ブロガーとコピーライター

 コタツをしまい、冬服をクリーニングに出した。半年後には笑っていよう。そして「凸と凹の間」も模様替え。前のデザインの不満点は、引用部分が斜線になって読みにくかったこと。ブログでの引用は、枠入りのほうが読みやすい。
 自分でウェブサイトを作っていた時は、今のように文章を書くこともなかったし、全体的な見えようを考えるだけでかなり時間が取られた。そして、この内容なき形式へのこだわりがウェブの面白さだったりした(ウェブデザイナーブーム)。それに比べると、ブログにおけるデザインの変更は、なんとも淡泊。内容は維持されたまま、形式がポンポンと入れ替え可能なわけで、これが現在のブログを支えているのだと思う(ブロガーブーム)。
 ウェブデザイナーブームにおいては、形式へのコミットメントが絶対条件とされるために、そこに参入するまでの素養・時間・コストがかかる。ゆえにクリエイター人口は爆発的には増加しない。ところが、ブロガーブームにおいては、形式へのコミットメントは強要されない。あるものを選択すれば良いのだから。すなわち、内容さえ用意できればいいのだ。この場合、参入するまでの障壁はウェブデザイナーのように高くない。文章の読み書き能力が最低条件なのだから、パソコン所持者がそのままブロガー人口になってしまう位だ。
 つまるところ、新しいメディアが社会的に流通するためには、形式への参入者だけでは限界があるのだ。形式への参入を置いたところで、内容への参入が広く開かれた時、新しいメディアはそれとして社会的に取り扱われることになるのだ。
 アルゴリズムそのものを作成してみることよりも、アルゴリズムにネタを投下していくことのほうが、人々にとってあるメディアが「メディア」として実感されやすいということ。これが「メディアの法則」になるのかは知らないが、1980年代前後の広告ブームにはこうした「メディアの論理」が垣間見られる。当時が、デザイナーブームではなく、コピーライターブームとして知られていることは、メディア論的に大きな意味があるはずだ。