デザイン・フェスタ:無審査という理念

 かつての勤務先というのは、今になって訪れるのが、どこか恥ずかしい場所である。だからこそ、簡単には足を運ばないし、行ったところでそっけなくしてしまう。いや、実はこれも甘えであって、やがては消えるのであろう「あの時の思い出」との戯れであり、またそうだからこそ、ついつい自分を記憶している人だけと話し込んでしまう。

 私にとっての原宿は、そんな場所の一つである。あの街へ行くと、どうしようもなく「あの時の思い出」が沸き上がる。そして、その度に「今日は寄ろうかどうか」と悩むが、多くの場合はそれで終わり。というか、「今度にしよう」と思うのが、なかなか心地よい。こうした先送りこそ、「あの時の思い出」の最適な保存方法なのである。

 で、この週末は、思い切ってみた。かつての勤務先は、建造物としての拡張をさらに進めており、面識のないスタッフばかりである。ギャラリーやカフェを併設しているので、立ち入りは自由だし、そっとしてれば、そのまま一般客としても居られる。この双方向的ではない緊張感は、単なる自意識でしかないのだが、間もなく耐えられず、受付にいたスタッフに「かつてのボスに会えないか」と話しかけることになった。

 その方にお会いしたのは、20歳の春である。一般大学の凡庸さに辟易し、夜間には専門学校へ通い、長期休暇には海外へ行くなど、アルバイト代の殆どを自己へ投資していた時期だった。なんとなくデザイナーになろうと思い始めた頃で、それに関することなら何でもやってみる勢いがあり、またそうだからこそ、そのボスが動かし始めたアートイベント「デザイン・フェスタ」(1994年-)に引き寄せられた。当時の事務局は新宿西口の雑居ビルの給湯室の一角にあり、GEISAI(2001年-)といった類似イベントが始まる前のことである。

 このデザイン・フェスタは、何とでも文句のつけやすいアートイベントであった。アートやデザインのイベントと言えば、ある種の序列付けというか、審査や評価が期待されるのが当たり前と考えられていたので、「オリジナルであれば誰もが出展でき、審査はありません」というエントリー基準は、そのイベント当日において「ごちゃごちゃで、文化祭と変わらない」という、上から目線の浅い批評を誘発したのである。

 私のボスは、何度となくそれを聞いたフリをしながら、いつも無視をしていた。「デザイン・フェスタが良い悪いを審査し始めたら、アートやデザインそのものが面白くなくなる」というのが、ポリシーなきポリシーであった。デザイン・フェスタは、言ってみれば「スイミー」のような存在であり、一人でギャラリーを借りてびくびくと鑑賞者がやってくるのを待つよりは、みんなで大会場を借りて数万人規模の来場者に見てもらう機会を作ろうという理念らしきものを持っていた。それゆえ、審査による承認が欲しいアーティストやデザイナーは離れていったし、またその分だけ、序列に関係なく制作を続けられるアーティストやデザイナーは居着いたのである。

 なかでも印象的だったのは、若者だけでなく、年配の出展者が少なくなかったことである。手芸を活かした裁縫、刺繍、編み物、織物、染め物などは、コンピュータとプリンタで打ち出しただけのポストカードやプリントTシャツよりも随分と精巧であり、また来場者の人気も高かった。このような序列なき並列性というか、そもそも序列化が困難であることを隠さないのが、デザイン・フェスタの面白さであり、また文句をつけられやすい点だったのである。

 20歳前後でそれなりに上昇志向を持っていた私には、どうしてボスが無数の批判に耐えられるのかが不思議であった。「無審査」は理念としては美しいが、デザイン・フェスタそのものへの評価にはつながらない。「大人の文化祭」批判をかわすためには、それなりの手を打ったほうが良いのではないかと、何度も提案した。しかし、ボスは揺るがなかった。というか、「無審査という理念」を持ったボスが主催するデザイン・フェスタを面白いと思うかどうかが、「暗黙の審査」として機能したのである。

 こうした意味で、ボスとデザイン・フェスタは分かちがたい組み合わせであった。開催告知のチラシには、ボスの手書き文字が不可欠であり、またオフィスが裏原宿に引っ越した時には、ボスの好みが全開した。デザイン・フェスタの「無審査という理念」は、それを主張するボスの好みを思う存分にバラまくことで、ある程度の信頼性を確保したのである。

 それゆえ、かつての職場であったオフィスへ行くことは、そのボスに久々の挨拶をすることであった。で、受付のスタッフに話しかけたら、「昨年、退職されました」というお返事である。もう一度聞き直したが、同じお返事であった。私は言葉に詰まり、というか、あのボスに「退職」という語彙が存在したことに驚き、また15年前にお会いして以来のささやかな物語が閉じようとしているのを感じ取った。そして、ボスの近況をお伺いし、そそくさとオフィスを離れてしまったのである。

 私は寂しいと同時に、とても嬉しく思った。というのも、あのボスがいなくても、デザイン・フェスタが動くようになっていたからである。理念が見えにくい組織や活動は、その分だけ構成員の属人性に依存する場合が多く、その意味であのボスは重要な役割を果たしていた。しかし、あのボスでなくとも、「無審査という理念」で組織や活動が動き始めているのである。あえて言えば、「審査の制度化」ではなく、「無審査の制度化」が選択されたのだ。

 正直なところを言えば、ゼロ年代にそれぞれの制作環境が充実するようになり、わざわざ審査をしなくても、面白いものが集まるようになる位、序列にこだわらないアーティストやデザイナーが増えたのであろう。その意味では、デザイン・フェスタだけの試行錯誤というよりも、外部環境との共振は無視できない。しかし、それでもあのボスが一人で責任や批判を引き受けなくても、「無審査という理念」が機能するようになったことは、本当に嬉しく思うし、素直に凄いことだと思う。

 とはいえ、「無審査という理念」に耐えられない人は消えないだろうし、そのほうがアートやデザインにとっては良い場合もある。その意味で、デザイン・フェスタは、永遠のオルタナティブであって欲しい。審査による序列性には一定の敬意を払いつつ、常に緊張感をもって「無審査という理念」を主体が代替可能な形で運営していってほしい。次回の開催告知のチラシに、いつもの手書き文字が消えていることには少なからず驚いたが、それはここまでの意味で良い方向だと思うし、その方があのボスもきっと喜ぶのであろう。というか、いつもの大きな声で「カッカッカッ」と笑ってくれるに違いない。

 私のささやかな90年代の物語は、こうしてまた一つ閉じようとしている。それは少し淋しいが、次の物語の始まりでもある。偶然に過ぎないが、入れ替わるように、この春からは職場が変わり、(今さらとも言えるが)毎日働くようになった。東海大学文学部広報メディア学科の学生を連れ、次回のデザイン・フェスタを面白がってみるのが、どうしようもなく忙しいこの毎日をやりすごすお楽しみでもある。今後とも、どうぞよろしくお願いします。

▼デザイン・フェスタ
http://www.designfesta.com/

▼あのボス:「尾道物語り:アートイベント創始者のふるさと」
http://www.bbbn.jp/~ohrc/5/05/movie/05-03.htm