<感性>の誕生:反−構図としてのレイアウト

 今夏は「ちゃんと」遠出をした。7月には山中湖、8月には軽井沢、9月には箱根。集中することと休息することのバランスの重要さを改めて知った。いい秋、いい冬にしよう。
 
 初投稿の論文がようやく納品。執筆から出版までの流れを自分のこととして理解することができた。おそらく10月半ばまでには都市部の大きな書店のデザイン棚あたりに並ぶことでしょう。拙稿のタイトルは「<感性>の誕生:反−構図としてのレイアウト」で、季刊『d/sign』(no.11、太田出版、2005年)に掲載。特集は「自然のデザイン」となっていますが、執筆者は杉浦康平さんから茂木健一郎さんまでいつものように幅は広く、その間(?)に、大澤真幸さんと北田暁大さんの対談、佐藤俊樹さんや田中純さんなどの論考があり、拙稿があってもなくても読みたくなる号となっております。
 
 編集者の小柳学さんがつけてくれた拙稿の紹介文が非常に的を射ていたので引用しておきます。執筆者にとって編集者が太陽のような存在であることを今回初めて知りました…。
 

「レイアウトには感性が必要だと、当然のようにいわれる。でも、なぜ、この二つは結びつくのだろうか。戦時中の一九四〇年代、報道技術研究会の中心人物、今泉武治。彼の言説と、写真、印刷、広告制作といったメディアの変化とを論じ、「感性」という言葉が「レイアウト」とともに浮上してくる論理を鮮やかに剔出する」。

 執筆者的に解説すれば、「感性」を語ることと「レイアウト」を語ることとがどのような歴史的連関を持っているのかを明らかにするために、報道技術研究会と今泉武治に注目し、彼の主張たる「報道技術構成體」に焦点を当て、今泉に「感性」を語らせた認識としての「レイアウト」とは何かを問い、その論理としての「反ー構図」を提出し、これらが写真術、印刷術、広告学の登場といかなる関係にあったのかを示したところで、総力戦体制における技術論としての三木清といかなる言説的な関係をもっていたのかを述べたものです。
 
 いろいろと不十分な点もある論文ですが(特に思想史的には)、広告、デザイン、メディアの歴史に関心のある方には読みやすいものだと思いますので、ご関心のある方はどうかお求めください。因みにタイトルを「○○の誕生」とする「お約束」はもういいのではないか?と思っていたのですが、商業出版ということもあってそうすることにしました。結果としては、そのほうがわかりやすくなった気がします。