「社会」を語る文体とセゾンの広告

 永江朗『セゾン文化は何を夢みた』(朝日新聞出版、2010年)が刊行された時、「これでもう出尽くしたかな…」と思った。そしたら、『談』(第90号、たばこ総合研究センター、2011年)の「辻井喬と戦後日本の文化創造:セゾン文化は何を残したのか」特集が出て、さらには『BRUTUS Casa』(EXTRA ISSUE、マガジンハウス、2013年)の「渋谷PARCOは何を創ったのか!?」特集が続いたので、まぁなんというか、諸先輩方もなかなかしぶといな…と思ったものである(笑)。

 西武の広告と言えば、糸井重里による「おいしい生活。」や「ふしぎ、大好き。」といったコピーが語られ、パルコの広告と言えば、石岡瑛子と小池一子による「モデルだって顔だけじゃダメなんだ。」や「裸を見るな。裸になれ。」といったビジュアルがしばしば語られる。これらはある種のパターンになっていて、広告に言及するふりをしながら、結局は書き手の自分語りになることも多い。というか、書き手の昔を振り返るために当時の広告が社会の鏡として参照される程度である。

 私が知ってる限りでは、こういう「広告=社会の鏡」仮説は、1960年代後半以降にじわじわと定着したものである。高度経済成長を終えた日本はそこそこ豊かになり、企業として「いかに広告すればよいのか?」を考えるのとは別に、生活者の立場から「大衆文化としての広告」を語ることが可能になったのである。早い例で言えば、南博や福田定良であり、加藤秀俊、江藤文夫、石川弘義、山本明、藤竹暁、鶴見俊輔らによって積み重ねられた「大衆文化としての広告」語りは、天野祐吉島森路子が編集長を務めた『広告批評』(マドラ出版、1979年〜2009年)に結実していった。

 西武やパルコの広告は、こうした「広告=社会の鏡」仮説にうってつけの素材だった。というも、商品などを直接的に訴求することが多かったそれまでの広告に対して、西武やパルコは「よくわからないけど、面白い」としか言いようのない広告を展開し始め、人びとの話題になったからである。そして、このような変化を踏まえ、多くの広告分析は記号論図像学を参照し、意味の秩序を記述する方向へと向かった。広告を分析することで、消費社会の構造を取り出すような文体を採用したのである。

 『ユリイカ』(2014年2月号、青土社)の特集「堤清二辻井喬」に寄せた拙稿「「社会」を語る文体とセゾンの広告:「作者の死」と糸井重里の居場所」は、ここで述べたような「分析」が具体的にはどのような前提を持ち、またそれによって何が書かれ/書かれなかったのかを論じたものである。文学や絵画への記号論図像学を経由することで広告はいままでになく分析されるようになったのだが、それと同時に文学も絵画も広告も同じように「作者の死」が適用されてしまい、特に糸井重里堤清二との関係で実際には何を達成していたのかが見えにくくなってしまったよね?というお話である。

 結論だけ言っておくと、「糸井が何をやっていたのかと言えば、「面白さ」を強調することで消費者の自立を支援」したのである。また「その点において、糸井と堤は幸せな出逢いをしていたのである」。そこには「人びとを画一的に説得する広告から、多様な人びとの参加を支援する広告へ」の移行があり、「セゾンの広告で「社会」を語る文体は「作者の死」をあてにした分だけ、この移行をうまく捉えられなかったのかもしれない」のである。

 こうした指摘が最終的に何を意味するのかは、拙稿の最後をお読み頂きたい(笑)。なお、これを書くにあたって大量のセゾン論を読んだのだが、辻井喬上野千鶴子『ポスト消費社会のゆくえ』(文春新書、2008年)が一番参考になった。セゾンの広告に対する上野さんの「分析」を読むのが辛いのだが、辻井喬堤清二への「聞き手」として上野さんは他の誰にもできない仕事だったと思う。「時代の伴走者」(『〈私〉探しゲーム』筑摩書房、1987年)としての役割とは、そういうものなのかもしれない。

 なお、『東京人』(2014年3月号、都市出版)でも「堤清二辻井喬」の追悼小特集がなされている。永江朗さんは相変わらずなのだが、吉見俊哉さんは「セゾンからベネッセへ」という図式を描き、セゾン美術館と直島ベネッセ・アートサイトを比較し、「福武が「東京的」なものへの反発を繰り返し表明してきたのに対し、堤=セゾン文化は徹底して「東京的」であった」というお話を展開している。東京大学本郷キャンパスに福武ホールが出来るまでを見てきた者としては苦笑いしてしまうところもあるが、吉見さんらしい展開でもある。『セゾンからベネッセへ:消費社会のなかの文化政治学』(岩波新書)の刊行が待たれる(笑)。

ユリイカ』(2014年2月号)
堤清二辻井喬  西武百貨店からセゾングループへ…詩人経営者の戦後史 

【都市を仕立てる】
文化‐資本の〈場〉としての渋谷 / 吉見俊哉北田暁大
【ふたつの肖像】
1984 モスクワ / 小池一子
表に堤清二、裏には辻井喬。 / 浅葉克己
経営の詩人 / 日暮真三
カリスマそして知の巨人 / 林真理子
最後まで堤清二でいてほしかった / 水野誠一
捨て身の生涯の回顧 堤清二氏の他界を悼んで / 由井常彦
堤清二という志士 / 難波英夫
堤清二辻井喬・ところどころ / 八木忠栄
堤清二とオーラル・ヒストリー / 御厨貴
朝鮮高校での辻井喬 / 四方田犬彦
【尽き果てぬ詩語をもって】
ゆとり、ゆりもどし / 藤井貞和
叙事詩としての堤清二 辻井喬へのオマージュ / 建畠晢
緑色の、双頭の、蛇? 堤清二さんをおくる / 小林康夫
自伝詩へのアクセスポイント 辻井喬のポエジーを読む / 水無田気流
辻井様宛ての秘密文書 / 今唯ケンタロウ
【不易流行】
消費の超克 堤清二と増田通二の街づくりをめぐって / 三浦展 聞き手=南後由和
「社会」を語る文体とセゾンの広告 「作者の死」と糸井重里の居場所 / 加島卓
時代に衣裳をまとわせる 堤清二は日本モードに何をもたらしたのか / 成実弘至
ファッション・ブランドと堤清二 西武百貨店SEED館が示すもの / 田中里尚
空中庭園をあとにして / 小沼純一
【“文化事業”の相克】
百貨店という箱庭 西武百貨店とリブロの入れ子構造 / 中村文孝 聞き手=田口久美子
インフラについて / 松浦寿夫
〈身体〉を取り戻す / 宮沢章夫
セゾン文化財団とわたし / 岡田利規
【ひとつの帰着点】
「裏切り」の瘡蓋をはがす営み 「戦後知識人」としての辻井喬 / 成田龍一
堤清二における「伝統」と血のメーデー事件 / 千野帽子
経営者としての堤清二 幻想殺しのための三章 / 飯田一史
【歴史の岐路】
堤清二×辻井喬」クロニクル / 柿谷浩一
http://www.seidosha.co.jp/index.php?9784791702671

東京人 2014年 03月号 [雑誌]

東京人 2014年 03月号 [雑誌]