政治思想史と歴史社会学

洗濯機が壊れた。「バッチーン」と大きな音を立ててから、近所の犬は吠えていた。何かしらの金属部品が切れたのか、その後は信じられない程の騒音を出し続け、脱水機能は完全にアウト。運悪く、布団を洗っていたので、水をたっぷり吸ったそれをハンドパワー…

伊奈信男と「現実」

カレーを一生懸命に作った井上和香が御飯を炊いていなかったというCMをみては、「ないない」と突っ込んでいたのだが、そういう自分が今晩は炊飯器のスイッチを入れ忘れていた。風邪薬の副作用はこういうところにくるものだろうか、とにかくちゃんとここで回…

私と世界とデザインと。

「書いたな」と思って読み返すと、その読みにくさに愕然とする時がある。大抵の場合、その理由は記述の冒頭で説明変数が整理されていないことにある。説明変数は増やしてならない。それが昨年学んだことである。「思考は深く、記述はシンプルに」、これがな…

「近代の超克」と不思議な確信

僕は漢字を読むのが苦手だ。今でもトンデモな読み方を堂々としていることが少なくない。「破綻」を「はじょう」と読んでいたこともある(「はたん」という言葉を知りながらも!)。しかも、これはATOKで丁寧に変換までしてくれる(「誤読」という合図はでる…

欲望の個人主義:ネタとメタの共存

若者論のお約束として、ネタとメタの共存関係の指摘がある。「アイロニカルな没入」(大澤真幸さん)、「ベタな感動とアイロニカルな感性の共存」(北田暁大さん)などもそうした例だろう。伊奈正人さんの『若者文化のフィールドワーク』(頸草書房、1995年…

公開シンポジウム「ニート−何が問題なのか」

予約をしたにも関わらず、執筆のリズムを優先して行くことができなかった「ニート−何が問題なのか」。本田由紀さん(id:yukihonda:20051001)のメモを拝見。 公開シンポジウム「ニート−何が問題なのか」 2005.10.1 於東京大学 ニートをめぐる様々な「問題」 …

<感性>の誕生:反−構図としてのレイアウト

今夏は「ちゃんと」遠出をした。7月には山中湖、8月には軽井沢、9月には箱根。集中することと休息することのバランスの重要さを改めて知った。いい秋、いい冬にしよう。 初投稿の論文がようやく納品。執筆から出版までの流れを自分のこととして理解するこ…

「正しいデザイン」という欲望

ひらめきとは先輩方の思考の中に埋め込まれているものである。それは、僕の思考を閉じこめると同時に切り開く。三木清の「構想力」や中井正一の「集団美」はそういう意味で発見だったし、柏木博さんの『近代日本の産業デザイン思想』(晶文社、1979年)の「…

「生き方モデル」としてのクリエイター

最近は「生き方モデル」という言葉が気に入っている。「どんな研究をされているのですか?」と聞かれた時に、「「クリエイター」というアイデンティティの歴史です」というよりは、「クリエイターという「生き方モデル」の変遷を調べています」というほうが…

世界が「斜め」になった時

先日の初講演は無事に終了。パワポで発表する言説分析に(!)、耳を傾けてくれたみなさまどうもありがとうございました。美術史の方々を前にして「レイアウト」=「反−構図」という直球を投げてドキドキしていたのですが、建築史の方々までも積極的に受け止…

「革命」の記憶

先日に志位さんがテレビで「共産党の名前は変えません、これはロマンなのです」と言っていた。「いまだに革命なのか?」とこっそり突っ込んでいたのだが、思い返せば自分にも「革命」を迫られた時があったことを思いだした。 前の職場の建物(3階建てのコン…

「注意する/注意される主体」としての近代

年に何回か「出逢ってしまいましたかぁ!」と思う本がある。そういう本に限って、とんでもなく分厚く、とんでもなく高い。しかし買わずにはいられない、いつ読み終わるのはわからないけれども。クレーリーの『知覚の宙づり:注意・スペクタクル・近代文化』…

内田樹「生者は儀礼決められぬ」『朝日新聞』(2005年8月30日)

内田さん曰く、首相の「靖国参拝」問題において、賛成派も反対派も「「死者は正しく祀られなければ、生者に災いをなす」という点については合意が成り立っている」という。確かに「参拝」は生存する者のためにも語られている面が強いし、悲しいことに「死者…

言いたいことも言えずに

資料閲覧で多摩美(八王子)へ。文献調査はその多くが図書館ネットワーク検索に支えられているので、どこの図書館にいっても司書さんには感謝感謝。昨年夏に『アイデア』『ブレーン』(共に誠文堂新光社)をすべてを読んだ時には時間をかけすぎたので、今年…

『芸術の社会的生産』ならすぐに買った…。

寝違えた。外出はキャンセルしたが、まともに首を動かすことも出来ずトホホな一日に。これに効くのかどうかもわからないが、とりあえずサロンパス。 ところで、僕は洋書に対する「眼」が十分に鍛えられていない。原著を買うことは稀だし、訳書のタイトルでピ…

自分の発言には責任を持つべきである

暫く前に「自分の発言には責任を持つべきである」とはどういうことなのかと聞かれ、それ以来「責任」について少しでもまとめられないものかと考えていた。 なぜ発言の「責任」なのかと言えば、発言の「自由」が与えられているからである。様々な発想とあらゆ…

*[critique]「広告化する学習」試論暴論

広告とは「メディア横断的な存在」である。従って、広告は一つのメディアではない。広告は一つの産業として成立しているために、一つのメディアとして成立しているかのように思うかもしれない。しかし、厳密には違う(と言いたい)。広告とは、新聞・放送・…

何のための「戦後」?

「終戦60年」番組をいくつか観た。なんともいえない気持ちになって、祖母から当時の話を聞いた。「空襲で焼け出された時に戦争を本当に知った」と言う。だから「他の国で戦争が起きても、焼け出されている人を見ると他人事には思えない」と言う。成田龍一さ…

記憶が呼び出す言語

かつては英語で夢を見るようなこともあったのだが、もはやそれもなくなり、随分と時間が経った。複数の言語で思考するのは楽しいし、選択肢は多いほうが面白いに違いない。問題はこの環境をどうやって作っていくのかで、所謂「ゲストハウス」に住み込むとい…

「20世紀日本建築・美術の名品はどこにある?」

「20世紀日本建築・美術の名品はどこにある?」(http://artstudy.exblog.jp/)の第4回にてお話をさせて頂くことになりました。題目は「戦時下におけるプロパガンディストの論理:報道技術研究会と今泉武治」でして、1940年代前半の広告制作者を中心的に取り…

中井正一の「集団的主体性」

1930年代の思想が、じわじわと染みてきた。正直なところ、広告制作者の歴史において「中井正一」をどのように扱えるのかは困っていたのだが、ここになって彼の「集団的主体性」をめぐる議論はそれなりに居場所を見つけようとしている。「技術性」や「模倣性…

Anna McCARTHY, AMBIENT TELEVISION, Duke University Press, 2001

メディアの空間論的な歴史は面白い。「雑誌はどこに置かれてきたのか」、「ポスターはどこに貼られてきたのか」などを写真で集めているが、この「テレビはどこに置かれてきたのか」の歴史もなかなか面白い。 “ディスプレイ的なもの”に潜入したい人たちの欲望…

森永博志『ドロップアウトのえらいひと』東京書籍、1995年

1980年代末の週刊『プレイボーイ』の連載をまとめたもの。クリエイターとしての「私」が語られる時には、当然のように「反−学問」が主張されることが少なくないけれども、この不思議な言説的関係はどのように正当化されてきたのだろう?おそらく当時において…

「マスメディア」を語る手つき

ある国立大学で先輩と一緒に担当していた「情報と社会」が終了。科目「情報」の教員免許取得を目指す学生を対象に、人文的な「メディア論」を軸にマスメディア・デジタルメディア・モバイルメディアの講義とワークショップを行い、最終回はレポートとして「…

*[critique]終わりなき「教育」、とりあえず「学習」?

「教育が問題だ!」とは、誰でもいえる。みんながそれを経験してきているからだ。「教育を改善すべきだ!」も、誰でもいえる。みんながみんな先生になる必要はないからだ。「教育」をめぐる言語空間は、どうしようもなくぎこちない。がゆえか、「教育」とい…

「不思議な拍手」が起きる時

シンポジウムや公開討論などの質疑応答で「不思議な拍手」が起きる時がある。例えば、権力者に対する皮肉めいた発言がフロアから出た時。正直なところ、僕はこれが苦手である。そういう場で「対話」のために声を挙げるのと、「主張」のために声を挙げるのは…

山口誠「記憶の地層:眠るグアム」『朝日新聞』(2005年6月8日夕刊)

山口さんは、「教育熱心」な研究者。問題意識の持ち方、議論の運び方、論文の書き方など、何回かお時間を頂いた時に教えてもらったことは数え切れない。『英語講座の誕生』から「声の文化:オラリティ」や「生放送」の話まで、研究でも沢山のヒントを頂いて…

“映画の眼”と都市

押井守監修『東京スキャナー』を観た。“写真の眼”について言及した論文を書いていたところなので、これは押井さんほかの“映画の眼”によるものとして楽しめた。ヘリの音が一切消去された上で、載せられている音もまた“映画的”。この手の映像を観ると、「眩暈…

「読むキーワード:外国人講師」『朝日新聞』(2005年6月7日)

昨日の「英会話講師」の件で、3月3日に以下のような記事があった。 「英会話「ノヴァ」、外国人講師を社会保険に加入させず 」『朝日新聞』(2005年3月3日) 「大手英会話学校「ノヴァ」(統括本部・大阪市)が、外国人講師を法律で義務づけられている健康保…

音の耳

本を読み続けていくと「本の眼」ができるように、音楽を聴き続けていくと「音の耳」ができあがる。「テレビの眼」もしかり。かつては自分の好みに絞っていたけれども、ここ数年はそうでもない。視聴率の高い番組、ベストセラー、オリコンチャートなど、人々…