デザイナーを書き取る可能性

 今更だが、デザインそのものではなく、デザイナー語りこそ、私の好みである。なかでも「この作品の本当の意図は…」といった作品語りではなく、「心から好きなことを話せる友達はいなかった。でも今はこの仕事で…」といった自己承認語りが、お気に入りである。

 アーティストであれば、このような承認欲求を制作物の内に埋め込むこともできよう(この作品こそ、私が言いたいことである!)。しかしデザイナーには、それが求められない。だからこそ、デザイナーとしての自己承認は、どこか過剰な声となり、制作物の外をぐるぐると回り続ける。

 それでもいい。いや、それだからこそ面白い。「おしゃべりな割には、何しゃべってんだか、わかんねー」ではなく、「何しゃべってんだかが、よくわかんなくても、おしゃべりは止まらねー」なのである。

 小馬鹿にしているのではない。また、制作物を不当に無視しているのでもない。これはこれでかなり緩いものなのだと前提してしまったほうが、デザイナーをより理解できるかもしれないという判断なのである。

 そんなこんなで、板橋よしえと菊池千春の『キャンディ・ストリッパー』(河出書房新社、2008年)を購入。キャンディ・ストリッパー(http://www.candystripper.net/)は、裏原宿通りに赤くで派手で大きな建物を構える、インディーズ系のファッション・ブランド。かつて裏原宿で働いていた私にはご近所感覚もあったのだが、何よりも同年生まれということで、「勝手に同窓会」モードで熟読。

「なぜ東京に出てきたかというと、高校生の時に読んでいた『CUTiE』の広告が始まり。スタイリストになりたかったので、服飾の専門学校に進学したいという方向は決まっていました。…(中略)…。しかし一気に考えは変わりました。それはバンタンデザイン研究所の広告を見たから! この学校に入りたくて、入りたくて……早速資料請求! 本当にドキドキ、ワクワクしました。なぜって、バンタンの先輩たちがみんなカッコ良くで、かわいくって! それはとてもキラキラして見えたのですよ!当時テレビの『浅草橋ヤング洋品店』でもおなじみのバンタン生ですもの!憧れました」(p.133)。

 1980年代の『宝島』の女の子版と言われた『CUTiE』(1989-)は、個性的な一般人をストリート・モデルとして積極的に掲載した雑誌として知られている。菊池によると、それによって「CUTiEブス」と言われることもある位、「特殊な雑誌」(p.171)であった。しかしそれだからこそ、同雑誌の広告であっても、上京の動機として強く効いてきてしまう。

「入学前から色々とあったものの、やっと一日目のホームルームに参加。 今でも忘れられない風景。 中目黒の学校前の歩道橋上から見た派手な群衆!ピンク頭や青頭、黄色頭など!色とりどりの衣装やメイク!ちょっとした仮装行列です。仲間!仲間だわっ!!大興奮です! こんなおもしろい仲間たちを探そうと思っても、秋田じゃ探せるもんじゃない! 本当は大歓声をあげて皆のところに猛烈ダッシュしたかったのですが……。田舎育ちの私の性格がそうはさせてくれませんでした」(pp.139-140)。

 二人がバンタン・デザイン研究所(http://www.vantan.com/)に入学したのは、1994年。私自身が同時期にここの夜間部に在籍したこともあり、当時の恵比寿におけるバンタン生の「浮きこぼれ」具合と、それだからこそ生じる独特な閉鎖性ははっきりと記憶している。お隣の渋谷は「チーマー系」や「コギャル系」だったが、恵比寿は「専門(学校)系」であった。そんな街の専門学校へ通うということは、何かを学ぶ一員というよりも、ある種の傾向をもった服装コミュニティのメンバーになることであった。

「この頃、編集の方と顔見知りになっていたわたしと千春さんは、ある日『CUTiE』のアンケートハガキの集計をするバイトを頼まれることに。…(中略)…。そんな中、『CUTiE』の編集長と話す機会も多く、Candy Stripperの話をしているうちに、なんと!Candy Stripperの連載ページをいただけることに! 連載することも夢の一つだったので、それはもう!うれしくってたまらなかったです」(p.34)。

 思い返してみれば、DTP黎明期だった当時の「私たち」にとって、雑誌はどこか到達不可能な存在であった。だからこそ、平凡な写真にすぎないはずの「ストリート・スナップ」も、なぜか特権的な表象として流通していた。編集者と「顔見知り」だなんて漏らせば、「今度紹介して!」といったギョーカイ人的なノリもまだ残っていた。「お友達になれば、なにかいいことがあるかも」と信じられていたし、実際そういうこともあったのだ。

 また現在は全国に9店舗を構えるCandy Stripperも、最初はカタログによる通信販売で大きく成長した。その理由は、「たぶん今のようにネットが発達していなくて情報は雑誌でしか得られなかったという状況の中、Candy Stripperがすごく雑誌に掲載されているにもかかわらずお店がなかったということ」(p.55)である。人々のコミュニケーションを水路づけるのは雑誌なのだと、まだ信じることもできた。

 こうして読んでみれば、上京の動機、学校的な日常、そして職業的な成功に至るまで、Candy Stripperにおいては、デザイナーであることと雑誌とが不可分な組み合わせであったことがわかってくる。これ自体は本当に凡庸な話で、またこうした事例はCandy Stripperに限られないだろう。しかし同様の事例を、同時代に生きる者として直観することはあっても、それとして確認する手段が殆どないもの事実である。

 制作物からデザイナーを語る作品集的な出版は数多い。しかしそこからは「クリエイティブの秘密」的な小話しか展開されず、またそれが過剰な作家論的な読みを誘発し、結局はデザイナーとアーティストの差異を塗りつぶしてしまう(アートとしてのデザイン)。これでは、デザイナーをデザイナーとして知ることはできない。

 デザイナーの文章は、冗長でどこか読みにくいものが少なくない。自分の話をしているつもりが、自己啓発書やアイデア整理術になっていたりもする。しかし、いつの間にかこのようなおしゃべりモードに入ってしまうことこそ、制作物そのものに自己を埋め込むことのできないデザイナーの面白さでもある。

 こうした語り口の緩さを肯定し、じっくりと付き合い続けることにこそ、デザイナーを書き取る可能性はあるのではないか。

 ロスジェネの自分語りであるにもかかわらず、負け組/勝ち組の二分法には回収されない、インディーズ・デザイナーの試行錯誤を追体験できる、とても誠実な本でした。

キャンディストリッパー 2人のファッションデザイナー

キャンディストリッパー 2人のファッションデザイナー

※今年もお世話になりました。この年末は、相対性理論の『シフォン主義』にどっぷりですが、来月7日発売の『ハイファイ新書』も楽しみです。上がったり下がったりの一年でしたが、博論の完成に少しでも近づくことが来年の第一目標です。

シフォン主義

シフォン主義