私と世界とデザインと。

 「書いたな」と思って読み返すと、その読みにくさに愕然とする時がある。大抵の場合、その理由は記述の冒頭で説明変数が整理されていないことにある。説明変数は増やしてならない。それが昨年学んだことである。「思考は深く、記述はシンプルに」、これがなかなか難しい。一日で集中して書ける量にも限界はあるので、夜には資料の読むことにしている。
 
 ところで「デザイン」を取り上げる雑誌は増える一方だ。美術出版社や誠文堂新光社などの「濃さ」とは違ったところで、「デザイン」を知る機会はあっていい。その意味で、「月刊ウィンドウズディベロッパーマガジン」(翔英社)の増刊としての『Design Quarterly』も、「アエラムック」(朝日新聞社)としての『AERA DESIGN:ニッポンのデザイナー100人』も、楽に読めるものではないかと思う。
 
 『Design Quarterly』の「発刊にあたり」を拝見(http://www.shoeisha.com/blog/dq/)。

世界をデザインすること。
Design the world.

 デザインは、これまで閉じられた業界内でのことと見なされたり、また「格好をつける」というような表層的な側面でのみ扱われることが多かった。しかし、辺りを見わたせばすぐに気づくが、本当は衣食住に及ぶ、私たちの生活のあらゆる所にデザインはある。だから、私たちはデザインを特殊なことと見なさない。むしろ、普通の日常生活の質に積極的に関わることとして、その日常生活に新しい可能性や差異を発見することとして見たい。

 誰もが平和で豊かな生活を普通にできるようになること。そもそも、モダンデザインの理念はそこにあったはずである。普通のものが普通になかった戦後の焼け野原の中で、この理念は輝きを放ったに違いない。私たちは、敢えてこの焼け野原に遡行して考える。そこから、もう一度人間が自然とどのように関わって生きていけばよいかを考える。なぜなら、デザインの出発は、いつもそこにあるからである。 今こそ、デザイン本来の力を全面的に解放すべき時である。デザインはもはや、産業、メディア、科学技術に限らず、政治、経済、教育、環境などあらゆる領域で、その力を横断的に発揮すべきである。

 21世紀になり、大気の温暖化、環境汚染、資源の枯渇、または貧困、飢餓、紛争、テロ、さらに雇用や福祉など世界産業システムの進化がもたらす様々な問題が、身近なこととなった。しかし、私たちは依然として決定的な対策が見つからぬまま、むしろ私たち自身がシステムの一部として機能しているのが、現実である。このような現実を前に、私たちは今ここで「世界をデザインする」という視点に立ってみようと思う。もちろん、世界を意識的に構成できようとは思わない。デザインも所詮、世界の一部なのだから。人を殺傷する武器から、人を救う医療器具に至るまで、デザインはあっていい。私たちは、この受動性の認識からあえて出発する。その上で、デザインというものが本来もっている潜在的な力を積極的に引き出していこうと思う。
 
 世界をデザインするということ。それは「世界を変える」ということではない。変わるべきなのは、私たち人間のほうなのだから。世界が少しでも素敵な方向へ進んでいくように、私たち自身の意識を差し向けること。それが「世界をデザインする」ことだと考える。そのために、デザインに関わる人々を盛り上げていくことが、私たちの使命であると考え、雑誌の発刊に至った。これからデザインへの関心が高まるほど、世界が素敵な方向へ進む。そのような新しいデザインのムーブメントをつくっていきたい。

 
 「デザイン」を語ることが、そのまま「世界」を語ることになってしまったのは、1960年代であるように思う。「世界」を変えるためには「デザイン」を変えれば良いという素直な気持ちから、デザイナーとしての「私」が素朴にありうべき「世界」へと直結されていったのだった。それ以来、「私」と「世界」の間に「社会」がなかなか想定されなくなってしまったように思う。「世界」を志向することから緩やかに距離をとる「デザイン」を、僕たちは積極的に語れないものか。「ユニバーサル」でも「ナショナル」でもない「デザイン」は、「世界」ではなく「社会」を語ることから切り拓けたりするのではないだろうか。

 ところで、日本で「デザイン」が「格好いい仕事」としてのイメージを持つようになったのも、1960年代である。面白いのは、デザイナーが「なにを創ったのか」ではなく、デザイナーが「なにを着ているのか」「どんな車にのっているのか」というデザインそのものとはあんまり関係ないところから「格好いい仕事」というイメージが出来上がったことである。それまでは、デザイナーも「社会」的に認めてもらうために「Tシャツ」ではなく「Yシャツ」を着ていたし、雑誌にとりあげられても顔写真が殆どで、座談会などには「スーツ」で登場したりもしていたのだ。デザイナーは現在のように「格好いい仕事」ではなかったし、制作物と「格好いい仕事」であることとは、なんにも本質的な関係はないのである。
 
 休憩はここまで。今夜も頑張ろう。地震はやだよ。

DESIGN QUARTERLY (デザイン・クオータリー) 2005年 No.1

DESIGN QUARTERLY (デザイン・クオータリー) 2005年 No.1

AERA DESIGN 「ニッポンのデザイナー100人」

AERA DESIGN 「ニッポンのデザイナー100人」