ワークショップの擁護

 ワークショップ開催のため、二泊三日で長野県・安曇野へ。武蔵野美術大学芸術文化学科は、2002年より長野県安曇野ちひろ美術館松川村役場と連携して、地域の理解と創作活動を組み合わせた実践を行ってきている。簡単に言えば、美大生が企画する市民参加型のワークショップで、学生はファシリテーターとなり、現地の子ども達の作品作りを支援しながら、地域における世代間交流を促進しようとするものである。

 そもそも「ワークショップ」と言ってもいろいろで、実際のところは「レクチャー」と変わらないものも少なくはない。またアート系のワークショップには「体験型の作業」という意味も含まれており、参加者全員で何かを制作することが自己目的化してしまうこともある。「リフレクション」と呼ばれる反省会での発話を重視するワークショップとメディア・リテラシーの組み合わせを見てきた私にとって、今回は異分野の経験でもあった。

 初日は、グループに分かれて松川村内のお宅を訪問。参加者の子ども達は、地域の高齢者から昔話などを聞きながら、そのお礼として似顔絵を描く。二日目は参加者同士の似顔絵も描き、最後にはそれらを屋外ステージの屋根から扇状に広げられた大きな白布に貼り付けていく。扇状の白布は安曇野を見守る有明山、雨引山、城山を表現しており、そこに似顔絵を貼りながら、二日間の活動を振り返り、地域の理解も深めるというものである(http://www.shinmai.co.jp/news/20080811/KT080810GVI090003000022.htm)。

 企画側として「これでいいのか」といくつかの疑問は最後まで残ったし、状況に応じたプログラムの変更も何度か行った(ワークショップはプログラム通りには動かない)。地域の子どもと高齢者の交流を支援する「東京」からの美大生って、一体どういう立ち位置なのかとも思った(これは解決不能)。しかしそれらを引き算しても、今までとは異なるワークショップ感を得られたことは大きい。それは、ワークショップを一度だけでは終わらせないことの効果である。

 ある意味ではサーカス団的に振る舞うしかないワークショップのファシリテーターは、「よそ者」としてローカルな秩序を揺さぶったまま、サヨナラすることが多々ある。しかし今回のワークショップは7年目ということもあり、受け入れ先のコーディネーターや現地の人々からはある程度信頼され、「今年もやってきた」状態で行うことができた。

 勿論継続的な開催には、自己目的化の罠がある。しかしそれは企画側の自覚によって、かなりの程度ハンドリングできる。何を到達目標にするのかにもよるのだが、継続的な開催は、「その気にならなければ出会うことのなかった偶然の出会い」を尊重しているという意味において、一発屋的なやり逃げよりは遙かに誠実である。要するに、短期的な企画ベースのワークショップとは別に、中長期的な信頼ベースのワークショップがあっても良いということを知ったのである(それが緩い企画の免罪符になっては不味いのだが)。

 ワークショップには確実な方法がなく、その評価の仕方も曖昧で、報告は凡庸になりやすい。論文にはしにくいからといって、映像記録を見ても、結局はその前提を共有できずに終わったりもする。しかしだからといって、ワークショップの「プロ」や「ベテラン」、さらには「プログラムの知財化」が必要だとは考えない(クリエイティブ・コモンズ的な展開ならありうるが)。むしろここまで実践が増えてきて必要になっているのは、ワークショップという方法の擁護(と同時にそれにできないことを見極めること)であろう。

 個人的な見解に過ぎないが、特定のファシリテーターに依存しなくとも実行できるワークショップ設計を目指すこと。それによってワークショップの「作品化」を解除し、ファシリテーターが代替可能な状態で、どこまで社会を動かしていけるのかを試し続けること。ベタな啓蒙が有名性やキャラに読み替えられてしまう現代においては、こうしたことこそがワークショップ研究の課題だと思う。


 ところで、最近一番感動した場所として安曇野を挙げていた元ちとせの新曲「蛍星」は、その「丸大ハム」的な世界観のPVにクスクスしながらも、よく聞いている。それからボニーピンクの「鐘を鳴らして」も。音的には全く好みではないのだが、そうした個別性よりも同世代性が効いてくるようになったのが、なんだか笑えてしまう。ライフコースがある程度分かれ始めたからこそ生まれてくる、緩いけど暖かな連帯みたいなものだろうか。