「革命」の記憶

oxyfunk2005-09-06

 先日に志位さんがテレビで「共産党の名前は変えません、これはロマンなのです」と言っていた。「いまだに革命なのか?」とこっそり突っ込んでいたのだが、思い返せば自分にも「革命」を迫られた時があったことを思いだした。
 
 前の職場の建物(3階建てのコンクリアパート)は、オーナーの許可もあって塗装を自由に変えることができた。所謂アート系の職場だったので、クリエイターの出入りも多く、彼等に塗装をお願いすることは少なくなかった。今思えば、最初にお願いしたのは、新宿段ボールハウスや駒場寮の活動にも関わっていた武循一郎さんたちである。それはそれはカラフルな塗装で、当然のように向かいの住人からの苦情が上がり、いろいろと対応に苦労もしたが、とにかく「こういう職場もありなんじゃないか」と楽しくやっていた。
 
 ところが明くる日の朝、そこが全面真っ黒に塗りつぶされていた。通りを間違えたかとすら思ったが、間違いなく自分の職場だった。カラフルな建物はそれなりに騒々しかったわけだが、モノトーンな建物はそれはそれで不気味な雰囲気を醸し出していた。「困ったな」と思っていたら、何かが白いペンキで大きく書き残されていた。それが「東京革命」である…。なんでだよ…、そんなこと暴走族でも描かないよ…。
 
 実行犯は身内だった。なぁなぁになった職場に不満を持っていたらしい。一応話を聞いてはみたが、対話が成立するような感じではなかった。革命を叫ぶ者にとって、他者は敵か味方かのどちらかでしかない。結局、その「革命」には賛同できなかった。今思えば奇妙な話だが、それから暫くは「革命」の実態はともかく、「東京革命」が消されることはなかった。そういう職場だった。
 
 それ以来「革命」を言う人にはあってないと思っていたら、「ギャル革命」(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0505/23/news061.html)を知った。sifowさん曰く、「バカっぽいとかだらしないとか、ギャルに対する偏ったイメージに革命を起こしたい」とのこと。確かに、何よりも「ギャル」というカテゴリーが先行して『汚い、うるさい、バカっぽい、適当、軽い、だらしない、すぐヤレル』などと判断がされてしまうことがあるかもしれない。だから“ひとりギャル革命”で、「自分で起業した会社で成功して、ギャルでもデッカイことができると証明したい」という。もう十分に「歌手」なのだと思うが、とにかくブログを続けることで「自分」が更新されている様子はよくわかる。
 
 「東京革命」の場合、(いくら同僚とはいえ)破壊が自己目的化していた。ところが「ギャル革命」の場合、破壊なき行動である。「革命」といってもいろいろあるのだろうが、破壊の有無は他者に革命を理解してもらうための大きなポイントだろう。資本の論理を抜きにして考えられない広告を研究する僕にとって、志位さんの「2段階的」な「ロマン」がまだよくわからない。僕等は未だに「革命」の時代を生きているのだろうか?志位さんの政見放送が始まった途端に、「セサミストリートがはじまったかと思った」という書き込みがあって笑いましたけれども。