公開シンポジウム「ニート−何が問題なのか」

 予約をしたにも関わらず、執筆のリズムを優先して行くことができなかった「ニート−何が問題なのか」。本田由紀さん(id:yukihonda:20051001)のメモを拝見。
 

公開シンポジウム「ニート−何が問題なのか」       2005.10.1 於東京大学
ニートをめぐる様々な「問題」  本田由紀東京大学大学院情報学環助教授)

0.私自身のスタンス
 *ニートの中には、失業者やフリーターに近い人々と、何らかの客観的な個別事情から働かない・働けない人々、「社会的ひきこもり」に近い人々、などが混在している。こうした雑多なグループの寄せ集めに対して「ニート」という「ひきこもり」に近いイメージを帯びた定義を与えることによって、実態の把握や対策はむしろ困難になり、若者に対する社会の見方には重大な歪みが生じる。それゆえ「ニート」という言葉はできるだけ使うべきでない。
 *若年就労問題(失業者・フリーター)は、経済システム(企業)と教育システム(学校)の接続のあり方から生じている。社会的ひきこもりは、これらに他の要因が加わってより複雑な背景をもつ。
 *若年就労問題への対策は、若者の意識や内面への働きかけではなく、「端的な職業能力」および「職自体」を提供することにある。社会的ひきこもりはまた異なる対応が必要。

 以下、パネリストの方々の報告を整理するとともに、私自身の見方を付け加えて述べる。
 (レジメ内敬称略)

1.ニート(働いていない若者)は問題なのか?
a)問題ではない[今回の報告にはない]
  理由:自己責任?/自然解消?
b)あまり問題ではない[本田]
  理由:・増えているニートは非求職型=準求職型・準フリーター(図1)
     ・非希望型は過去10年間増減なし=常に存在(図1、引用1)
     ・ニートは多様な活動に従事しており不活発な層はごく一部(図2)
c)問題だ−誰にとって?
 ?社会にとって[今回の報告にはない]
  理由:税収減?/消費需要減?/福祉の負担?/治安の悪化??
 ?本人にとって
  理由:・<不平等>家族という関係資源の動員可能性を反映した階層的な分岐[中西]
      経済的に厳しい家庭出身者の多さ[堀]
     ・<つらさ>内面的縁辺化、非社会性、生のミニマリズム[中西]
     ・男性は家族形成困難[堀]

2.ニートはどのような要因(問題)から生み出されているのか?
a)仕事(労働)の領域
  ・若者の経済的縁辺化、ワーキング・プア化[中西]
  ・日本型経営の転換[中西]、雇用慣行変化、雇用機会減少[堀]
  ・若者への要求水準上昇、長期育成の衰退[堀]
  ・景気後退(特に地方)[堀]
  ・新卒一括採用[堀]
b)学校の領域
  ・「日本型青年期」の終焉[中西]、高卒の就職斡旋機能の弱体化[堀]、「学校経由の就職」の後退[本田]
  ・高校での社会化の失敗、大学教育と仕事の関連性が不明確、就職支援不十分、キャリア教育の欠如[堀]、教育の「職業的意義」の欠如[本田]
c)政治の領域
  ・司法ネットの拡大[浜井]
d)家族の領域
  ・家族という関係資源の動員可能性を反映した階層的な分岐[中西]
  ・放任、期待水準の低さ←→精神的・経済的に子供の自己実現志向を下支え[堀]
e)社会の領域
  ・過去とは異なる「競争−選別」状況、格差的社会化[中西]
   格差社会、自由競争、透明化、セイフティーネットの弱体化、受け皿の消滅[浜井]
   地域社会や学校の役割低下[堀]
  ・狭く閉じたソーシャル・ネットワーク[堀]
  ・階層化されたジェンダー・トラックのイメージ形成[中西]
f)本人
  ・内面的縁辺化、非社会性、生のミニマリズム?[中西]
g)複雑さ、一貫した共通性のなさ[堀]

3.ニートを問題化することは問題なのか?
a)問題ではない、むしろ望ましい[今回の報告にはないor明言されない]
b)問題だ−どのような?
 ?問題化すること自体の問題
  ・スティグマ化→モラル・パニック[中西]
  ・教育の自律性という「バリアー」の衰弱[中西]
 ?問題化の仕方の問題
  ・「心の問題」化[浜井]、個人のモラルの問題に還元[堀]
   「社会に出る意欲のなさ」という内面に着目→脱ニートの努力を家庭に求める[中 西]
   「社会政策のカルト化」[中西]
 ?代わりに何かが問題化されなくなることの問題
  ・非正規であれすでに「働けて」いる若者への注目の低下[中西]
  ・「ひきこもり」支援の影響(高学歴・ミドルクラス層の問題として受容)→社会的排除層の問題が抜け落ちる[堀]
  ・「ひきこもり」との混同→「ひきこもり」を「ニート」と同一視、「ニート」を「ひきこもり」と同一視(引用2)[本田]

4.ニートをめぐる問題への対策として何が必要か?
a)若者に対して
  ・包括的支援?[堀]
  ・経済的自立につながらない「若者の活性化」?[堀]
  ・職業意識啓発?←×「性格の外向化」トレーニングによる内面統制[中西]
  ・内面の変化を求めない端的な職業能力開発[本田]
b)社会に対して
  ・安心して働ける世界への接近過程として「半端な働き方」を組みこむプログラム[中西]
   フリーターとして豊かに一生を全うするための制度、社会経済、社会文化条件[中 西]
  ・セイフティーネット[浜井]
  ・社会的自立像の組みかえ、幸福像=ユートピア像の組み換え[中西]、
   新しい価値観を持つコミュニティの創出[堀]
  ・職の提供、ワークシェアリング(引用1)[本田]

<引用1>
(9月29日掲載の内藤朝雄さん文献引用部分)

<引用2>
ニート」は「学校に行かず、職業訓練も受けず、就職活動もしない状態」なので、「ひきこもり」も当然そこに含まれることになる。また、「ニート」に関する諸議論でも「ひきこもり」はその一部として位置づけられている。しかし、果たして「ひきこもり」を「ニート」に回収することは可能なのだろうか。
 ここで着目したいのは、両者に関する議論の中での就労の位置づけである。やや強引なまとめ方になるが、「ニート」論は「働くのは当然だ」という前提から出発するのに対し、「ひきこもり」論ではその前提自体を疑い、さらにはそうした前提がまかり通っている社会のあり方までを問おうとする姿勢がある。(1頁)
…「ひきこもり」において一体何が問題化されていたのか改めて明らかにし、その上で「ニート」として扱える問題と、そこには回収しきれない問題とを丹念に腑分けしていく作業が必要とされる。そして、「働くのは当然だ」といった価値観を問う営みを保証することは、「ひきこもり」当事者の「生きづらさ」を(解消するとまではいかなくとも)緩和しうるだけでなく、「今この社会」のあり方を問い直す契機にもなると考えられる。(9頁)
(石川良子「『ニート』論の批判的検討−『ひきこもり』当事者の語りから−」第57回日本教社会学会大会配付資料、2005年9月17日)

 現実が「ニート」を生みだしているというよりは、「ニート」という言説が現実を生みだしているという言語的現実の構造を想定するのなら、「ニート」を問題とすべきではないという主張は成立するだろう。完全な「ニート」が何なのかがよくわからないこそ、「ニート」は語られ続けているのであり、ある社会的なイシューが「ニート」として取り扱われることで先送りされてしまうのなら、「ニート」と呼んでしまうことで何が見えなくなっているのかを問題にしなくてはならない。
 にもかかわらず、よくわからないことはなんでもかんでも「ニート」と呼んでしまいたくなる言説ゲームはおそらくなくらないだろう。だからこそ、「ニート」であるかどうかの問題はとりあえず括弧に入れて議論すべきなのだと思う。
 そこで「内面の変化を求めない端的な職業能力開発」とはどういうことだろうか。お話を伺っていないので想像でしかないのだが、所謂「単純労働」(=自分のアイデンティティを賭けなくてもよい仕事)にとりあえず従事できる力はつけなさいということか。「就業」するにあたってはそうかもしれないが、これが「職業の持続力」となるかというと怪しい気もする。
 クリエイター業界などをみていると「内面の変化を求めない端的な職業能力開発」がある程度浸透しているからこそ、いつでも仕事から降りることが可能になっていて、持続性のない人材派遣に依存した職業構造が強化されてしまっているように思えてならない。
 「ニート」なるものへの対応は、短期的な就業対策だけでなく、職業の持続性までを視野にいれるべきだと考える。過剰な「内面」主義ではないが、当事者の勘違いも許容しつつ「内面」の更新可能性を想定した職業能力開発があってもいいのではないか。どんなに形式主義的な労働でも、職業的ニヒリズムは回避されるべきではないだろうか。