お笑いの数量化に思うこと。

oxyfunk2004-09-18

 毎日自転車に乗るようにしている。隣町の書店までくらいが丁度いい。郊外の小さな街であるが、近所には私立大学が二つある。にも関わらず、学生のニーズに耐えうる書店がない。『広告批評』が置いてあるくらいで「まぁマシかも」と思っていたところは、ブックオフになっていた。そのほうが利益が上がるのだろうか。昭和の店構えでおっさんが店番をしているところは、その品揃えの8割がポルノグラフィだったが、そこも遂に撤退。青山ブックセンターがどうのこうのと言っている場合ではない。望みの一軒がいつものところ。新刊の新書をほとんど揃えているので重宝してます。
 書店の棚の見方はいろいろあると思うが、ここになってコンピュータ棚がせりだしつつあるのがとっても気になる。なぜか。街の一般書店でデザイン書を探してみよう。それはかつて「美術・趣味・暮らし」棚になかったか。ところが現在になってデザイナーがクリエイターと呼ばれるようになると同時に、棚も「コンピュータ」に移行しつつあるように思える。このことは販売上の分類だけに還元できない、クリエイターの社会的なイメージを反映しているのではないか。前にも書いたが、職業を「デザイナー」というと「CGですか?」と聞き返されるコミュニケーションは、こうしたちょっとした書籍の配置によって成立しているのかもしれない。