佐藤可士和展について

 緊急事態宣言の発出に伴い、国立新美術館佐藤可士和展」が予定よりも早く終了。展覧会については、五十嵐太郎さんによる展覧会評がポイントを抑えている(https://artscape.jp/report/review/10168018_1735.html)。ここで注目したいのは「セルフ・プロデュースのデザイン展」と「学芸員のキュレーション」の関係で、ミュージアム関係者からは後者をもっと見せてほしかったという声を少なからず聞いた。「せっかく国立新美術館でやるのだから…」というわけである。
 この点について担当学芸員は「今回の展覧会が特別なところは、可士和さんご自身が出品物の選択や構成だけではなく、空間全体をディレクションなさっている点。可士和さんがすべてをディレクションすることが、クリエイティブディレクターの展覧会として非常に重要で、可士和さんにしかできない空間構成になっています」と説明している(https://6mirai.tokyo-midtown.com/project/pjt07_27_01/)。「セルフ・プロデュース」や「学芸員のキュレーション」というより「すべてをディレクションすること」を依頼した、というわけである。
 それでは、どうしてこのような関係になったのか。一つには、そもそもデザインはクライアントや消費者に使ってもらうために作られており、鑑賞目的には作られていないことが挙げられる。今回の展覧会で佐藤可士和は自らの制作物を現代美術作品の素材のように扱っている(巨大なロゴの展示)。つまり「商品」を「作品」に変換する作業が今回の展覧会では必要だった、と考えられる。
 二つには、ホールのような巨大空間を展示スペースにした国立新美術館が会場だったことが挙げられる。今回の展覧会で佐藤可士和は展示スペースを博覧会会場のように見せている(セブンプレミアムや日清カップヌードルミュージアムUNIQLOのUTストアなど)。つまり「店舗」から「企業パビリオン」に変換する作業が今回の展覧会では必要だった、と考えられる。
 三つには、佐藤可士和には空間デザインの業績も多いことが挙げられる。五十嵐太郎さんが「建築家の展覧会がしばしばそうなるように、セルフ・プロデュースのデザイン展だろう」と書いているように、展覧会を自分でディレクションすることは空間デザインの専門家によくあることなのかもしれない。
 このように考えれば、担当学芸員佐藤可士和に「すべてをディレクションすること」を依頼したのもわからなくはない。「商品」をいかに「作品」に見せるか、そして「店舗」とは異なる空間をどのように作るか、さらに空間デザインにも詳しい佐藤の専門性を踏まえれば、それなりの理由があったと言えそうである。
 しかしながら、今回の展覧会はここで指摘した三つのことを展覧会の会場で十分には伝えていなかったようにも思う。そのため、よくある展覧会と同じように鑑賞すると「商業的」に見えることが気になってしまう。これはもったいない。「商品」を「作品」に変換していること、「店舗」を「企業パビリオン」に変換していること、そしてこうした変換こそ佐藤による空間デザインの評価できる点であることなどを入口などで丁寧に説明していれば、「こういう展示の仕方もありなのか!」と国立新美術館の使い方を広く楽しんでもらえたように思う。
 ミュージアムにおけるデザインの展示は、簡単なようで難しい。「キュレーターが考える見せ方」と「デザイナーが考える見せ方」の二つがあって、最近は両者がアイデアを出し合っているように見える(https://designmuseum.jp/)。さらにこれに「クライアントが考える見せ方」や「ユーザーが考える見せ方」を加えると、ミュージアムでの展示にこだわらないほうが「デザイン」の固有性を適切に伝えられるのではないか、と考えている。
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