「特集:デザインの発想」『d/sign』no.9、太田出版、2004年

  • 岡本一宣「「その場」が生み出す現在形のデザイン」

 インタビューというよりは戸田ツトムとの対談に近い。デザインが面白くて不思議なのは、「そっちではなくてこっちでなければならない」という「選択」の問題に常に向き合っていること。「これはここでいいんだ」という思いは、「理屈ではわからないから、いつも感じられる状態を作っておく」しかない。岡本一宣は、その日本的なものへ回帰する点を差し引きしても、70年代後期からの<感性・センス>の語られ方(【自らが感じていくもの/他者を感じさせていくもの】)を内面化しているように思える。

 戸田ツトムのいう発想や個人の知が「感性的」にしか語られないことへのこだわりの表明を受けて、鈴木一誌言語化以前に身体性に注目し、そこに「全体や組織が流れ込んでいるのではないか」とする点は、デザイナーや社会学者他の文章が混在する『d/sign』という雑誌の編集方針を示しているように思える。▼デザインが「様式に個的な闇を持ち込むこと」であると言うとき、つまり“光”ではないと言うとき、デザインはより「個的」なものへと引き寄せられていってしまわないか。「闇ですから」と宣言することで「共通感覚」との照らし合わせの拒否を先取りしてしまわないか。▼講談社現代文庫のリニューアルを“芸術と経営を媒介するアートディレクター”の中島英樹が担当していたのは、なんとも歯がゆいところ。講談社側の「ブックカバーを替えたい」気持ちが素朴だったのではないか。それまでの杉浦康平にとっても、これからの中島英樹にとっても、この件は生煮えな感じだろう。
 

 「反省」という形式がコミュニティの駆動原理になっているのではないか(北田暁大)。「現実」の準拠点として「非現実」が設定され、それへの関わり方が「アイロニカルな没入」になっているのではないか(大澤真幸)。いつのまにか「ベタメタ」な会話空間に引きずりこまれる対談。それでも、この「ベタメタ」的心性の萌芽が1960年代に用意されつつあったことは、広告制作者の歴史を見ていても感じることである。1960年代から1970年代にかけては、一方でオリンピックや万博、国際コンペなど国際化を過度に(ベタに)志向したデザイナーと、他方で劇団や草月アートセンターなどメジャーグラウンドを(メタに)相対化したアンダーグラウンドを志向するデザイナーとか分離を始めた時期であった。分化した「ベタ」と「メタ」の双方が、戦略的に距離を置きながらも手を取り合うことで、いつの間にか「ベタのつもりのメタ」や「メタのつもりのベタ」となり、コミュニティそのものが長生きすることは少なくないのではないか。「ベタメタ」という言い方はとても限定的だとは思うけれども。