放送の固有性とは何か

oxyfunk2008-09-01

 公開授業を兼ねた『テレビ放送実習』の本番収録を行った。埼玉県立芸術総合高校の映像芸術科では、県内の放送局スタッフと連携して、生番組形式のスタジオワークを行ってきている。簡単に言えば、高校生による番組企画で、映像の制作や編集、スタジオでの撮影やカメラの切り替え、番組美術の制作やスタジオ全体の進行管理までを行い、「放送」についての理解を深めようというものである。

 映像制作と言うと、「コンテンツ制作」をイメージしてしまうかもしれない。しかし個別の映像(とインターネットによる配信)ではなく、それらを決められた時間内に配置し、司会をしながら生番組として仕上げていく。放送の固有性は、このような二重の編集作業のなかで理解されるものである。

 重要なのは、放送がそれ自身で時間を記述すると同時に、放送そのものが時間の流れに従属していることを知る点である。その意味で、放送ほど「時刻通りに始まり、時刻通りに終わらなくてはならない」メディアはない。視聴者の関心とは全く別に「生放送」を強調するのも、また涙ながらに語るゲストの話を途中で強引に切り上げるのも、こうした厳格な規範の効果だということを知れば、それなりに放送の難しさと面白さを理解したことになるというわけだ。

 だから反省会で「次回の番組では、その冒頭で何かをスタートさせ、その何かを番組終了時には完成させたい」という企画が出てきたのは収穫であった。勿論、昨夜のエドはるみ効果もある。またそうした企画を小馬鹿にするのも難しくはない。しかしこのように、番組内での時間進行を加算的に可視化していく企画こそ、放送にしかできないものなのである。

 その意味で24時間テレビのマラソン企画も、その凡庸さとは別に、放送の固有性(の一つとしての「時間の自己管理」)をかなり徹底したものとして、もっとポジティブに評価しても良いのではないだろうか。


 明日より、沖縄県立芸術大学での研究発表(http://d.hatena.ne.jp/champuru/)に参加します。報告題目は「デザイン批判の困難と旋回するコトバ」で、要するにデザインを語ることはことごとく失敗してしまうにもかかわらず、なぜそれが止められないのか、そしてそうした失敗の積み重ねが一体何を意味しているのかなどについて述べる予定です。