アートディレクターと佐野研二郎

 2015年8月14日、サントリービールの景品をデザインしていた佐野研二郎(アートディレクター、多摩美術大学教授)が謝罪の声明をホームページで出した(http://www.mr-design.jp/)。8月12日までに「ネット上などにおいて著作権に関する問題があるのではないかというご指摘が出て」いたことを踏まえ(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1508/13/news087.html)、景品(トートバック)30種類のうち8種類の発送を止め(http://www.suntory.co.jp/beer/allfree/campaign2015/index.html)、「その制作過程において、アートディレクターとしての管理不行き届きによる問題があった」と認めたからである(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1508/15/news016.html)。

 このように他でもなく佐野研二郎が注目されているのは、彼が東京オリンピックパラリンピックの「エンブレム」をめぐって模倣の疑いをかけられ(http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150730)、それに対する説明を行ったという経緯があったからである(http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150805)。また今回も視覚的な類似点への気付きがインターネットで拡散・連鎖したものであり、それに対してクライアントやデザイン関係者が対応していくという形をとっている。順番的に言えば、まず東京オリンピックパラリンピックの「エンブレム」で佐野研二郎が注目され、その後に「佐野研二郎のこれまでの作品を徹底調査したら大量にパクリが見つかった」(http://netgeek.biz/archives/45562)というように、インターネット上で追求され始めた。上の謝罪は、こうした指摘に対応したものである。

 本稿では、佐野による今回の対応が東京オリンピックパラリンピックの「エンブレム」の時とは大きく異なり、「アートディレクターとしての管理不行き届きによる問題」とされた点に注目したい。というのも、この対応の違いに注目することで、佐野が今回の謝罪において「東京オリンピックパラリンピックのエンブレムはMR_DESIGNで応募したものではなく、私が個人で応募したものです」と弁明したことの意味がよりよくわかると思うからである。そのためにも、まずは「アートディレクター」が広告やデザインにおいてどういう役割を担っているのかを解説したい。

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 さて、多くの人にはどうでもよいことだと思うのだが、「アートディレクター」という言葉の歴史は長い。アメリカでは1920年6月に「Art Directors Club of New York」が53名の会員で結成され、日本では1952年9月に「東京アド・アートディレクターズ・クラブ」(以下、東京ADC)が22名の会員で結成されている。そしてアメリカにおけるアートディレクターは「芸術の活用に商業性を助言し、商業の必要性に応じて芸術を演出していく非常に専門化された職業」と捉えられ(The Art Directors Club of New York. Ed., Art Directing. Hasting House. 1957)、日本におけるアートディレクターは「経営者と宣傳技術者を結ぶ紐帯」(新井静一郎『アメリカ広告通信』電通、1952年)と考えられていた。2015年4月の時点で東京ADCは「アートディレクターの専門的職能を社会的に確立、推進する」ため、会員に対して賞を与え、優秀作の展覧会を行い、『ADC年鑑』という刊行物を毎年出している(https://www.tokyoadc.com/new/about/index.html)。

 なお、広告やデザインにおいてアートディレクターになるにはそれなりの時間がかかるものである。佐野の場合でいえば、多摩美術大学グラフィックデザイン科を卒業し、1996年に博報堂に入社した時はグラフィックデザイナーとして採用され、「プール冷えてます」(としまえん、1986年)などで知られる大貫卓也(アートディレクター)のグループに配属されている。佐野自身の回想によれば、彼がアートディレクターを担うようになったのは「ニャンまげ」(日光江戸村、1998年)キャンペーンからであり、以下のように仕事の見え方が変わったという。

 「それまではいろんな人の意見を聞いてバランスを取っていたけど、自分がこれがいいと思ったらどんどんカタチにしていきました。そのやり方で、グッズも作ったらそれも売れたりして、自分が面白いと思ったことはどんどんやっていいんだとわかったんです。
 それまでは我を出してはいけないと思っていたけれど、誰かの思い込みで突っ走ったもののほうが表現としておもしろかったり、強くなるということを学びました」(佐野研二郎「クリエーターズファイル:人をハッピーにするデザイン」http://biz.toppan.co.jp/gainfo/cf/sano/p1.html)。

 ここでは二つのことが言われている。一つにはグループ作業において「いろんな人の意見を聞いてバランス」を取る立場から、「自分がこれがいいと思ったらどんどんカタチにして」いく立場へと変わったことである。二つにはそうした立場の変更によって「我を出してはいけない」と思うことから、「誰かの思い込みで突っ走ったもののほうが表現としておもしろかったり、強くなる」と思えるようになったことである。要するに、グラフィックデザイナーからアートディレクターになるとは、グループ作業の一員として仕事をする立場からグループ全体の方向性を決定する立場になることなのである。

 そのため、グラフィックデザイナーに比べてアートディレクターの数は少ない。例えば2015年8月現在で、日本グラフィックデザイナー協会には約3000名の会員がいるのに対して(http://www.jagda.or.jp/about/)、東京ADCの会員は80名である(https://www.tokyoadc.com/new/about/index.html)。もちろん、グラフィックデザイナーやアートディレクターを名乗る者がこれらの組織に全員所属しているとは思えないが、前者に対して後者の数が圧倒的に少ないのは事実である。また東京ADCの会員80名を生年代で分類してみると(不明者2名を除く)、1920年代が1名(永井一正)、30年代が11名、40年代が20名、50年代が17名、60年代が19名、70年代が9名、80年代が1名(長嶋りかこ)であり、基本的にはある程度のキャリアを積んだベテランがアートディレクターを名乗っている状態にある。

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ここで注目したいのは、このアートディレクターという言葉が日本社会でどのように理解されてきたのかという点である。その歴史的な詳細については専門書を参照してほしいのだが(加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学せりか書房、2014年)、ここでは佐野研二郎が尊敬するという亀倉雄策がまたしても独特な役割を果たしていたことを紹介したい。東京ADCは1961年に「東京アド・アートディレクターズ・クラブ」から「東京アートディレクターズクラブ」に改称したのだが、その時に亀倉は次のような発言をしている。

「アートディレクターには二つのタイプがあるように思う。そのひとつは技術を他の人から求めて、自分は方向と出来上がりに責任を持つ人である。もうひとつは方向、技術、出来上りまで自分一人で責任を持つ人である。…(中略)…。私自身は後者に属するわけだが、この姿勢が広告製作上絶対正しいとは思っていない。しかし自分自身の限界を知り、その区域を守るなら、あるいはこの方がよいかとも思う」(亀倉雄策「創造性を高める」、東京アートディレクターズクラブ(編)『別冊 広告美術年鑑1962-3』美術出版社、1962年)。

 先にも確認したように、東京ADCの結成時においてアートディレクターは「経営者と宣傳技術者を結ぶ紐帯」、つまり経営者とデザイナーを媒介する中間的な存在として意味付けられていた。しかし、ここではそのアートディレクターに「二つのタイプ」があるとされている。そして、「そのひとつは技術を他の人から求めて、自分は方向と出来上がりに責任を持つ人」であり、「もうひとつは方向、技術、出来上りまで自分一人で責任を持つ人」だというわけである。広告史やデザイン史的にいえば、1950年代においてアートディレクターはデザイナーと区別された役割だったのだが、1960年代になってデザイナーを兼ねたアートディレクターという新たな理解が生まれるようになったのである。

 それでは、どうしてこのような理解の上書きが生じたのか。それはアートディレクターという役割がアメリカから輸入されたものであり、日本のやり方と齟齬を来すと考えられていたからである。例えば、「組織の中枢にいて、社会活動の個性的表現の軸心をなしているアートディレクターが、アメリカ全体では二千人以上いるのに、日本にはこれにピタリと該当する人が一人もいない」(新井静一郎『アメリカ広告通信』電通、1952年)と1950年代に指摘されていた一方で、1950年代後半にアメリカ視察を行った亀倉は以下のように述べている。

「1年半前にアメリカに行って、実際にアメリカの人達の仕事ぶりを見たのですが、日本人から見ると余りに細分化されすぎている。たとえば、レイアウトする人、活字を選ぶ人、紙の質を選ぶ人といろいろに組織が細分化されている感じがしたわけです。…(中略)…わたしはこの細分化に反対している一人であります。日本はアメリカの非常によい影響も受けましたけれども、非常に悪い影響も受けています。…(中略)…。そういうなかで、このような組織の中に入れられてしまったら、個性がなくなってしまうのではないか、私が一番心配しているのは、日本にアメリカのものとそっくり同じものを持ち込むということです」(亀倉雄策「討論」『世界デザイン会議議事録』美術出版社、1961年)。

 ここではいくつかの区別が重ね合わせて論じられている。一つにはアメリカと日本を区別することである。二つには組織と個性を区別することである。三つにはアートディレクターとグラフィックデザイナーを区別することである。このような区別を用いて亀倉は、「組織」を前提にしたアメリカのアートディレクターという役割とは別に、こうした「細分化」した作業に回収されない「個性」を活かせる役割(グラフィックデザイナー)があってもよいではないのかと発言しているのである。

 先に亀倉がアートディレクターを「技術を他の人から求めて、自分は方向と出来上がりに責任を持つ人」と「方向、技術、出来上りまで自分一人で責任を持つ人」の二つに分類したことを紹介したが、この二つに対応するのがここで紹介した「「組織」を前提にしたアメリカのアートディレクターという役割」と「「細分化」した作業に回収されない「個性」を活かせる役割(グラフィックデザイナー)」である。つまり、亀倉は「アメリカ/組織/アートディレクター」という組み合わせを想定することで、「日本/個人/グラフィックデザイナー」という組み合わせも作り出していたのである。

 1960年代になってアートディレクターの理解が上書きされたのは、このような二つの組み合わせに対応させる必要があったからである。この二つに対応させれば、1950年代のようにアートディレクターとデザイナーを区別する必要はなく、デザイナーを兼ねたアートディレクターもありえるという考え方に至れるからである。このようにしてアートディレクターとデザイナーの区別は曖昧なものとなり、広告やデザインを担当する者が結局どちらとして関与しているのかがわかりにくくなってしまったのである。

 なお、当の亀倉はグラフィックデザイナーであり続けることを選択していたのだが、東京五輪1964のポスター制作においては「私自身もアートディレクターというものの本当の仕事をした」と語っている(亀倉雄策「オリンピックポスター第3作が終わって」『デザイン』美術出版社、1963年7月号)。しかし別の史料によると、バタフライで泳ぐ男性をメインモチーフにした第3作目のポスターは、東京五輪1964の「組織委員会の一部から、「水上日本であるのに、外人を使うとは何事か」と不思議な横槍が入って、このネガはついに陽の目を見ないで終わった」後に、撮影され直したものである(村越襄「「水を凍らせろ」という電話以後」『デザイン』美術出版社、1963年7月号)。

 また別の資料によれば、そこで「組織委員会の上層部は私(引用者註:亀倉雄策)と政治家の間で板ばさみ」になり、「結局、頼み込まれて私が引きさがることになった」という(亀倉雄策「オリンピックと選挙のポスターについて」『JAAC』(第15号)日本宣伝美術会、1963年)。要するに、亀倉は自分の裁量で判断できない調整事が多いことをよく知っていたからこそアートディレクターとは名乗らず、自分一人で制作物に責任を持ち続けるためグラフィックデザイナーに徹したのである。

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 ここまでを踏まえると、佐野研二郎が今回において「東京オリンピックパラリンピックのエンブレムはMR_DESIGNで応募したものではなく、私が個人で応募したものです」と弁明したことの意味がわかってくる。つまり、佐野において東京オリンピックパラリンピックのエンブレムはグラフィックデザイナーという個人の水準で関わったものである。そして対して、サントリービールの景品はMR_DESIGNのアートディレクターという組織の水準で関わったものである。だからこそ、今回の対応は「アートディレクターとしての管理不行き届きによる問題」とされたのであり、東京オリンピックパラリンピックのエンブレムの時のようにデザインをどのように見ればよいのかいう丁寧な説明はなされなかったのである。

 広告やデザインを担当する人がアートディレクターやグラフィックデザイナーと名乗ることは多くの人にはどうでもよいことかもしれないが、このように責任の所在が問題となる場合はどうでもよくない。アートディレクターとグラフィックデザイナーとでは、責任の取り方が違うのである。なお、これはちっともおかしなことでもない。組織として仕事をしているのか、個人として仕事をしているのかは私たち自身にとっても重要な区別であり、佐野におけるアートディレクターとグラフィックデザイナーの区別はそのバリエーションの一つなのである。

 私たちは複数の役割を使い分けることで、実に様々なことを達成している。だからこそ、そのつど自分が今どの役割を担っているのかを相手に示し、それに合わせてもっともらしい発言をする。もちろん相手と理解が一致しないこともあるが、それゆえに私たちはお互いに理解を示し合い、和解や誤解を達成していくことは誰もが経験することだろう(前田泰樹+水川喜文+岡田光弘(編)『エスノメソドロジー新曜社、2007年、pp.100-107)。こうした意味において、今回の謝罪はアートディレクターとしての役割が可能にした責任の取り方だと言えよう。

 にもかかわらず、インターネット上での批判を見ると、民族的な属性に短絡させたり、親族との関係から説明しようとしたり(http://ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-12061609375.html)、小保方晴子と同列に扱おうとしたり(http://www.insightnow.jp/article/8591)、「役割」ではなく「人格」に焦点が当てられてしまっている。おそらく、これらのことはアートディレクターやグラフィックデザイナーを「作家」として理解したがる視線とも関係があろう。つまり、人間として評価しようとする態度は、人間に対して攻撃してしまう態度とコインの裏表である。

 もちろん、「人格」や「人間」として理解したい人がいてもいい。しかし、東京オリンピックパラリンピックのエンブレムやサントリービールの景品に関していえば、佐野研二郎が担った「役割」をめぐって生じた問題であり、それらについてそれぞれの役割から佐野は責任を果たそうとした。私たちはそのことにもっと耳を澄ましてもよいのではないか。このような人様の役割に応じた対応に目を向けず、なんでもかんでも人格概念で人様を理解してしまうのは、かなり気持ち悪い社会ではないかと社会学を学ぶ者としては思ってしまうのである。(2015.8.15)

※追記:みなさまより多くのコメントを頂きましたが、既にお知らせしましたようにコメント欄を閉じさせて頂きました。(2015.8.17)

エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)

エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)

※参考:MR_DESIGN(佐野研二郎)による説明

今回の事態について

 今回取り下げた8点のトートバックのデザインについては、 MR_DESIGNのアートディレクターである私、佐野研二郎の管理のもと、 制作業務をサポートする複数のデザイナーと共同で制作いたしました。そして、誠に遺憾ではありますが、その制作過程において、 アートディレクターとしての管理不行き届きによる問題があったと判断したため、今回の取下げという措置をお願いした次第です。

 今回のトートバックの企画では、まずは私の方で、ビーチやトラベルという方向性で夏を連想させる複数のコンセプトを打ちたてました。次に、そのコンセプトに従って各デザイナーにデザインや素材を作成してもらい、 私の指示に基づいてラフデザインを含めて、約60個のデザインを レイアウトする作業を行ってもらいました。その一連の過程において スタッフの者から特に報告がなかったこともあり、私としては渡されたデザインが 第三者のデザインをトレースしていたものとは想像すらしていませんでした。しかし、その後ご指摘を受け、社内で改めて事実関係を調査した結果、デザインの一部に関して第三者のデザインをトレースしていたことが判明いたしました。

 第三者のデザインを利用した点については、現在、著作権法に精通した弁護士の法的見解を確認しているところですが、そもそも法的問題以前に、第三者のものと思われるデザインをトレースし、そのまま使用するということ自体が、デザイナーとして決してあってはならないことです。 また、使用に関して許諾の得られた第三者のデザインであったとしても、トレースして使用するということは、私のデザイナーとしてのポリシーに反するものです。

 何ら言い訳にはなりませんが、今回の事態は、社内での連絡体制が上手く機能しておらず、私自身のプロとしての甘さ、そしてスタッフ教育が不十分だったことに起因するものと認識しております。当然のことながら、代表である私自身としても然るべき責任は痛感しており、このような結果を招いてしまったことを厳しく受け止めております。今後は、著作権法に精通した弁護士等の専門家を交えてスタッフに対する教育を充実させると共に、再発防止策として、制作過程におけるチェック項目を書面化するなどして、同様のトラブル発生の防止に努めて参りたいと考えております。

 また、過去の作品につきましても、問題があるというインターネット上のご指摘がございますが、その制作過程において、法的・道徳的に何ら問題となる点は確認されておらず、また権利を主張される方から問い合わせを受けたという事実もございません。お取引先の方々、そして権利等を主張される方からご連絡等があった場合には、引き続き誠実に対応させていただくつもりです。

 なお、東京オリンピックパラリンピックのエンブレムについて、模倣は一切ないと断言していたことに関しましては、先日の会見のとおり何も変わりはございません。東京オリンピックパラリンピックのエンブレムはMR_DESIGNで応募したものではなく、私が個人で応募したものです。今回の案件とは制作過程を含めて全く異なるものであり、デザインを共同で制作してくれたスタッフもおりません。

 今まで携わった仕事はすべて、デザイナーとして全力を尽くして取り組んでまいりました。このような形で、応募されたお客さま、クライアントさま そして関係者の皆さまには多大なご迷惑とご心配をおかけしたことを、 大変申し訳なく思っております。 今回頂戴したご批判を忘れることなく、デザイナーとしての今後の仕事、そして作品を通じて、皆様のご期待に全力をあげて応えていく所存です。

2015年8月14日 佐野研二郎
http://www.mr-design.jp/