「ラッセンという過剰さ」に至るまで

 初めてお会いしたのは、武蔵野美術大学芸術文化学科での担当科目「メディアと表現」の打ち上げだった。待ち合わせたお店へ入った途端に起立して名前を名乗られたので、随分と丁寧な方だなと思った。それからは韓国料理を食べながら、「ツイッターのアカウントを使い分けるなんて当たり前ですよ〜」的なお話を伺い、「素直に生きられない時代になったねぇ」と笑い合ったものである。

 その翌年の夏に東京・日本橋のCASHIで「ラッセン展」(http://cashi.jp/lang/ja/exhibition/1150.html)という展示の案内を頂き、初日にお邪魔した。なんかよくわからないけど面白そうだと思って足を運び、実際にとても面白かった。ラッセンとそれぞれの作品を対比させることで、「私たちは何をいかに見ているのか?」を問い直すような展示になっていて、なんというか、展示そのものが批評になることもあるんだなぁと思ったのである。

 この夜のパーティーでは所謂「カオスラウンジ」(http://chaosxlounge.com/)の三人がズンズンとやって来て、その様子をビデオカメラで撮影するクルーもおり、かなりびびったのを覚えている。会場の空気が突然変わったというか、こういうことってあるんだ〜って感じだった。展示のなかに梅ラボ(梅沢和木)の作品もあったので当然の展開なのかもしれないが、若さと勢いを見せつけられたおっさん的には、悔しいくらいに羨ましく見えたのである。

 どうでも良かったラッセンが少しだけどうでもよくなくなり、またそのように思わせてくれた若い人びとに少し刺激されたのかもしれない。そんなことをぼんやり考えていたら、原田裕規さんからラッセン本の出版企画のお話を伺い、「ラッセンという過剰さ:美術史は何を書くことができないのか」という論文を書くことにした。なんというか、自分自身のなかに積み重なっていた「ラッセンへのどうでもよさ」がどのようにして出来上がったのかを調べてみたかったのである。

「まるで催眠術にかけられたような気持ちでした。…(中略)…。ボディコン姿のお姉さんに絵を見せられながら、「ほら、まるで生きているみたいでしょ。キミの部屋の中に海があるのよ。まるで夢みたいじゃない」って耳元で囁かれると、そんな気になってきちゃったんです」(「「絵の新興宗教」人気画家C・ラッセン一枚八十万円「高級ポスター」バカ売れの裏側」『週刊文春』1994年12月1日号)。

 「どうぞ、無料でご覧になれます」。路上でオレンジ色のメッシュベストを着た女の子に、何度声をかけられたことだろう。その先にはクリスチャン・リース・ラッセン(1956-)と思われる色鮮やかな版画が飾られているのだが、あのショールームに一度も入ることはなかった。いや、より正確に言えば、あの誘い文句の先にはクレジット契約が待っていると「聞いていた」ので、見向きもしなかった。

 広告が無数に埋めこまれた都市空間において、私たちは生真面目に一つ一つ反応するわけにはいかない。だからこそ、見えないふりや聞こえないふりをして、そそくさと足を進める。私たちにとって「ラッセン」とは、このように広告的な存在だったからこそ、あえて引き算して受容される対象になったとは言えないだろうか。

 そこで、本稿ではラッセンの作品そのものというよりも、私たち自身がラッセンに対してどのような意味付けをしてきたのかという点を振り返る。そしてその結果として、ラッセンが何をいかになぞり返していたのかを述べてみようと思う(加島卓「ラッセンという過剰さ:美術史は何を書くことができないのか」、原田裕規(編著)『ラッセンとは何だったのか?:消費とアートを越えた「先」』フィルムアート社、2013年)。

 結果として、この原稿は楽しく書いてしまった(笑)。といっても、対象に対して外在的な解釈を行うというよりも、対象をめぐって何がいかに語られてきたのかをなぞり返した感じである。論じ方の水準で言えば『文化人とは何か?』に近く、サーファー画家であったはずのラッセンが日本社会でどんどん肥大化していく過程を具体的に書き取っている。他の論考と比べてデータが多く地味に見えてしまうのかもしれないが、こういう作業をしなければ「私たち自身のどうでもよさ」を実証できなかったとも思う。批評と社会学の違いと言えば、わかりやすいのかもしれない。

 気の利いた人であれば、こういう企画自体の後発性に疑念を抱くであろう。嘲笑の対象にもなっていたからこそ、あえてそれに真面目に取り組む素振りを商業的に見せる実にいやらしい作業ではないかと。そういう批判は間違っていないと思うが、逆に言えばそうでもしないと「美術史」の境界線が見えてこないかなと本稿では考えた。そして、その結果として「ラッセンを美術史に登録する必要なんてない」と結論している。

 といっても、そういう言い方自体が現代美術の拡張であるかのように読めてしまう人もいるかもしれない。こうなると、もはや他の論考と読み比べてもらうしかない(笑)。美術として評価しようとする人もいれば、「ヒロ・ヤマガタ問題」とか「ヤンキー」に結びつけている人もいる。イルカ縛りで述べる人もいれば、ミュージシャンとして述べる人もいる。拙稿としては、このように複数の記述が矛盾なく成立してしまうまでを歴史的に述べたつもりである。

 どうにでも語れてしまうことは、何も語られていない可能性がある。だからこそ、軽く言及されては、そこそこに流されていく。その程度のものとしてのラッセン。このような「私たち自身のどうでもよさ」の由来を、少しでも楽しんで頂けたら幸いである。

原田裕規(編著)『ラッセンとは何だったのか?:消費とアートを越えた「先」』フィルムアート社、2013年
・はじめに
・「ラッセン展」とは

Introduction
クリスチャン・ラッセンの歩み
・[Discussion]日本のアートと私たちのクリスチャン・ラッセン 大野左紀子暮沢剛巳中ザワヒデキ

Chapter. 1 「ラッセン体験」への招待
クリスチャン・ラッセンの画業と作品──事後的評価と再召還される「ベタ」 原田裕
・美術史にブラックライトを当てること──クリスチャン・ラッセンのブルー 千葉雅也
・[Essay]ラッセンノート(再び制作し、書くために) 上田和彦

Chapter. 2 日本社会における受容──美術史の闇を照らすために
・「日本の美術に埋め込まれた〈ラッセン〉という外傷」展 大野左紀子
アウトサイダーとしてのラッセン 斎藤環
ラッセンという過剰さ──美術史は何を書くことができないのか 加島卓

Chapter. 3 「価値」をめぐって──いかにして「見る」べきか?
・信用と複製芸術──紙幣としての美術 櫻井拓
・〈見世物〉に対するまなざしの行方──ラッセンの日本的受容をめぐって 河原啓子
・[Essay]作品分析のアクチュアリティ──ラッセンを見ることの意味 原田裕

Chapter. 4 二つの世界──サーフィンとアート
クリスチャン・ラッセン、二つの世界のエッジで 石岡良治
ラッセンをイルカから観る──ジョン・C・リリィ再読のための一試論 土屋誠一
・[Essay]日本とラッセンをめぐる時空を越えた制度批判の(ドメスティックな)覚書 大山エンリコイサム

Chapter. 5 制度批判を越えた〈新しいつながり〉へ
ラッセンの(事情)聴取 星野太
・樹木と草原──「美術」におけるクリスチャン・ラッセンの位置を見定めるための、また、それによって従来の「美術」観を変更するための予備的考察 北澤憲昭

・おわりに
クリスチャン・ラッセン略年譜
・参考資料一覧
http://www.filmart.co.jp/cat138/post_186.php

ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」

ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」