三陸鉄道と国道45号線

 三泊四日で三陸海岸を南下した。ざっくり言えば、久慈〜宮古〜山田〜大槌〜釜石〜大船渡〜陸前高田気仙沼〜南三陸〜仙台〜塩竃というルート。南北300kmを2014年4月に完全復旧した三陸鉄道国道45号線を走る路線バスで移動したので、その記録を残しておく。

 久慈はNHK連続テレビ小説あまちゃん』の舞台になった街である。確かに「残念」な感じの漂うあの「駅前デパート」前までは、東北新幹線二戸駅からバスで一時間強。夜の到着だったので、駅には帰りの電車を待つ高校生しかない。思いのほか、道路は綺麗に整備され、電線は地中に埋まり、大型店舗もそれなりにある「街」だったので、ちょっとずっこけた。

 寿司屋が点在するなか、食事は中央線沿線のお店っぽい内装が外から見えた喫茶店『Cafe Salute』へ。ビールとピザだけのつもりだったのだが、マスターが釣り上げたイワシがさっと出てきて、続いて地元のホヤを頂き、さらには自家製の枝豆やトマトが並び、最後には日本酒が盛られた。気がつけば、私は店内に置かれたギターを手にして、マスターはピアノを弾いていた(笑)。

 翌朝は、さかなクンが支援している「もぐらんぴあ まちなか水族館」で『あまちゃん』のテレビ美術の展示を堪能。小道具を集めた「あまちゃんハウス」には時間の都合で寄れず、駅前で小袖海岸行きのバスを待つことに。間もなく、次々とヤバめの男子がやってきて(笑)、彼らのことを「オタクさん」と呼ぶこの街の集客力を見せつけられた。

 久慈は観光ボランティアに力を入れている。あまちゃんTシャツを着用したガイドがバスの乗客に手を振り、運転手はあまちゃんのテーマ曲を流しながら見どころを解説する。小袖海岸のバス停から海女の実演見学場所まではガイドが無料で同行してくれ、撮影スポットを手短に解説してくれる。朝ドラが街を活気づけるとはこういうことなのかと思い知らされた。

 海女の実演も、観光客の期待を裏切らない。おばさんだけではなく、女子高生もちゃんと混ざっている(笑)。あの格好で登場したら「がんばれ〜」ってみんなで声をかけ、海女がウニを両手で高く取り上げたら「わ〜っ」と拍手を送る。自分も潜ってみたいとは決して思えない微妙な専門性というか、その距離感を楽しみに来ているんだなと思った。

 震災の一年前に出来た「小袖海女センター館」は津波で流失し、再建工事が進む現在はプレハブ小屋だった。「あまちゃん」のオープニングで天野アキ(能年玲奈)が駆け抜けた堤防では、観光客がダッシュしながら動画撮影している。崖の上には「監視小屋」があり、船着き場には「まめぶ」がある。気がつけば、現実の風景にドラマの登場人物を重ねてしまう。これが「聖地巡礼」なのだと知った。

 帰りのバスでも、みんなが手を振っている。なんというか、ディズニーランドとまではいかないが、久慈はそれなりにはっきりした「物語」がある。なんというか、「あまちゃん」以外に物語を探索しようとは思えないシンプルさが出来上がってしまった感じだ。だから「地元の人と同じような経験をしたい!」と溶け込むよりも、「観光客として素直に楽しみたい!」と物語に入り込める。そういうキャストとゲストの分かりやすい関係が、久慈の居心地の良さかなと思った。

 三陸鉄道北リアス線(久慈〜宮古)は8月の週末ということもあり、高齢者のツアー客で大混雑。その結果、久慈駅周辺をゆっくり歩くこともできず、楽しみにしていたウニ弁当は売り切れ、お座敷列車を予約していない平民としてぎゅうぎゅうの一般車両に詰め込まれた(涙)。立ち位置が悪く、車窓からの風景は殆ど楽しめず、その代わりに車内でウニ弁当をビールやワインと一緒に楽しみ写真撮影に勤しむ乗客をぼ〜っと眺めるという最悪な展開となった。不平等社会には革命が必要で、我が内なる暴力にも覚醒した時間だった(笑)

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 久慈を取り囲むあの物語の世界観は普代駅くらいまでで、終着駅の宮古はすっかり「脱あまちゃん化」されていた。以降は、津波の街を巡ることとなり、更地とかさ上げの工事、そして仮設の住宅と商店街を沢山見ることになった。ここからは路線バスで南下したのだが、釜石に到着するまでに山田と大槌を見た。住宅がある高台と住宅のない平野で風景のコントラストは激しく、殆どの場所で瓦礫は片付けられているため、津波以前を全く想起することのできない眺めの連続だった。

 釜石での夜は「釜石はまゆり飲食店街」の「ひまわり」へ。仮設店舗は外装で判断することが出来ず、どのお店に入ればいいのかが悩ましい。「エスニックスープ」という手がかりだけで入ってみたのだが、女将と話しているうちにそこそこ温まり、新日鉄住金釜石製鉄所に勤めるおっさん二人がやってきてからは、「君も新日鉄釜石に就職しなさい!」という流れに(笑)。釜石は2019年のワールドカップラグビー誘致に名乗り出ているのだが、現実的な難しさと期待値の低さも沢山教えてもらった夜だった。

 翌朝の三陸鉄道南リアス線(釜石〜盛)には座れたのだが、やはり高齢者の観光客で満席状態。気がついたら、36歳のご子息をお持ちの団塊男子の持論を聞かされることになり、多くの風景を見逃してしまった(涙)。とはいえ、釜石市内の津波被害の大きさは高架を走る三陸鉄道に乗ってから知った。また、乗車した車両はトンネル内で津波被害を逃れた「奇跡の車両」だったという。おっさんの話に耳を澄ます役割さえ生じなければ、もっと自分のペースで過ごせたのだが(笑)。

 盛駅に到着したらホーム脇にBRT(バス高速輸送システム大船渡線が待っていたので、それで大船渡を経由して陸前高田へ向かった。BRTは線路敷をバス専用道にしたルートを走るもので、一般道のように信号もなく、鉄道用に掘られたトンネルを抜けたりもする。バスに乗りながらも車窓的には鉄道なので、そのズレを味わう一方で、BRTが一般道を走る時には大破した線路跡を見ることにもなる。鉄道なくして成立しないBRTだが、鉄道よりも便利に思えてしまうのが、なんとも複雑なところ。

 当日は仁平典宏さんが陸前高田でワークショップをやっていると伺い、会場までの移動プランを検討したのだが、レンタカーがないとアクセスが困難な場所だった。やむを得ず、陸前高田市役所前から希望の一本松まで歩こうとしたものの「距離的にも時間的にも厳しい」と助言され、今回のスケジューリングの甘さを悔やんだ。乗り換えたBRTから、今まで以上に広大な陸前高田の更地とベルトコンベアを眺め、もやもやしたまま気仙沼に入ることになった。

 タクシーの運転手に連れて行かれた「気仙沼魚市場」でどういうわけかカレーを食してから、今度はBRT気仙沼線へ。陸前小泉駅周辺の線路跡、南三陸のベイサイドアリーナ、志津川の南三陸さんさん商店街などを経由し、終着駅の柳津へ。BRTの一番前に座っていたので、歌津トンネルに入った時に遥か先に見えた出口の光の小ささは印象的だった。柳津からは仙台まではJRを二回乗り換えて移動。石巻に行けなくもなかったが、既に疲労していたので断念。ずっと山と海と更地を見てきたためか、賑やかな仙台市内に到着したら軽く目眩がしたのをよく覚えている。

 最終日は、先輩と合流して塩竃へ。志波彦神社鹽竈神社を参拝してから、御釜神社で神器にまつわるお話を伺い、『塩竃すし哲物語』(ちくま文庫、2011年)で知られる「すし哲」でお腹を満たした。それから塩竃港を経て、公園脇の塩釜市東日本大震災モニュメントへ。振り返れば、この道中で本当に沢山の石碑を見てきたことに気付かされた最後の訪問地だった。

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 ダラダラと書いてしまったが、今回は鉄道とバスで三陸海岸を南下するだけで精一杯だった。十分に滞在できなかった場所は多いのだが、久慈にはまた夏に行ってみたい。それが今回の予想外の収穫であり、「あまちゃん」の出演者たちも放送終了後に何度も足を運んでいるようだ(笑)。なお今回のガイドブックは、遠藤弘之『三陸たびガイド 復興支援』(マイナビ、2014年)。これに加えて時刻表をインターネットで確認しておけば、レンタカーでなくても十分に移動できる。

三陸たびガイド

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