関西大学で発表。

 書類作成最終日。さすがに今夜の宴会はスルーさせていただきました。明夜には旨い酒を頂きたい。
 
 6月中旬に関西大学で行われる日本マスコミュニケーション学会で発表します。基本的には修士論文の全体像で、映画・広告・写真・漫画の発表が一つになったセッションでの報告になります。20分で報告できるのかと思いつつ、マスコミ学会流の研究分類がなんとなく伝わってきます。詳細と報告概要は以下の通り。ご関心のある方は、是非いらしてください。
 

日本マスコミュニケーション学会 2006年度春期研究発表会
日時 2006年6月10日(土)、11日(日)
場所 関西大学社会学部 http://www.kansai-u.ac.jp/
※詳細は以下からご確認下さい
http://wwwsoc.nii.ac.jp/mscom/
http://wwwsoc.nii.ac.jp/mscom/06spring/PROGRAM.PDF
http://wwwsoc.nii.ac.jp/mscom/06spring/CONTENTS.PDF

日時 6月10日(土) 10時〜12時
会場 関西大学社会学部 B会場(4401教室)

司会者:李津娥(東京女子大学)、長谷川倫子(東京経済大学
10:00〜10:30 映画研究における鉱山映画館研究の位置づけを目指して
―熊野市紀和町紀州鉱山の事例調査から―
島岡哉(京都大学大学院)
10:30〜11:00 <広告制作者>の歴史社会学
―20 世紀日本の商業デザイン思想と感性・センス―
加島卓(東京大学大学院)
11:00〜11:30 FSA 写真プロジェクトにおける女性図像―政府は女性をどう記録したか―
犬島梓(同志社大学大学院)
11:30〜12:00 『リボンの騎士』の登場人物に見るジェンダー表象
中川裕美(名古屋大学大学院)

▼加島卓「<広告制作者>の歴史社会学 ―20 世紀日本の商業デザイン思想と感性・センス―」

 本研究は、20 世紀日本における<広告制作者>という職業的なカテゴリーと<感性・センス>という言説がいかなる関係を取り持ちながら「社会のリアリティ」を構成してきたのかを、メディア論的な主体形成の問題として、歴史学的に調査し、その変遷が何を意味するのかを社会学的に分析したものである。
 現代は「表現者」として生活していくことが奨励される社会である。その特徴は単なる「作家」ではなく、資本の論理を肯定した「作家」であるという点にあり、その起源は<広告制作者>にまで遡られる。しかし、その<広告制作者>とは当事者においても実践的にしか知り得ない曖昧な「主体」のカテゴリーとして、殆ど研究がなされることがなかった。そして、こうした<広告制作者>の「わかりにくさ」を象徴するのが<感性・センス>という言葉であり、これらはそのものが何であるのかが語られないまま、延々と語り続けられている「言説」であった。そこで本研究は、資本の論理を肯定した<広告制作者>とはいかなる「主体」であるのかに注目し、そこで何度となく語られる<感性・センス>という「言説」は、いつから、どのように発生し、いかに定着するようになったのかを「言説の歴史社会学」という方法によって明らかにすることを目指した。
 具体的には、「商業美術家」(1930 年前後:濱田増治)、「報道技術者」(1940 年前後:今泉武治)、「アートディレクター」(1950 年前後:今泉武治)、「グラフィック・デザイナー?」(1960 年前後:亀倉雄策)、「グラフィック・デザイナー?」(1970 年前後:横尾忠則)の五つを取り上げ、それぞれにおいて<広告制作者>というカテゴリーにおける認識と論理の系譜、<広告制作者>と社会思想の関係を述べる主体性の系譜、<広告制作者>における<感性・センス>の語られ方の系譜という三つの軸から分析し、<広告制作者>というカテゴリーと<感性・センス>の言説がどのような相関関係にあるのかを示した。
 分析の結果、三つのことが明らかになった。一つ目の<広告制作者>の系譜は、職業の「制度」化と自己言及的な言説の「システム」の完成によって、<広告制作者>への言及が次第に「弛緩」されていったことを明らかにした。二つ目の主体性の系譜は、<広告制作者>を言語的に支える準拠点が、当事者による「思想」への接近から、当事者をめぐる「場」へと移行し、<広告制作者>の語り手が当事者から社会へと引き渡されていったことを明らかにした。三つ目の<感性・センス>の系譜は、最初はそれが否定されていたにも関わらず、やがて<広告制作者>固有の言説として語られるようになり、さらにはその固有性が失効・消失され、最後には「非言語」の態度によって自己循環を繰り返す、広く緩い自律的な言説となったことを明らかにした。そして、これら三つの相関関係から明らかになったのは、<広告制作者>へのカテゴリー言及が強い時には、「藝術家」との差異を明らかにするために<感性・センス>は非常に限定的に語られるのだが、<広告制作者>をめぐる「制度」や「システム」が成立するようになってからは、「藝術家」とは区別されない<感性・センス>が自律的に自己増殖し、事後的に<広告制作者>への弱いカテゴリー言及を補完していく動きがあったということである。
 したがって、<広告制作者>は元々から「わかりにくさ」をもった職業ではなかったのである。<広告制作者>が強く語られた時には、<感性・センス>は否定されるか、限定的な意味を持つ言説でしかなく、明確な職業として<広告制作者>は捉えられていた。しかし、<広告制作者>が「藝術家」という外部の対立項を消失させ、自己言及的なカテゴリー生産の「システム」を内部化するようになって、「わかりにくさ」が<広告制作者>において浮上してきたのである。そこでは、<感性・センス>という言説が「非言語」の態度で「藝術家」との差異も示されないまま自律的に語られ、それが弛緩した<広告制作者>というカテゴリーを事後的に補完していたのである。本研究では、こうした相関関係による「社会のリアリティ」が<広告制作者>の「わかりにくさ」を成立させていると結論した。
 本研究が明らかにしたのは、<広告制作者>という職業的なカテゴリーの社会に対する独自性が薄らぎ、社会が<広告制作者>を取り込んでいく過程において、<感性・センス>という言説が自律化していったことが重要な役割を果たしていたということである。

 今回は金曜日に入阪し、月曜日に帰京を考えています。いまのところ学会以外は自由時間なので、どこで何をしようかを考え中。よいアイデアがありましたら、どなたか教えて下さい。