〈広告制作者〉の歴史社会学

 このページは、加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学―近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』(せりか書房、2014年、http://www.amazon.co.jp/dp/4796703306/)を紹介するものです。また、本書は日本社会学会 第14回奨励賞(著書の部)を受賞しました。

※更新情報(2015年11月9日):難波功士「《書評》加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学:近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』」『メディア史研究』(第38号、メディア史研究会、2015年)のPDF書類を「▼書評や紹介」欄で公開しました。

▼概要
 本書は、芸術家(アーティスト)でも企業人(サラリーマン)でもない〈広告制作者〉という曖昧な職業理念の歴史を濱田増治、今泉武治、亀倉雄策横尾忠則らを例に歴史学的に調べ、社会学的に分析したものです。その特徴は以下の通りで、

(1)広告やデザインの歴史
(2)広告制作がいかにして専門的な知識や職業になったのかを記述した社会学
(3)メディアの送り手や自由業的な労働の意味についての研究

などとして、お読み頂くことができます。また、本書は以下のような関心から書かれています。

(1−1)広告やデザインの歴史はいかに書かれてきたのか?
(2−1)広告やデザインにおいて「作者」概念はいかにして必要だと考えられるようになったのか?
(3−1)広告やデザインを職業にする人びとは「個人」と「組織」の関係をいかに考えてきたのか?

 したがって、本書は広告史やデザイン史、そして知識社会学や言説分析/概念分析、さらにはメディア論や専門家/職業人の研究などに関心ある方などにお勧めできます。

▼著者紹介
加島 卓(かしま・たかし)
1975年、東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。東京大学助教を経て、東海大学文学部広報メディア学科准教授。武蔵野美術大学及び中央大学で非常勤講師。博士(学際情報学)。専門はメディア論、社会学、広告史、デザイン史。
編著に、『文化人とは何か?』(東京書籍、2010年、南後由和と共編)。主な論文として、「デザインを語ることは不可能なのか」(『文字のデザイン・書体のフシギ』左右社、2008年、第7回竹尾賞受賞)、「美大論」十「ユーザーフレンドリーな情報デザイン」(遠藤知己編『フラット・カルチャー:現代日本社会学せりか書房、2010年)、「「つながり」で社会を動かす」十「メディア・リテラシーの新展開」(土橋臣吾・南田勝也・辻泉編「デジタルメディアの社会学北樹出版、2011年)ほか。
http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/about

▼本書の成り立ち
 本書は東京大学大学院学際情報学府に提出し、2012年6月に博士号(学際情報学)を授与された博士論文を加筆修正したものです。概要と審査要旨は、以下の「東京大学学位論文データベース」でご覧いただけます。
http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/gakui/cgi-bin/gazo.cgi?no=128544
 また、本書は日本社会学会 第14回奨励賞(著書の部)を受賞しました。選考委員会による選評は以下の通りです。

【受賞作品について】
 本書は、<広告制作者>がいかに自らを理解し語ってきたのかを、広告やデザインをめぐる物と言葉の関係に注目することで解明したうえで、近代における広告やデザインをめぐる「語り直し」が近代における人称性の消え難さを指し示していること、それらをめぐる「揺らぎ」が近代的個人と近代組織における個人というふたつの理念の循環のゆえに生じていること、そしてこの人称性の消え難さを具体的に示すのがこのふたつの理念を循環する秩序としての<広告制作者>であることを解明した良書である。
 また、別の観点からみれば、ある語り方、あるいはある問いとそれへの答えの与え方のセットを言葉と物との歴史的な配置のうちに求めていくその方法(事象内記述)は、歴史社会学に新しい道をひらくものだとも思われる。そしてその新しい方法は、同時に、広告という営みをめぐって生じる個人と組織との間のある揺らぎを記述するものにもなっており、その意味で社会学の古典的な主題にもしっかり接続されている。
 本書の主題設定、方法論的設定は先行研究を十分にふまえて緻密かつ周到に行われており、全体構成の位置づけ、守備範囲の限定、複数の位相や水準の弁別なども入念に練られたうえで行われており、分析は堅実、緻密でありながらも考察は独創的、先駆的であり、高く評価できる研究と判断される。

▼はじめに(PDFファイル)
https://sites.google.com/site/oxyfunk/public/kashima-hajimeni.pdf

▼あとがき(PDFファイル)
https://sites.google.com/site/oxyfunk/public/kahsima-atogaki.pdf

▼目次

はじめに
第一章 〈広告制作者〉と歴史社会学
 一 問題意識:理解への問い
 二 研究対象:〈広告制作者〉という職業理念
 三 研究方法:事象内記述
 四 先行研究:〈広告制作者〉の歴史社会学
第二章 〈広告制作者〉の不在
 一 引札における署名
 二 「戯作」という起源
 三 代作屋書知と戯作者
 四 「文案」の誕生
 五 工芸における図案
 六 比較の視座
 七 「区別」の発見
 ハ 参照点の不在
 九 工芸図案から印刷図案へ
第三章 〈広告制作者〉の起源
 一 広告の全面展開と図案家の揺らぎ
 二 大戦ポスターと美人画
 三 杉浦非水と七人社
 四 商業美術家の誕生
 五 職業理念としての〈広告制作者〉
第四章 〈広告制作者〉の自律
 一 企業のなかの商業美術家
 二 論理の自律
 三 ポスター概念の拡張と美人面の馴致
 四 語りのなかのレイアウト
 五 レイアウト概念の拡張
 六 報道技術者の弁証法
 七 報道技術者と「書くこと」
第五章 〈広告制作者〉の成立
 一 戦後のなかの戦前
 ニ アートディレクターと新井静一郎
 三 今泉武冶の消され方
 四 新井静一郎という偶然
 五 アートディレクターという冗長さ
 六 広告業界から語る/デザイナーから語る
 七 組織における技術語りの多重化
 ハ 東京ADCの「再スタート」と広告業界の再編
 九 アートディレクターの上書き
第六章 〈広告制作者〉の展開
 一 商業デザイナーと批評家
 二 模倣の社会問題化
 三 日本調モダンデザインとグラフィックデザイナー
 四 広告業界における組織の強化
第七章 〈広告制作者〉の並存
 一 なんとなく、デザイナー
 二 学生運動と日宣美の解散
 三 モダンデザインの限界と芸術家としてのグラフィックデザイナー
 四 広告業界とグラフィックデザイナー
第八章 〈広告制作者〉の歴史社会学
 一 理解への問い
 二 職業理念の系譜
 三 本研究の意義と課題
あとがき
参考文献表
索引

▼関連書籍のご案内(本書をより良く理解するために)

(1)記述の方法について
 第1章はとても不器用な仕上がりなのですが、①を読んで事象内記述という方法に関心を持ち、②③で歴史社会学や言説分析が一体何をやっているのかを知り、④⑤で人びとの「理解」を記述する概念分析やエスノメソドロジーの面白さを教えてもらいました。

①香西豊子『流通する「人体」―献体・献血・臓器提供の歴史勁草書房、2007年
②野上元『戦争体験の社会学―「兵士」という文体』弘文堂、2006年
佐藤俊樹・友枝敏雄(編)『言説分析の可能性―社会学的方法の迷宮から (シリーズ 社会学のアクチュアリティ:批判と創造)東信堂、2006年
④前田泰樹・水川嘉文・岡田光弘(編)『エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)新曜社、2007年
⑤酒井泰斗・浦野 茂・前田泰樹・中村和生(編)『概念分析の社会学 ─ 社会的経験と人間の科学』ナカニシヤ出版、2009年

(2)広告史・デザイン史について
 広告やデザインの歴史は戦前・戦中の研究が殆どです。近代日本の広告を「気散じ」という受け手の水準で述べた⑥、戦中の報道技術研究会の活動をまとめた⑦、戦時期のグラフ雑誌を分析した⑧、戦前の業界誌『廣告界』を中心に論じた⑨などがあり、明治から昭和までのデザインをめぐる通史として⑩があります。

北田暁大広告の誕生―近代メディア文化の歴史社会学 (岩波現代文庫)岩波書店、2000年
難波功士「撃ちてし止まむ」―太平洋戦争と広告の技術者たち (講談社選書メチエ)講談社選書メチエ、1998年
⑧井上祐子『戦時グラフ雑誌の宣伝戦―十五年戦争下の「日本」イメージ (越境する近代)青弓社、2009年
⑨竹内幸絵『近代広告の誕生 ポスターがニューメディアだった頃青土社、2011年
⑩長田謙一・樋田豊郎・森仁史(編)『近代日本デザイン史 (美学叢書 (03))美学出版、2006年

(3)個別の分析について
 「芸術としてのデザイン」や「アーティストとしてのデザイナー」という言い方は1960年代末に流通するようになったのですが、1970年代にはこうした作家主義的な広告史やデザイン史を問題にするような本が登場します。
 例えば、⑪ではデザイナーの意図に還元しないデザイン批評が書かれるようになり、⑫でデザイナーと広告産業の関係が歴史的に振り返られるようになり、⑬では社会的産物としてのデザインが書かれました。
 本書は、このように「作者」を当たり前のように語り、他方で「作者の死」を当たり前にする人びとが、そもそも「生かすにしろ、殺すにしろ、いかにして作者概念が広告やデザインにも必要だと考えるようになったのか」こそ書かれるべきではないかという関心を持っています。
 また「職業理念」の問題の仕方については⑭、近代日本における「個人」と「組織」の「対立的な関係」とその歴史的な経緯については⑮がとても参考になります。

⑪柏木博『近代日本の産業デザイン思想晶文社、1979年
⑫山本武利・津金澤聰廣日本の広告―人・時代・表現 (SEKAISHISO SEMINAR)日本経済新聞社、1986年
アドリアン=フォーティ『欲望のオブジェ鹿島出版会、1992年
⑭宮本直美『教養の歴史社会学―ドイツ市民社会と音楽岩波書店、2006年
佐藤俊樹近代・組織・資本主義―日本と西欧における近代の地平ミネルヴァ書房、1993年

▼書評や紹介

・「博論よりもTwitterが面白い」(とある合評会)
・「一刻も早い日本語訳が待たれる」(制度上の指導教員)
・「非モテの文章」(ネットで出会った会社員)
・「この分厚く、読みやすくはない一冊…」(ベテラン読書人)
・「まるで科研費の申請書のよう…」(若手社会学者)
・「『凡庸な芸術家の肖像 』を思い起こさせる、この物質感、圧倒的迫力…内容的にも物質的にも「殴打」したい中堅・若手研究者の顔が思い浮かびます」(とある学術系編集者)

・「エクリチュールの歴史的分析をこころみる地道な研究論文の書籍化。多くの引用文献によって〈広告制作者〉の社会史としても読める。日本における近代デザイン史の定式を再検討するための一冊」(『アイデア』第364号、誠文堂新光社、2014年)。http://www.idea-mag.com/jp/publication/364.php

・「ここで問われているのが「広告とはなにか」「デザインとはなにか」「広告制作者とはなにか」といった問題に答えを与え、確定することではない、ということだ。問いはもう一段入りくんでいて、「時代や状況ごとに人はなにをもって「広告とはなにか」と考えるようになったのか」という形をしている。つまり、「広告」や「デザイン」という言葉の使用と理解は、いかなる条件の下に成立してきたのかという、歴史社会学の試みなのである」(山本貴光「人はなにを「広告」だと思ってきたか」)。http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20140501

・「広告制作者は、近代が個人を組織に取り込み、人称性を消そうとする中で「どっちつかず」の特異な存在となっている。その姿が興味深い。長大で難解な部分もある論考だが、江戸から現在まで「広告」の社会的位置づけの変遷を総覧できるという意味でも貴重な一冊だ」(開沼博「個人と組織の二重性」『読売新聞』2014年5月11日)。https://sites.google.com/site/oxyfunk/public/20140511-yomiuri-kainuma.jpeg

・「「言葉の厚み」という表現が何度となく、説明の大切な局面で使われたのが印象的だ。著者が自らの方法だとする「事象内記述」は、この厚みの解剖学であり、内部の図解なのであろう…意匠条例を下支えにしつつ注目された「図案」が工芸から印刷文化の領域に移動すること、史的記述における「新井静一郎」と「今泉武治」の濃淡明暗の描き直しなど、面白くてためになる知識が縦横に詰められた一冊である。……制作物と制作者の隔たり……この「隔たり」それ自体が「商品」となる条件こそが分析のかなめになる……最終章の「近代組織における個人の在り方」などやや一般的な図式に傾いた印象が拭えず、改めて著者による「広告代行業」の成立と変容の、分厚い「事象内記述」が読みたいと思った」(佐藤健二「「言葉の厚み」の解剖学:「広告」という「商品」の奇妙さを分析する」『週刊読書人』2014年5月23日)。https://sites.google.com/site/oxyfunk/public/20140523-dokusyojinn-sato.jpg

・「作者や作品を中心として広告・デザインの本質を語る美術史でもなく、記号論や消費社会論を駆使して外在的に広告と社会の関係を語る社会史や社会批評でもない本書は、新たな広告史・デザイン史の領域を開拓したと言えよう……また日記、新聞・雑誌、業界誌、叢書、データベースなど、著者がどのような史料をどのような方法によって解読、記述したかの手の内が惜しげもなく披露されている(人文社会科学も科学たることのお手本でもある)……〈広告制作者〉をめぐる厚みある具体的な記述が、専門的知識、職業理念、個人と組織の関係を通した、近代日本という「社会」の記述になっているがゆえに、本書は、その他の領域との比較研究にも開かれた仕事としてある」(南後由和「新たな広告史・デザイン史の領域を開拓」『図書新聞』2014年6月7日、3161号)。https://sites.google.com/site/oxyfunk/public/20140607-toshoshinbun-nango.jpg

・「本書が、広告史研究の水準を一段高めた、エポックメイキングな成果であることは間違いない。……広告史を広告制作物の編年作品集や広告関係者の列伝とせず、広告の語られ方、さらにはその語りの文脈を丸ごと剔抉しようとする壮図には拍手を送りたいと思う。……そうした本書の意義をふまえた上で、読了後に覚えた違和感について、以下三点述べておきたい。まず一つ目は、「今泉武治」についてである。……評者の違和感を一言で表してしまえば、今泉は統計学で言うところの「外れ値」のような存在ではないか、という点である…」(難波功士「《書評》加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学:近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』」『メディア史研究』(第38号)メディア史研究会、2015年)。https://sites.google.com/site/oxyfunk/public/2015-mediahistory-namba.pdf

▼書評会のお知らせ

第53回文化社会学研究会
日時:2014年5月31日(土)15:00〜
会場:早稲田大学戸山キャンパス 31号館311教室
http://www.waseda.jp/jp/campus/toyama.html
①高野光平(茨城大学)『〈広告制作者〉の歴史社会学』の書評
②菊池哲彦(尚絅学院大学)「写真と歴史:「古きパリ」ブームにおける写真をめぐって」

▼訂正表

 今後更新します。
・p.165 「×太田英茂(一八七七〜一九九四) → ○太田英茂(一八九二〜一九八二)」
・p.363 「グラフィックデザイナーは人間疎外を語ることが可能になってくる」の文末に註番号「(82)」が入ります。
・p.367 図版⑪と図版⑬のキャプションが逆になります。
・p.450 「×関西外国語大学ほか → ○京都外国語大学ほか」