何のための「戦後」?

 「終戦60年」番組をいくつか観た。なんともいえない気持ちになって、祖母から当時の話を聞いた。「空襲で焼け出された時に戦争を本当に知った」と言う。だから「他の国で戦争が起きても、焼け出されている人を見ると他人事には思えない」と言う。成田龍一さんは「戦争はかつてあった別の戦争を想起させることがある」と言っていたが、これは戦争を導く指導者に限ったことではなさそうだ。祖母はなぜ戦争が語られ続けなくてはならないのかの理由を生き抜いた者の実感からなぞっているように思う。
 1945年8月15日の「終戦」からいつまでを「戦後」として呼ぶべきなのかは悩むところだ。所謂「戦後史」と「戦後史を語ることの歴史」との境界線が曖昧なところで、自分の立ち位置も見つけにくい。何のために「戦後」として語るのか。まだその理由は、祖母のようには見つけられていない。

日本人の戦争観―戦後史のなかの変容 (岩波現代文庫)

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戦後史 (岩波新書 新赤版 (955))

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戦後思想と社会意識 (新装版 戦後日本 占領と戦後改革 3)

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