2005-08-01から1ヶ月間の記事一覧

内田樹「生者は儀礼決められぬ」『朝日新聞』(2005年8月30日)

内田さん曰く、首相の「靖国参拝」問題において、賛成派も反対派も「「死者は正しく祀られなければ、生者に災いをなす」という点については合意が成り立っている」という。確かに「参拝」は生存する者のためにも語られている面が強いし、悲しいことに「死者…

言いたいことも言えずに

資料閲覧で多摩美(八王子)へ。文献調査はその多くが図書館ネットワーク検索に支えられているので、どこの図書館にいっても司書さんには感謝感謝。昨年夏に『アイデア』『ブレーン』(共に誠文堂新光社)をすべてを読んだ時には時間をかけすぎたので、今年…

『芸術の社会的生産』ならすぐに買った…。

寝違えた。外出はキャンセルしたが、まともに首を動かすことも出来ずトホホな一日に。これに効くのかどうかもわからないが、とりあえずサロンパス。 ところで、僕は洋書に対する「眼」が十分に鍛えられていない。原著を買うことは稀だし、訳書のタイトルでピ…

自分の発言には責任を持つべきである

暫く前に「自分の発言には責任を持つべきである」とはどういうことなのかと聞かれ、それ以来「責任」について少しでもまとめられないものかと考えていた。 なぜ発言の「責任」なのかと言えば、発言の「自由」が与えられているからである。様々な発想とあらゆ…

*[critique]「広告化する学習」試論暴論

広告とは「メディア横断的な存在」である。従って、広告は一つのメディアではない。広告は一つの産業として成立しているために、一つのメディアとして成立しているかのように思うかもしれない。しかし、厳密には違う(と言いたい)。広告とは、新聞・放送・…

何のための「戦後」?

「終戦60年」番組をいくつか観た。なんともいえない気持ちになって、祖母から当時の話を聞いた。「空襲で焼け出された時に戦争を本当に知った」と言う。だから「他の国で戦争が起きても、焼け出されている人を見ると他人事には思えない」と言う。成田龍一さ…

記憶が呼び出す言語

かつては英語で夢を見るようなこともあったのだが、もはやそれもなくなり、随分と時間が経った。複数の言語で思考するのは楽しいし、選択肢は多いほうが面白いに違いない。問題はこの環境をどうやって作っていくのかで、所謂「ゲストハウス」に住み込むとい…

「20世紀日本建築・美術の名品はどこにある?」

「20世紀日本建築・美術の名品はどこにある?」(http://artstudy.exblog.jp/)の第4回にてお話をさせて頂くことになりました。題目は「戦時下におけるプロパガンディストの論理:報道技術研究会と今泉武治」でして、1940年代前半の広告制作者を中心的に取り…

中井正一の「集団的主体性」

1930年代の思想が、じわじわと染みてきた。正直なところ、広告制作者の歴史において「中井正一」をどのように扱えるのかは困っていたのだが、ここになって彼の「集団的主体性」をめぐる議論はそれなりに居場所を見つけようとしている。「技術性」や「模倣性…