2014年:回顧と展望

 30代もあと一年。20代の頃とは好みもすっかり変わり、昔の自分にはきっと笑われるに違いない。20代までは自分の好きなものばかりを見ていたのだが、30代になって好き嫌いをちょっとだけ宙吊りにして転がす楽しみを覚えた。思い込みから少しだけ自由になることで、今までよりも丁寧に考えられるようにはなったと思う。

 振り返ってみれば、最初の論文は2005年の「<感性>の誕生:反−構図としてのレイアウト」(季刊『d/SIGN』No.11、太田出版)。大学院の修士三年目でなかなか苦しい時だったけど、幸いにも多くの読者に恵まれ、これから自分が何をどのように書いていけばよいのかを少し知れた思い出の論文だった。

 あれから10年。2014年は、何よりも『〈広告制作者〉の歴史社会学:近代日本における個人と組織のゆらぎ』(せりか書房、2014年、http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20140305)を刊行できたことが嬉しい。500頁弱で6000円もするのだが、インターネットでは「鈍器」や「ブロック」と呼ばれ、どういうわけか「#かしまさんおすし」(byきゃさ)というハッシュタグへと展開し、「おすし代」という怪しい郵便物も届いた(笑)。おかげさまで、素晴らしい書評も出た。開沼博さん(読売新聞)、佐藤健二さん(週刊読書人)、南後由和さん(図書新聞)、高野光平さん(文化社会学研究会)、どうもありがとうございました。

 単著と同時進行だったのが、「特集:堤清二辻井喬」『ユリイカ』(2014年2月号、青土社)に書いた「「社会」を語る文体とセゾンの広告:「作者の死」と糸井重里の居場所」(http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20140221)。「おいしい生活。」や「不思議、大好き。」に軽く言及することで1980年代の日本を説明しようとする「広告=社会の鏡」仮説がどうしても受け入れられず、その苛立ちが最終的には「社会学にとって「広告」とは何か?」というテーマに至った論文だった。いやしかし、流通範囲の割には読者がちっとも見えてこないのが『ユリイカ』なのだとも知りました(笑)。

 それから、どういうわけか『文學界』(2014年4月号、文藝春秋社)に「お菓子のデザイン」(http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/bungakukai1404.htm)というエッセイを書く機会を頂いた。論文はある程度の読者を想定して書くので、文体を定めやすい。しかしエッセイはそうもいかずで、「編集者に気に入ってもらえるかどうか」が本当に重要だということを知った。ヤクルト、とんがりコーン、森永マリー、そしてルマンドについて書いたのだが、何度読んでも不器用な仕上がり。純文学をやっていた母は、単著刊行よりもこちらを喜んでいたな(笑)。

 研究報告は「美人画とポスターの概念分析」(大正イマジュリィ学会)と「『あまちゃん』のデザインと「稚拙さ」の居場所」(露光研究発表会)と「アイドルとグラフィックデザイン:『あまちゃん』のテレビデザインと「残念」の居場所」(文化社会学研究会)の三つ。『あまちゃん』関連では岩手県久慈市のロケ地巡りまでして、1980年代ノスタルジーについていろんなアイデアを得たのだが、もう少し熟成させたい感じでもある。

 研究会関連だと、2013年8月から光岡寿郎さん(東京経済大学)と始めたKoSACの回数を積み重ねた一年だった。KoSACとして声を掛けられるような機会も頂くようになり(露光研究発表会やCAMPほか)、活動の幅が広がるようにもなった。女子高生がTwitter経由でKoSACにやってきたりで、これからの進路指導や大学のことも考えさせられたんだっけな。

 本務校の東海大学は5年目。専任講師から准教授になり業務は増えたが、文学部に若手の同僚が増え始めたのが嬉しい。教育では「メディア社会学」を新しく開講して、一年生向けに社会学とメディア論の基礎を教えられるようになったのはよかった。中央大学は2年目。ようやく調子をつかみ始め、受講生と話す機会も増えるようになった。武蔵野美術大学はもう7年目。卒業生の活躍を毎年のように聞くようになったのだが、インターネットでしか活躍しない人も増えたね(笑)。

 まぁめっちゃ悔しいこともいくつかあったけれども、来年も頑張ります。メディア論の教科書でインターネット広告のことを書いたり、現代社会論の教科書で1990年代のことをいくつか書いています。出版の企画をいくつか頂いているので、そろそろ具体案を作ってみようかとも思います。新しい研究テーマに移行しつつ、査読論文も書いていきたい。あとは、みんなが大好きなあの町田でイベントを始めようとも思っております。

 それでは、よいお年を。来年もどうぞよろしくお願いします。