杉山登志の死について

 「メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志〜」(TBS、2006年8月28日)を見ました。杉山登志については、馬場敬一・石岡瑛子編『CMにチャンネルをあわせた日』(PARCO出版、1978年)、今井和也『テレビCMの青春時代』(中公新書、1995年)、山田奨治「CM作家の場所」(『日本研究』第29号、国際日本文化研究センター、2004年)などに詳しく、ドラマのタイトルにもあるように、杉山を「伝説」と呼ぶ人は少なくない。
 
 さてドラマでは、「作家」としての杉山に焦点が絞られていた。「嘘をついてはいけない…」「撮りたいものを撮らなくてはならない…」「伝えたいものは何か…」、これらメッセージ=内容主義とも呼ぶべき態度は「作家≒芸術家」を語る上でのお約束である。ここで制作物に責任を持つのは制作者に他ならない。だからこそ制作者は制作物におけるメッセージ=内容が何であるのかを問い続けなくてはならない。
 
 このように「作家」としてCMディレクターを捉える視座は、実のところCMディレクターとしての固有性を殺してしまっている。クライアントとの交渉に悩む杉山は「作家」である前に、「広告制作者」ではなかったか。
 
 実際のところ、杉山は広告効果を上げてくれるだろうという期待からクライアントによって登用されている(杉山以外の選択する権利もクライアントにある)。そこでメッセージ=内容に責任を持つのはクライアントであり、広告制作者は効果=形式を担当するに過ぎない。効果が上がらなければ、他の広告制作者が登用されるだけの話だ。
 
 つまり杉山は作家とは異なる二つの点を持っている。一つには、制作物の内容に関する責任を回避しつつ制作物の形式にのみ関与できたということ。二つには、クライアントによる制作者の代替可能性の機会に常に晒されていたこと。確かに杉山は自分の納得いくまで制作をしたが、それは任された仕事に対してである。その意味で、杉山は「作家」ではなく「広告制作者」なのだ。
 
 グラフィックであれ、CMであれ、「芸術としての広告」という捻れた言い方が登場したのは、杉山が活躍した1960年代後半からである。それまでの広告は芸術との差異を明確にすることで、広告然としていた。しかし、店頭のポスターが人々に無断に持ち去られて部屋に貼られたり、購買と関係なく商品ポスターの展覧会が行われたり、週に一度しか放映されないテレビCM(イエイエ)が話題になりはじめて、ゆっくりと広告は「芸術」として捉えられるようになったのである。杉山が「作家」と呼ばれてしまうのも、これらの文脈と深く関係があろう。
 
 とはいえ、当時杉山の死を語った同業他者たちは、「作家」とは異なる広告制作者としての在り方をクールに語っていて興味深い。
 

「広告は芸術でもなく、まして文化でもない。しょせん、物を売るため、あるいは、イメージを売るための一つの手段にすぎない。だから、ぼくたちは呼び込み屋であり、チンドン屋であり、それをクリエイターと呼ぼうが、コミュニケーターと呼ぼうが、本質的にはそれ以上でも、それ以下でもない。売り込むものが、ぼくたちの目の前に提示されれば、ぼくたちは自分の持っている才覚と技術を駆使して「うまくやってみせなければならない」職人なのだ。…(中略)…。だから何をやってもよいのだといいうことではない。ぼくたちの仕事は、情報の送り手と受け手との、ある了解の上に立った、一種のだまし合いのゲームだと思う」(小田桐昭「取り残された者から」『ブレーン』誠文堂新光社、1974年4月)。

「死んだ時、笑った人もいました。笑ってはいけない、気の毒だといいながら……。私と彼とは立場が違うけれど、やはり彼の死については批判的ですね。CMというのはジョークでやっていないと、やっていけない部分があるわけです。それを真面目にやりすぎてしまった」(小林亜星「やっぱり一つの時代の終りを予知していたんでしょう 彼のような人間は生きていけないという意味で……」馬場敬一・石岡瑛子編『CMにチャンネルをあわせた日』PARCO出版、1978年)。

 ここで広告制作は「一種のだまし合いのゲーム」や「ジョーク」として捉えられている。広告制作者がこのように不真面目さを肯定するのは、彼らが本質的に不真面目なのだからではない。むしろ、抗いようのない資本の論理とやりあっていく真面目な戦略のためである。
 
 杉山の死が悲劇なのは、彼自身がこうした処世術の言説空間の外部にあったからである。杉山の真面目さは広告制作者におけるそれとは異なるものだった。その証左は、「「夢」がないのに 「夢」をうるなどは……とても 嘘をついてもばれるものです」という彼の素直すぎる遺言にある。「嘘」を「一種のだまし合いのゲーム」や「ジョーク」と捉えられなかった杉山の死は、広告制作者であるにもかかわらず「作家」として悩まなくてはならなかったという意味において悲劇であったように思う。

 1979年に中村雅俊が主演で放映されたらしいのですが、こちらについては全く知りません。ご存じの方がいらしたら、教えて頂けると幸いです。

テレビCMの青春時代―ふたりの名演出家の短すぎた生涯 (中公新書)

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