森永博志『ドロップアウトのえらいひと』東京書籍、1995年

 1980年代末の週刊『プレイボーイ』の連載をまとめたもの。クリエイターとしての「私」が語られる時には、当然のように「反−学問」が主張されることが少なくないけれども、この不思議な言説的関係はどのように正当化されてきたのだろう?おそらく当時においては、(少なくとも現在よりは)「教養」(とそれを成立させる流通回路)が信じられていたからこそ、対抗軸としての「サブカルチャー」を語ることが有効だったとのだ思う。しかし現在、「サブカルチャー」が対抗軸として「ピンとこない」のは、そもそも「教養」(とそれを成立させる流通回路)が(かつてのように)支配的ではないということだと思う。「ドロップアウト」という言葉も同様で、現在これを云うのはどうも時代錯誤な感じがする。「ニート」と揶揄されるのが関の山?

ドロップアウトのえらいひと

ドロップアウトのえらいひと