若者にとってポスターとは何か?

 「ポスター」に興味を持ち始めたのは、小学校高学年の時に雑誌『サッカーダイジェスト』を読み始めた頃だろうか。マラドーナプラティニといったスター選手の大型ポスターが「付録」になっており、それらを天井に貼り付け、どうして自分はあのようになれないのかと布団のなかで考えたものである。

 そういえば、近所の小さなゲームコーナーにもポスターが貼ってあった。テーブル型ゲームが数台しかない場所なのだが、そこにはポンジュースの販促ポスター(女性ヌード)が貼ってあり、「俺はゲームをやりに来ているんだ!」とわざわざ主張する男の子達でいつも混雑していた(笑)。駅へと向かうメインストリートに、エロ本の自動販売機が堂々とそびえ立っていた頃である。

 いずれにせよ、ポスターというのは私秘的というか、一人でこっそりじっくり見るものだと思っていた。スーパープレーへの憧れであり、見ることが禁じられている肉体への憧れだったのである。その意味でポスターはそうそう簡単には辿り着くことのできない理想郷であり、追いかけては向こうへと行ってしまう「逃げ水」のようなものであった。

 このような記憶があったためか、『美術フォーラム21』の特集「ポスターの視覚文化論」に寄せた論文「若者にとって「ポスター」とは何か?」では、以下のような「ポスターのある風景」から書くことにした。

 興味のない人にはどうでもよいかもしれないが、「ポスター」の貼られ方は面白い。政治家のポスターが塀に貼られていれば、「あ、この家はあの党なのね」という気づきになったりするわけだが、そんなものよりも、英会話教室や探偵会社の黒い犬のポスターが、「一体誰が気付くのだろう?」と思うような場所に貼られているのは可笑しい。屋外広告物の設置方法を定めた条例は、その副産物としてこうした奇妙な風景を作り出すのである。

 他方で、ポスターに満たされた空間もある。居酒屋のトイレには「地球一周の船旅」ポスターが貼られていたりするが、なかには店内を小劇団の公演ポスターで埋めつくしたような飲み屋もある。パチンコ屋や放送局には新作をアピールするポスターが各所に貼られており、特定の彩色に傾斜したアニメを多く扱う東京・秋葉原は「ポスターの街」ではないかと思うくらいだ。どういうわけかは知らないが、私たちはこのようにポスターで埋めつくされた空間があることを知っている。

 それゆえか、ポスターを自ら購入する人もいる。雑誌の付録やCDの販促物として小型ポスターが付く場合もあれば、画材屋や専門店で大型ポスターを手に入れることもできる。セロテープや画鋲で壁に掲示する場合もあれば、額縁に入れて飾ったりもするのだろう。しかし、考えてみれば不思議なことではないか。というのも、元々ポスターは何かを消費者に向けて宣伝するものだからである。そこで本稿は、このように広告物として制作されたポスターが私的所有物として収集され始めた頃のお話をしてみたいと思う(加島卓「若者にとって「ポスター」とは何か?」『美術フォーラム21』第27号、醍醐書房、2013年)。

 このように書いたのは、自分の部屋にポスターを貼るという習慣が20世紀後半的なものにすぎないかも…と思ったからである。というか、そういう習慣が見えにくくなってしまったからこそ、街中のポスターだけが「時代遅れなもの」として見えているのではないかと思ったのである。

 ポスターについての論文と言えば、表象イメージの分析が多い。それはそれで面白かったりもするのだが、そもそも分析対象が他でもなくポスターである必要性のないのが多い。こうした問題意識もあって、もっと「物質としてのポスター」に定位した論文が書けないかと思い、今回は1960年代後半の若者がいかにしてポスターを私的所有物として意味付けるようになったのかを歴史的に述べることにした。

 具体的には、東京の新宿や新橋に登場した「ポスターショップ」や企業が制作した「セミヌードポスター」の転用のされ方などについて述べている。今やポスターを自分の部屋に貼る人なんてあまりいないと思うが、そういう楽しみが日本社会でどのように発見されていったのかをこの論文から追体験してもらえれば幸いである。

『美術フォーラム21』 第27号
特集:ポスターの視覚文化論(岸 文和 編集)
広告ポスターのレトリック(西村清和)
広告ポスターの記号学的分析について――ロラン・バルトにおける言語と映像の関係(小池隆太)
広告論のジレンマ――マーシャル・マクルーハン『機械の花嫁』をめぐって(門林岳史)
社会表象としてのポスター(難波功士
若者にとって「ポスター」とは何か?(加島 卓)
歌麿筆「名取酒六家選」のレトリック――隠喩と換喩(岸 文和)
正月用引札のサバイバル――美人画ポスターとの関係(熊倉一紗)
ポスターと百貨店――三越とポスターの黎明(生田ゆき)
画家とポスターの緩やかな周辺――大阪モダニズムの画家三態(橋爪節也
大阪のポスターと前衛芸術(竹内幸絵)
日活映画のプレスポスター(碓井みちこ)
ポスターとグラフィックデザイナーの現在形(植木啓子)
創作ポスターという伝統――木村恒久モンタージュ作品(柏木 博)
白昼夢としての京都――「そうだ 京都、行こう。」が約束する未来(佐藤守弘)
ロートレックとポスター(冨田 章)
欲望とイデオロギー――の鏡としてのポスター(平芳幸浩
戦前期の日本製ポスター研究における体験的参考文献論(田島奈都子)
http://www1.odn.ne.jp/daigo-shobo/contents/bf21/bf027.html

美術フォーラム21 第27号 特集:ポスターの視覚文化論

美術フォーラム21 第27号 特集:ポスターの視覚文化論