book
メディアの空間論的な歴史は面白い。「雑誌はどこに置かれてきたのか」、「ポスターはどこに貼られてきたのか」などを写真で集めているが、この「テレビはどこに置かれてきたのか」の歴史もなかなか面白い。 “ディスプレイ的なもの”に潜入したい人たちの欲望…
ユニクロ化したブックカバーになってから初めて購入した現代新書。うーん、やっぱりフォントの選択と扱い方が凡庸なんだと思う。背表紙の白抜きは特に厳しい…。本の中身が何であれ、ブックカバーが何色であれ、文字を「文字」たらしめるフォントの現前性は侮…
まずは装丁カバーでお気に入り。若年労働問題は後回しにしようと思いつつも、やはり購入&読了。修士に入学した時は、研究フィールドをクリエイター系の専門学校にしようと思っていたので、その関係から本田さんを知った。僕とは方法論的関心の違いはあるも…
確かに「ZOO」や「SLITZ」などのクラブや、「Que」や「屋根裏」などのライブハウスなどでの想い出(曽我部恵一+向井秀徳「うたとギター日和」)もあるとは思うのだが、個人的には、原田郁子としまおまほの「カラフル日和」が面白かった。しまおまほが高校生…
昨年末くらいから「はてな」周辺でも盛り上がっていた下北沢の再開発。上のような個人的な思い入れはひとまず置いて、金子賢三「街に生きる」、志田歩「下北沢をめぐるネヴァーエンディング・ストーリー」、木村和穂「単なる道路問題ではない」を読む。まず…
この「ポストモダン・ブックス」シリーズは解説が誰なのかが購入の決め手で、これは吉見俊哉さんによるもの。「単にこれまでの資料をデジタル化するというのではなく、むしろ大学という機能全体をヴァーチャル世界のなかで再編すること、ネットワークのなか…
科学技術社会学、科学史、科学哲学、科学論…、これらに強く関心をもったのは昨年頃。僕の場合は、専門家と非専門家の関係、知識の制度化と専門的職業の社会化などがメディアの問題を考える上でも非常に参考になる。今号は「良い買い物」でした。 小林傳司「…
「サブカルチャー」は、他方にメインカルチャーがあるからだけでなく、それがマスメディアという独占的な流通回路があったからこそ成立したカテゴリーである。マスに支えられたメインがあるからこそ、「あえて」(=雨宮的)サブカルチャーにコミットするこ…
学力論と若者論との交叉が目立つところで、学力では捉えきれない「コミュニケーション能力」(原田曜平)や「対人能力」(本田由紀)を指摘する論考は興味深い。たとえば「人間力」という言葉は、学力との対比で語られることも少なくないし、これが反=学力…
週刊誌は、読みたい特集が多ければ買う。今回は「素顔の「電車男」たち」と「お勉強こそリスクヘッジ」。▼「負け犬」だけでなく「電車男」も「勝ち組」という意味では同じ。要するに、そのように名乗れないからこそ、それを名乗る言説が流行するということか…
岡本一宣「「その場」が生み出す現在形のデザイン」 インタビューというよりは戸田ツトムとの対談に近い。デザインが面白くて不思議なのは、「そっちではなくてこっちでなければならない」という「選択」の問題に常に向き合っていること。「これはここでいい…
特集は「20人のアートディレクター」。先の原研哉さんのお話もある。テキスト、作品、ワークフローをバランスよく紹介しているのが興味深い。単なる作品紹介ではなく、技法の紹介でもなく、インタビューだけでもないという構成の難しさを引き受けようとして…
ああ、そういえばTUGBOATの多田琢さんが映画を作ったとかなんとかは聞いていた…と思っていたらなんと「別冊」まで出ています。正直なところをいうと、予告編をみたかぎりでは映画の内容にはあんまり関心がないです(小泉今日子演じるCMプランナーがどれだけ…
酒井順子『負け犬の遠吠え』(講談社、2003年)は自ら「負け犬」を宣言することで「勝ち犬」が「負け組」であることを「勝ち組」のキャリアウーマンとして誇るという逆立ちしたものだったが、扇田夏美の場合は「華やかなキャリアウーマン」ではなくエンジニ…
作品が商品となることに孕む政治性。作品化するのが人間であると同じように商品化するのも人間である。作り手と送り手の間の葛藤を捉えた本書には、あるメディアのメディア性を浮き彫りにしたり、テクストとしてのメディア研究ではなかなかみえてこないメデ…
姜尚中さんは僕等の世代を「Generation Between Wars」と呼んだ。冷戦終結から湾岸戦争とイラク戦争にかけての間に青春期を過ごした若者のことである。僕たちはなんとなく「時代の変化のなかにいる」と感じているにもかかわらず、「それが何から何への変化な…
占領期の広告制作者にとって彼はどのような存在だったのだろうか。
若年労働の問題は増加するクリエイター職とも関係があるのではないか。“○○として働くことへの想像力”をいま一度捉え直してみたい。自由に職業を選択するとは、どのような条件の下で可能なのだろうか。就業させるための方策を練るのではなく、就業を留保する…
広告は「伝統芸能」化しつつあるという箭内道彦の姿勢は興味深い。作品を見ているだけでは決して知ることのできない、“いま、広告制作者であること”の記録。トランスアートじゃなくて晶文社なのが妙に嬉しい。
電車の中でサクッと読了。「テクストの可能的意味」を引き出すための入門書で、その狙いは文学に限らず、なにかを「テクスト」化して解釈していくため。
うーん、出ましたねぇ。「100年前の細部」(古賀弘幸)における「11:図案からデザインへ」の部分は、<商業美術家>がいかに誕生していったのかを詳細にみていくことにより、古賀さんのいう「理論と広告」がかなりクリアになるはずである。書こうと思ってい…
なぜか訳書のないヘイドン・ホワイト。「歴史的知の詩学:ランシエールの修正主義」(渡部ちあき訳)『思想』(岩波書店、1996年8月)以来のお楽しみ。「われわれは生まれつき物語る衝動を持ち、現実に起きた事件の様子を述べようとすれば、物語以外の形式は…
いわゆる一連の「バカ本」ではない。責任の単位や安心の単位としての「みんな」とはいかなるプロジェクトなのか。「みんな」における境界を漂い、時に「みんな」との差異を主張する「わたし」とは何者なのか。誰が題名を決めたのかが気になるが、とにかくそ…
「暴力を拒絶することは、暴力を批判することには必ずしもならない、むしろ暴力の抽象的・一般的な拒絶は、暴力を呼び込んでしまう仕組みがある」という暴力の循環に対して「拒絶」ではない「反暴力」を構想するもの。政治を目的としない暴力と政治を超越し…
なるほど「ブックデザインというのは、グラフィック・デザインというよりはインダストリアル・デザイン的」であり、装幀は原稿の「<身体>化」である。装幀においてどこまでが文字でどこまでが図像なのか。<地>が<図>に溶け込んでいく事態、これこそが…
「カルスタ仕立てのポスコロ風味」は語る、○○は「構築されたもにすぎない」と。確かにこの手の論文は多い。最初の数行を読んだ途端に浮かび上がってくる国民国家批判。こうした先読みを誘導する論文はもはや読者にとってネタでしかない。こうしてネタの差異…
『万国博覧会』研究の吉田光邦の専門が科学史・技術史だったのに納得。今思う。産業を機械化すること、生産量を大量化することはどれほどの欲望だったのだろう。いやいや、「アナログ」とか「デジタル」なんていっている僕だって例外じゃない。こうした技術…
随分前から手許にあったのにも関わらず読んでいなかった書籍。そうしたものに限って知りたかったことが書いてある。戦中の広告制作者を国策協力者としてラベリングしてしまうのは難しいことではないだろう。しかし、そういってしまうことで隠蔽されてしまう…
ソンタグは2つの「思考活動」をお願いする。「歴史的な認識」を「政治的見解の糧」にすること。「言葉、単語を精査し、ある言葉を使ったらその結果、話がどんな領域に入り込むのかを理解」すること。「人道的介入」という言葉で隠蔽されてしまうことに敏感…
「他者の声に耳を澄ますこと」の難しさ。にも関わらず「やさしく在り続けること」。喋ったことがそのまま本になる姜尚中から学んだことは少なくない。自伝と呼ぶには早すぎる本書は母(オモニ)への想いで貫かれている。「書籍」という方法は識字的に差のあ…