連載「デザイナーと素養」、はじめました。

oxyfunk2006-07-04

 カルチュラル・タイフーン(http://www.cultural-typhoon.org/)での発表は無事に終了。討議の時間が少なかったにもかかわらず、司会の岩崎稔さんからは今回発表しなかった点を見通した的確なコメントを頂いた。これは「あなたの発表には●●の視点が抜けていますよ」など外在的な指摘とは異なり、発表したことを一旦引き受けた上で、発表していないことを読み当てた指摘だった。こういう瞬間に、僕は「学際」を思う。学際を「胡散臭い」というのは簡単だし、勿論実体視はできない。しかし、これだけでは研究領域を横断した対話から降りる理由にもならない。「とにかく研究は楽しくやっていきたい」、これが学会の続いた6月の収穫であり、今後の指針です。
 
 新創刊の季刊誌『graphic / design』(1号、左右社、2006年)にて「デザイナーと素養」という連載を始めました。左右社は、季刊『d/SIGN』の編集者・小柳学さんによる新しい出版社で、今後は大澤真幸さんと北田暁大さんの対談集『歴史の「はじまり」』の刊行も予定しており、詳細は近日中に公開されるようです(http://d.hatena.ne.jp/sayusha/)。季刊誌『graphic / design』(表紙は戸田ツトムさん)は、現在のところ青山ブックセンタージュンク堂紀伊国屋ほか主要都市の大型書店・デザイン棚周辺で入手可能です。参考までに目次を。
 

『graphic / design』(グラフィックデザイン 創刊1号、2006年6月25日発行、左右社)
・寺門孝之 天使点画 1 The Shadow of Where Angels Fear to Tread
・小柳学 生活が冒険になるデザイン
池澤夏樹 語り物からウィキペディアへ…1 線形テクスト
宮澤賢治 グラフィティ宮澤賢治−−自筆画の小宇宙
鈴木一誌 マーブル紙は輪郭をもたない
・山口信博 ことばのグラフィック・デザイン
・三谷龍二 三谷龍二の生活道具から…1
斉藤環 なぜデザインは「顔」であるべきなのか
・加島卓 デザイナーと素養 1 ネタ空間としての「自然」
石川九楊 書とデザイン 「日本的美しさ」の感覚はどこから来るのか
・かわいひろゆき 空飛ぶアイスクリーム

季刊graphic/design[グラフィックデザイン]1号

季刊graphic/design[グラフィックデザイン]1号

 連載では、「素養」を「教養」という言葉を区別しています。ここでの「素養」とは、学校など制度化された知の体系から獲得が期待される「教養」とは異なり、制度化された知識・技術・学歴に回収することのできない日常生活から身につける「知」として捉えています。この区別と用法がどこまで耐えうるのかはまだ疑問なのですが、このヒントの一つにはメディア・リテラシーを「媒体素養」と呼ぶ台湾のメディア研究があります。つまり、デザイナーという職業におけるリテラシーを日常の知から説明していくために「教養」と区別して「素養」という言葉を使用しています。また「ネタ空間」とは、デザイナーにとっての知が掘り起こされる日常的な場のことで、今回はその事例として1900年前後の「自然」を取り上げています。

 註もなく、研究ノート的ですが、ここではより多くの人に読んでもらえるようなメディア史的記述が第一の目標。事実誤認のないよう最善を尽くしていますが、記述に不十分な点がある場合、もしくはご感想などがある場合は、遠慮なく連絡を頂ければ幸いです。