『芸術の社会的生産』ならすぐに買った…。
寝違えた。外出はキャンセルしたが、まともに首を動かすことも出来ずトホホな一日に。これに効くのかどうかもわからないが、とりあえずサロンパス。
ところで、僕は洋書に対する「眼」が十分に鍛えられていない。原著を買うことは稀だし、訳書のタイトルでピンとこないと手に取らないことすらある。当然、これで失敗する。『芸術社会学』はその例だった。新刊コーナーで見た時は、その日本語タイトルと訳者と装丁をみて、根拠もなく「これはまぁいいゃ」と決めてしまった。そもそも目次を見ないのは大間違いなのだが、著者や訳者が活動するコミュニティがパッと見えてこない書籍は、瞬間的に魅力を感じない時もある。で、しばらくしてから『The Social Production of Art』という書籍があるのを他の英文書籍で知り、購入しようと調べてみたら、先の『芸術社会学』だった。こうやって見落としている書籍、少なくないんじゃないかな…。とにかく本書は「作家性」を考えるための良書である。
「新しいテクノロジーは種々のメディアで芸術家によって取り上げられたが、それは私たちの芸術の概念をいまだ特徴づけている、トータルな独創性の神話をいっそう明白にするのに役立っただけであった。」(p.188)
オリジナルなきオリジナルとしての「サンプリング」は、「作家性」なき作家性という<作家性>を浮上させただけである。“私にしか描けないもの”から“私にしか組合せられないもの”への横滑りは、内容主義から形式主義への移行とも読める。1990年代の「クリエイター」かな…。
「ポストモダン的芸術の実践に関する危険は、決定的な根拠のない脱構築的実践のためにどんな政治的な根拠も排除してしまうことである。こうした理由から、モダニズムに見切りをつけるのは間違っていると思うのだ。」(p.192)
「理由なんてない!」もそれとして十分な論理なのだから、ゲームの先送りには慎重にならなくてはならない。ポストモダン的に思えてしまうことをモダニズムの問題としてしっかり引き受けること、なのでしょう。「大きな物語」じゃなくてもいいけど、粘り続ける体力は持たなくてならない。やっぱり、「反−学問」は「学問」よりも困難な立場だと思う…。
「すべての芸術は集団的に作り出される」という立場を取る本書のタイトルは、原著のまま『芸術の社会的生産』のほうがピンとくるのではないでしょうか?
- 作者: J.ウルフ,笹川?司
- 出版社/メーカー: 玉川大学出版部
- 発売日: 2003/05/10
- メディア: 単行本
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The Social Production of Art (Communications and Culture)
- 作者: Janet Wolff
- 出版社/メーカー: Palgrave
- 発売日: 1993/10/13
- メディア: ペーパーバック
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