはこんなに楽しめる」『Invitation』2005年5月、ぴあ

『SWICTH』(2005年5月号)を探していたら偶然発見。「CMを、映画や音楽と同じように楽しむための特集」という一言が、現在の私たちにとっての広告が何であるのかを意味している。上の議論の延長でいえば、CMもまたその内容=コンテンツ性(→作品化)だけが…

ブロガーとコピーライター

コタツをしまい、冬服をクリーニングに出した。半年後には笑っていよう。そして「凸と凹の間」も模様替え。前のデザインの不満点は、引用部分が斜線になって読みにくかったこと。ブログでの引用は、枠入りのほうが読みやすい。 自分でウェブサイトを作ってい…

「特集:公共性を問う」『現代思想』2005年5月、青土社

昨年末くらいから「はてな」周辺でも盛り上がっていた下北沢の再開発。上のような個人的な思い入れはひとまず置いて、金子賢三「街に生きる」、志田歩「下北沢をめぐるネヴァーエンディング・ストーリー」、木村和穂「単なる道路問題ではない」を読む。まず…

耳を澄ませば…下北沢

「なんだかここは独特だな」と思ったのは高校生の時。渋谷のチーマーやコギャルよりも、下北沢の音楽野郎や演劇人のほうが親しみを感じられた。「長髪・バンダナ・ヘインズTシャツ&皮ジャン・ベルボトム・ワーキングブーツ」の渋カジと、「短髪・ハンチン…

クリストファー・ホロックス著、小畑拓也訳『マクルーハンとヴァーチャル世界』2005年、岩波書店

この「ポストモダン・ブックス」シリーズは解説が誰なのかが購入の決め手で、これは吉見俊哉さんによるもの。「単にこれまでの資料をデジタル化するというのではなく、むしろ大学という機能全体をヴァーチャル世界のなかで再編すること、ネットワークのなか…

現実だけがメディアじゃない

ひさしぶりに「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日)。前回遅刻(!)の姜尚中さん、今回はセーフみたいでしたが、彼のテレビ的身体がどうやって出来上がっていったのかについては、いつか聞いてみたい。この番組を「プロレス」と言ってしまえばそれまでなのだ…

「特集:科学技術と民主主義」『思想』2005年5月、岩波書店

科学技術社会学、科学史、科学哲学、科学論…、これらに強く関心をもったのは昨年頃。僕の場合は、専門家と非専門家の関係、知識の制度化と専門的職業の社会化などがメディアの問題を考える上でも非常に参考になる。今号は「良い買い物」でした。 小林傳司「…

「審判」としての科学/メディア

早朝5時頃の御茶の水。ビル間を吹き抜ける風が気持ちよかった。天気は良いし、人や車もほとんどいない。こういう時間も大切にしよう、と思った。

明治学院大学が佐藤可士和氏と組んでブランド強化

明治学院大学が、ブランド強化を進めている。アートディレクターに佐藤可士和氏を起用して、ロゴから封筒類まで、デザインの力を活用して存在感のアップに取り組み始めた。 2004年4月に就任した大塩武・学長は「明治学院大学と他の大学との違いが学生や職員…

広告≠「ブランド」

「<まち>を記憶する 21世紀のデジタル図会をつくる」という講座の補佐をしている。こちらは前半に文献購読、後半はグループ作業である。昨年度までは「東京名所図会」との関係で地図に焦点を当てたが、今年度からは「思想としてのアーカイブ」という裏テー…

『Digital Artist Avenue×デジスタ』Vol.2、2005年、宙出版

NHKの『デジスタ』が6年間も続いていることは、過小評価できない。この手の番組には「スター誕生!」的な要素が少なくないし、それを批判することは難しくないと思う。しかし、クリエイターとして「私」を確認しようとする人が今までになく増えてきているの…

準備運動としての「コンビニ」

吉見俊哉・若林幹夫『東京スタディーズ』(紀伊国屋書店、2005年)を読んで、街にはじめて「コンビニ」がやってきた小学生の頃を想い出した。「コンビニエンスストア」という発音が難しかった。初めての買ったのはミント菓子で、一番嬉しかったのは海苔がパ…

大澤真幸・北田暁大「「その程度のもの」としてのナショナリズム」『d/sign』no.10、2005年、太田出版

「サブカルチャー」は、他方にメインカルチャーがあるからだけでなく、それがマスメディアという独占的な流通回路があったからこそ成立したカテゴリーである。マスに支えられたメインがあるからこそ、「あえて」(=雨宮的)サブカルチャーにコミットするこ…

「あえて」なき「リアル」を支えるリテラシー?

「情報と社会」という講義を先輩と一緒に担当することになった。いわゆる「メディア論」で、前半は講義、後半はワークショップという構成だ。昨年度はデザイン系の専門学校が受講生だったので、メディアについての身体的な理解は抜群だった(しかし、講義は…