エンブレム問題における広告代理業とグラフィックデザイナー

 旧エンブレム問題をめぐり、組織委員会は第三者からなる有識者会議を発足させ、調査を行うと発表した。2015年10月20日の時点では『日刊スポーツ』のみなのだが、以下のように報じられている。

 「アートディレクター佐野研二郎氏(43)がデザインし、盗作疑惑で白紙撤回となった20年東京五輪パラリンピックの公式エンブレム問題を巡り大会組織委員会が第三者からなる有識者会議を発足させ、調査を開始することが19日、分かった。組織委関係者によると現在、調査に参加する有識者と事前調整中で近々、調査を開始する。
 担当者だったマーケティング局の槙英俊局長、審査委員だった高崎卓馬クリエーティブディレクターらを含め調査を行う見通し。2人は2日、出向解除となり広告大手電通へ戻った。
 両氏は公募開始前、8人に参加要請した「招待状」の送付に関与。応募作品が「104→37→14→4」と絞られる過程で「14作品の中に、8人は何人含まれていたか」という問いに組織委は「調査が終わり次第ご報告する」としており、最大の疑念に迫ることとなる。」(「東京五輪エンブレム問題、有識者会議が調査開始へ」『日刊スポーツ』2015年10月20日http://www.nikkansports.com/general/news/1555017.html)。

 まったくの偶然かもしれないが、この記事が出る前日に別の新聞から取材依頼があり、エンブレム問題における広告代理業とグラフィックデザイナーの関係について見解(2015年10月20日時点)をまとめていたので、以下に公開する。

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 エンブレム問題の前提にはオリンピック観の変化があると考える。それは「トレーニングを積んだ人が競い合うオリンピック」から「市民も参加するオリンピック」へという見え方の変化であり、「少数精鋭の祭典」から「みんなの祭典」への変化である。東京五輪2020の基本コンセプトにも「全員が自己ベスト」と書かれている(https://tokyo2020.jp/jp/vision/)。

 デザイナーは、オリンピックをスポーツだけでなくデザインも競い合うイベントだと考えてきた。だからこそ、公募するにしても高い水準のデザインが選ばれるべきだと考えている(原研哉「デザイン開花する東京五輪に」『毎日新聞』2014年5月28日、http://www.ndc.co.jp/hara/thinking/words/2014/05/post_17.html) 。「東京デザイン2020オープンセッション」(http://tokyo-design2020.jp/)はそのような考えを共有する五つの業界団体が名前を連ね、その活動の延長線上に旧エンブレムの応募資格や審査委員会(細谷巖、永井一正平野敬子浅葉克己、片山正通、高崎卓馬、長嶋りかこ、真鍋大度)があったと言える。

 旧エンブレムは指名コンペではなく公募にしたのだが、それでも「いつものメンバー、いつものやり方」に見えたことは否めない。デザイナーから見れば今までになく「開かれていた」のかもしれないが(原研哉「コンペ 明快な基準を 五輪エンブレム 不可欠な専門性」『毎日新聞』2015年10月5日、http://mainichi.jp/shimen/news/20151005dde018040028000c.html)、そうした文脈を共有しない市民には「やっぱり、閉じている」ように見えたのである。その意味で、旧エンブレムはオリンピックの見え方が変わるなかでデザインという「競技」への参加資格をどのように設定するのかという問題になったのだと思う。

 東京五輪2020に向けては、デザイナーにある種の危機感も共有されていたと思う。例えば、東京五輪2020のエンブレムは東京五輪1964や札幌五輪1972と関連付けられたが、そこに長野五輪1998はなかった 。東京つながりで語るならば、札幌は必要ない。しかしグラフィックデザイナーつながりで語るならば、亀倉雄策永井一正、そして佐野研二郎という順番になる。長野五輪1998のシンボルマークは広告代理店のコンペによって米国のランドーアソシエーツ社が作成したものが選ばれたのだが、グラフィックデザイナーはそのことには触れずに、東京五輪1964の亀倉雄策だけを強調していたようにも見える。

 また別の資料によれば、「長野オリンピックの時には、デザイン関連の全体を見ているプロデューサー」は不在で、「ある代理店は開会式を担当するというように、役割分担をして、それぞれの代理店が担っていた。デザインコミッティーというのがあったというけど、盛り上がらなかった」という(江並直美+原研哉+東泉一郎「2008年大阪オリンピックを考える」『デザインの現場』(美術出版社、1999年2月号)における、原研哉の発言)。グラフィックデザイナーには長野五輪1998が広告代理店に主導されたように見え、そのことに危機感を持っていたのかもしれない。

 このように考えると、旧エンブレムの前提には長野五輪1998における広告代理店の影響力の大きさがあり、グラフィックデザイナーは東京五輪2020でそのようにはならない方向を探り、「東京デザイン2020オープンセッション」から旧エンブレムへの道筋を作ったように思われる。組織委員会マーケティング局長やクリエイティブ・ディレクターはその調整役だったのかもしれない。

 つまり、広告代理店主導の長野五輪1998の反省と危機感を踏まえ、東京五輪2020ではグラフィックデザイナーもそれなりの役割を担えるようにと広告代理店が調整に回った可能性が考えられ、その結果の一つとして八名に送られた事前の参加要請があったのではないかとも見える。

 重要なのは、こうしたことを「業界的にはそれなりに努力をした」とするのか、「それでも透明性が低い」とするのかである。少数精鋭型のオリンピック観を前提にすれば前者にように理解できるし、市民参加型のオリンピック観を前提にすれば後者のように理解できる。旧エンブレム問題は、このようにオリンピック観が衝突するなかで生じた移行期の出来事だったのではないだろうか(2015.10.20)。

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 取材された記事は以下の通りです。
・【記事内コメント】「現代デザイン考:五輪エンブレム問題/1 亀倉雄策の“呪縛”」『毎日新聞』(2015年10月27日夕刊)、http://mainichi.jp/shimen/news/20151027dde018040061000c.html

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※追記:外部有識者による調査が開始されました(2015年10月29日)。

「アートディレクター佐野研二郎氏(43)がデザインし、盗作疑惑で白紙撤回された2020年東京五輪パラリンピックの旧エンブレム問題を巡り29日、外部有識者による調査チームの第1回会合が行われた。
 メンバーは和田衛弁護士(元東京地検検事)、森本哲也弁護士(同)、鵜川正樹公認会計士青学大特任教授)、山本浩法大教授(現エンブレム選考委員、元NHK解説委員)の4人。
 旧エンブレムの選考の関係者を聞き取り調査し、11月までに調査を終える予定。調査結果の公表は年内に行う。
 調査の対象者はエンブレム選考への招待文書を送付した組織委の前マーケティング局長・槙英俊氏(出向解除で現在は電通)、審査委員だった組織委のクリエーティブディレクター高崎卓馬氏(同)、他審査委員7人。そして佐野氏を含めた招待文書を送付されたデザイナー8人らとなる見通し。
 しかし、聞き取り調査を申し入れても断ることはでき、強制力はないため、どこまで真相に迫れるかどうかは定かではない。不正な選考があった場合でも「処分」を科せるかどうかについても、未定だという。
 応募作品が「104→37→14→4」と絞られていく過程で、14作品の中に、招待状送付者8人は何人含まれていたかは既に事実として組織委の事務局が確認済みだというが、広報担当は「それも含めて全てまとめて12月に公表したい」と話すにとどめた」(「五輪エンブレム問題の調査始まる 結果は年内公表」『日刊スポーツ』2015年10月29日、http://www.nikkansports.com/general/news/1559100.html)。

※追記:外部有識者による調査の進捗が報道されました(2015年11月27日)

 白紙撤回された20年東京五輪の旧エンブレム問題で、審査過程を調査する外部有識者チームが、組織委の元マーケティング局長らが昨年11月に開かれた審査会に与えた影響を中心に調査していることが26日、分かった。
 日刊スポーツが入手した調査対象者に送られた質問状には、元マーケティング局長の槙英俊氏と元クリエーティブディレクター高崎卓馬氏の名前が明記され、「審査2日目の冒頭で高崎氏が残った14点の作品について商標上の問題がある作品を指摘しているが、佐野研二郎氏の作品については、どのような指摘があったか」などと書かれていた。
 「T」という単純文字をデザインしたことで、多数の類似作品が出てくる恐れがあったにも関わらず、佐野作品が通過した点に意図がなかったか、注目しているようだ。
 調査チームの公認会計士・鵜川正樹氏は取材に「(槙氏、高崎氏)中心にとは言えないが皆、調査には協力的。調査結果は処罰というより事実のあぶり出し」と話した。
 両氏は公募開始前、佐野氏ら8人に招待文書を送付したことが判明し今年10月に出向解除となり、出向元に戻った。調査対象は他に審査委員7人、招待文書を受け取った8人らとなる見通し。調査結果は12月中に公表される。
 ◆旧エンブレムの経緯 今年7月に発表された佐野作品は、直後にベルギー・リエージュ劇場のロゴに酷似しているとの指摘があった。その後、より「T」の文字が鮮明な原案を公表し、同ロゴとは違うことを訴えたが、それが逆にタイポグラフィの巨匠ヤン・チヒョルト氏(故人)の展覧会ポスターのデザインと酷似していると指摘され、9月1日に白紙撤回に追い込まれた。同月末、組織委が8人に招待状を送付していたことも発覚。10月29日、和田衛弁護士ら4人の外部調査チームが発足した。
(「五輪旧エンブレム問題で調査、佐野作品通過点に注目」『日刊スポーツ』2015年11月27日、http://www.nikkansports.com/general/news/1571849.html

エンブレム問題と組織委員会

 2015年10月2日、東京オリンピックパラリンピック組織委員会は槙英俊・マーケティング局長と高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターの退任を発表した。組織委員会によれば、「旧エンブレムに関する問題の影響で、適正かつ円滑な業務遂行が困難であると判断したため」という(『朝日新聞』2015年10月3日)。槙英俊は組織委員会の旧エンブレム担当者であり、高崎卓馬は旧エンブレムの審査委員の一人だった。二人は組織委員会マーケティング活動を担う専任代理店・電通の社員で、電通から組織委員会への出向を解除された形である。

 この報道に接して思い浮かべたのは、10月1日に発売されていた『週刊新潮』(2015年10月8日号)の「「五輪エンブレム」七転八倒 「新委員会」船出の前に片付けたい「インチキ選考」仰天の真実」という記事である。週刊誌はこれまでもエンブレム問題の報道をしていたが、この記事はこれまでの取材の集大成とでもいうべき「調査報道」になっている。この記事は「電通から来ている2人」(槙英俊と高崎卓馬)が組織委員会で果たしたと思われる役割を複数の取材から浮かび上がらせ、応募デザイナーだけに配布された「エンブレムデザイン制作諸条件」、旧エンブレム策定過程の検証報告書で明らかになった「参加要請文」の本文、旧エンブレムの2位と3位の案なども掲載して、これまで知られていなかった情報に溢れている。

 偶然なのかもしれないが、この記事が出た翌日に二人の退任が発表されている。9月28日の記者会見では、槙英俊・マーケティング局長の戒告処分は組織委員会として写真を無断使用した件に対してであった。高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターは、その時には処分されてはいない。本当に偶然なのかもしれないが、この記事が出た翌日にこの二人の退任が発表されたことで、旧エンブレム問題は一つの折り目を迎え、後は丁寧な検証を待つ状態になったと思う。

 以下は、『週刊新潮』(2015年10月8日号)を踏まえたメモ書きである。

(1)同記事によると、組織委員会は応募したデザイナーに「エンブレムデザイン制作諸条件」という資料を配付し、その「エンブレム策定について(2)」には「3.オリジナリティを持ち国際的に認識されているイメージ(例:各国国旗、国際機関シンボルマーク等)と混同されるようなデザインを含まないで下さい。(IOCの規定による)」と書いてあったという。この記事に従えば、募集の時点でいわゆる「日の丸」と混同されやすいデザインは回避するようにと指示が出ていたのである。

 今になって「エンブレムデザイン制作諸条件」の存在が明らかになり、それを踏まえて佐野研二郎による原案を見ると、確かに最終案のような「大きな円」を見つけることはできない。そこにあるのは、「小さな赤い丸」だけである。しかしこれに対して、組織委員会の内部から「これはおかしい。日の丸を足元に置くなんて」という意見が出ていたのだから(『朝日新聞』2015年9月28日朝刊)、結局のところは「日の丸」として理解されてもおかしくない要素が含まれていたと言える。

 興味深いのは、原案→修正案→最終案と調整されていくなかで「大きな円」が現れ、それにもっともらしい説明を与えようとしたら、結果的には「エンブレムデザイン制作諸条件」に反してしまった点である。「模倣」という見え方に対して「それなりに設計されたデザイン」という見え方を与えようとした佐野研二郎は、8月4日の記者会見で以下のように説明している。

「で、見て頂いてわかるように、(曲線部分を指さしながら)ここのRの部分がありまして、これは今楕円的なものが入っていると思うんですけれども、僕はこれを見て、亀倉雄策さんが1964年の東京オリンピックの時に作られた大きい日の丸というものをイメージさせるものになるんじゃないかなと思いまして、単純に「T」という書体と「円」という書体を組み合わせたようなデザインができるのではなかろうかということを思いました。そこで作ったロゴが、今回のこの東京オリンピックパラリンピックのエンブレムになります」(佐野研二郎による説明、2015年8月4日)。

 『週刊新潮』が組織委員会広報部に問い合わせたところ、「佐野氏が大会エンブレムにデザインした「赤い円」は、見た人が「日本国旗と混同する」ようなデザインではないと考えられ、IOCからも「制作諸条件」には反していないと判断されました」と回答を得たようである(『週刊新潮』2015年10月8日号)。しかし、8月4日の説明ではその「赤い円」ではなく、「大きな円」をどのように見るのかが説明の対象になっている。しかも、佐野はそれを「大きい日の丸というものをイメージさせる」と説明してしまったのである。

 もちろん、円をどのように見るのかは自由である。自由だからこそ、その円をいかに見るのかは誰でもどのようにでも語れる。こうして理解の自由度が高い円に対して、「どのように見てほしいのか」を人びとに訴えたい時、デザインにはコンセプトが必要になる。円をどのように見てほしいのかをデザイナーが説明することで、それなりの見え方を定めるのである。

 したがって、「赤い円」であれ「大きな円」であれ「エンブレムデザイン制作諸条件」によって日の丸との混同を避けるようにと指示をされていたのだから、佐野研二郎による8月4日の説明は言い過ぎであった。原案から最終案に至るまでにコンセプトやデザインの調整があったとはいえ、円については「亀倉雄策さんによるシンボルマークと関連付けて見ることもできます!」という程度で済ませておけばよかったのかもしれない(笑)。

 この点は模倣であるかないかとは別の問題である。「エンブレムデザイン制作諸条件」があったのだから、アーティストのようにオリジナリティに訴えるのではなく、その条件に従ってクライアント=組織委員会のニーズをいかに満たしたのかをデザイナーとして説明すればよかったのだと思う。と同時に、今回の件を通じてデザインとコンセプトの関係は「整合性の水準」というよりも、「とりあえず説明がなされたという事実の水準」で処理されているということが明らかになったと言えるのかもしれない(笑)。

(2)同記事は、高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターが佐野研二郎を「特別待遇」していたのではないかと報じており、その証拠として組織委員会から佐野研二郎へ送付された参加要請文書を掲載している。

平成26年9月吉日
TOKYO2020大会エンブレムデザイン応募について

拝啓
秋晴の候、佐野研二郎様にはいっそうご活躍のこととお喜び申し上げます。
この度、TOKYO2020大会組織委員会2020年東京オリンピック大会、パラリンピック大会のシンボルマークとなる「大会エンブレム」の選定をすることになりました。このマークは、大会そのもののシンボルとして機能するだけでなく、新しい時代のシンボルとして未来が記憶するものにしていきたいと考えており、応募方法も、次世代の才能にも広く門戸を開いた「条件つきの公募」というフェアなスタイルをとることにいたしました。
選考にあたっては、グラフィックデザインの視点はもとより、今後拡張することが予想される様々なテクノロジーとも親和する次世代のシンボルをつくりたいという想いを反映した、審査チームを結成することにいたしました。
世界にむけて日本が発信する大きなメッセージを集約したものになることと思います。今回の応募作品が、すでに日本のデザインのひとつの到達点にもなりうると考えております。
つきましては日本のデザインの今、デザインのこれから、を検証し発見するために、佐野研二郎様には是非この公募に参加していただけないか、と考えております。1964年の東京オリンピック大会のように、佐野研二郎様を含む数名に絞った指名によるコンペという形をとるべきであるとのご意見もございましたが、日本全国からの寄せられる関心の高さもあり、オープンでフェアな審査スタイルをとらせていただくこととなり、このようなお願いをすることになりました。ぜひご検討ください。
敬具

TOKYO2020大会エンブレムデザイン応募事務局
審査委員代表 永井一正(手描きのサイン)
大会組織委員会クリエーティブ・ディレクター 高崎卓馬(手描きのサイン)

このお手紙は9月12日(金)の公募開始より前にお届けしております。12日(金)に東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事会にて報告されたのちに記者会見を行い、応募条件および審査チームを発表・公募を開始いたします。従いまして12日(金)の発表前まではご内密にお願いいたします。
詳しい応募条件は、発表後に改めてご連絡させていただきます。
(『週刊新潮』2015年10月8日号より)

 この文書に従えば、「次世代の才能にも広く門戸を開いた」ものを想定し、その上で「条件つきの公募」にすることが「フェアなスタイル」になると考えていたことがわかる。というのも、「1964年の東京オリンピック大会」は「数名に絞った指名によるコンペ」でシンボルマークを決定したからである。だからこそ、その時と同じく閉じた方法にはならないようにしようと思って、「オープンでフェアな審査スタイル」としての「条件つきの公募」になったと読むことができる。

 旧エンブレム策定過程の検証報告書によると、こうした応募条件の設定は槙英俊・マーケティング局長と高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターで行い、「国内外のトップデザイナーによるコンペとするため、定評あるデザイン賞の複数回受賞者による「条件付き一般公募」で行うことにした」わけだが、これが「閉鎖的との批判」を招いたと言われる。

 グラフィックデザインに通じていない者ならば、そのように見えて当然だと思う。しかし、この文書の文脈に従えば「指名によるコンペ」よりも「オープンでフェア」であることを目指した結果として、「条件つきの公募」に至ったことには一定の理解を示してもよいと思う。少なくとも、「1964年の東京オリンピック大会」よりはまともなやり方を目指したのである。もちろん、それでも「いつものメンバー、いつものやり方」になっていたこと自体に変わりはないのだが(笑)

 その上で問題があるとすれば、このように「オープンでフェア」であることを目指した「条件つきの公募」への参加要請文を、8名のデザイナーに「ご内密に」と書き添えて事前に送付してしまったことであろう。公平性が求められる審査であったにもかかわらず、なぜにしてその8名を事前に選ぶことができたのか。その説明がない限りは、関係者の人脈として解釈されてしまうことは避けられないように思う。

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 インターネット上では、高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターへの注目が早くからなされていた。もちろん私もそのことには気づいていたが、何しろ公開された情報がなかったので、憶測でいろいろと語るわけにはいかなかったし、未だに彼が何をしていたのかはよくわからない。『週刊新潮』(2015年10月8日号)はそうした隙間を複数の取材で埋めようとしているが、やはり本人に話してもらわないと評価できない部分は少なくない。

 今になってみれば、8月から9月にかけては公開された情報が極めて少なく、そうしたなかでラジオや新聞やテレビで見解を述べてしまったことが本当におかしくてしょうがない(笑)。あの状況あのタイミングで「パクリである/ない」以外の論点でグラフィックデザインの話にするのがどんなに「負け戦」であり、またそれでも炎上トピックを抱えた生放送で「面白いですよね〜」と絞り出すのにどんなに苦労したことか(涙)。凄く悔しいけれども、組織委員会の側から見れば「マジで笑える奴」だったのではないかと思う。

 とはいえ、エンブレム問題を通じて「アートとデザインの違い」だけでなく、「グラフィックデザイナーと広告代理業の区別」も多くの人びとに知ってもらえたらいいなと思った。もちろん問題のある部分もあったが、この二ヵ月でグラフィックデザイナーばかりが説明責任を負わされ、広告代理業側がなかなか口を開いてくれないのは、本当に悲しいことだった。あの状況でも自分たちがやっている仕事のことをなんとか人びとにわかってもらおうとしたグラフィックデザイナーのことを忘れてはならないと思う。

 エンブレム問題を通じて、沈黙するしかなかったグラフィックデザイナーたちの仕事がそれなりに評価される社会であってほしい。

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追記(2015.10.15)
・「新マーケティング局長に電通・坂牧氏 東京五輪組織委」『朝日新聞』2015年10月15日

 「2020年東京五輪パラリンピック組織委員会の新マーケティング局長に、組織委のマーケティング活動を担う専任代理店、電通スポーツ局の坂牧政彦氏(48)が就任することが14日、わかった。15日付。
 組織委は白紙撤回された旧エンブレムの選考を担当した同じく電通社員の槙英俊・前マーケティング局長との出向協定を今月2日に解除した。
 坂牧氏は、慶大法学部から90年に電通入社。五輪・パラリンピックのスポンサー獲得や、東京マラソンの立ち上げ、運営などを行った。」(http://www.asahi.com/articles/ASHBG4F5CHBGUTQP00R.html

旧エンブレム策定過程の検証報告書について

 2015年9月28日、東京五輪パラリンピック競技大会組織委員会は「エンブレム委員会」の設置を発表する前に、森喜朗会長がエンブレム問題について「国民のみなさまにご心配をかけたことをおわびしたい」と謝罪した。森会長によれば、「エンブレムのコンセプトの議論がないまま専門的なデザイン性を重視したこと」と「組織委員会内での策定作業が一部職員で行われ、十分なチェック機能が働かなかったこと」が問題だったという(『毎日新聞』2015年9月29日朝刊)。

 そして組織委員会の改革チームを設置すると同時に、武藤敏郎事務総長(月額20%を二ヵ月分)、布村幸彦副事務総長(月額10%を一ヵ月分)、佐藤広両副事務総長(月額10%を一ヵ月分)ら三名の報酬の自主返納と、組織委員会が作成した資料で写真の無断使用があった件で槙英俊マーケティング局長の戒告処分を発表したのである(森会長は無報酬のため自主返納はできない)。

 重要なのは、これと同時に組織委員会が外部有識者の意見を踏まえて作成したという「旧エンブレム策定過程の検証報告書」が示されたことである。そして同報告書によれば、2014年9月の公募発表前に槙英俊マーケティング局長の指示の下、永井一正審査委員長、高崎卓馬クリエイティブディレクターの連名でデザイナー8名に参加要請文書を事前に送付していたことが明らかになり、さらに旧エンブレム選定における上位3名(佐野研二郎原研哉葛西薫)は事前に要請した8名のなかに含まれていたことも判明したのである。

 こうしたことから、組織委員会は事前参加要請と審査結果の関係について外部有識者による調査が必要だとしている。またその他にも同報告書には「秘匿性を最優先し説明や広報が絶対的に不足」、「受賞歴を持つデザイナーに応募条件を限定」、「審査委員の過半数がデザイン関係者で偏りと受けとられた」、「インターネットの画像検索技術の進歩を意識した対策が足りなかった」、「詳細な制作経緯の説明が遅れた」といった反省点が記されている(『毎日新聞』2015年9月29日朝刊)。報告書の要旨は、以下の通りである。

旧エンブレム策定過程の検証報告 要旨(『東京新聞』2015年9月29日朝刊)
 二〇二〇年東京五輪パラリンピック競技大会組織委員会が二十八日発表した旧エンブレム策定過程の検証報告書の要旨は次の通り。 
【エンブレムの考え方】エンブレムは大会の象徴、最重要アイテムであり、策定にあたってはデザインの高度な専門性と国際商標登録のための秘匿性を重視した。しかし策定を急ぐあまり基本的なコンセプトについて詰め切れず、また秘匿性を最優先したため、組織内部での情報共有、議論もされず、国民への広報も足りなかった。このため、国民の強い支持を得られず、類似デザインの存在もあり、取り下げという事態に至った。
【応募要件】選考方法の枠組みづくりは組織委の担当局長、招致の経緯やコンセプトを熟知した組織委クリエーティブ・ディレクターで行った。国内外のトップデザイナーによるコンペとするため、定評あるデザイン賞の複数回受賞者による「条件付き一般公募」で行うことにした。このため、閉鎖的との批判を招いた。制度設計を担当部局のみで行ったためであり、組織全体で検討すべきだった。
【審査委員の選任】競争から質の高いものを選び抜こうと考え「わが国のグラフィック・デザイン界を代表する方」「一流のデザイナー」などの視点で人選を行った。しかし、多様な意見を反映させ、エンブレムを着用する選手などを加えるべきだった。担当部局が「デザイン的に優れたものを作る」という思いだけで走り、策定プロセスが開かれたものでなければ納得感が得られないことに、思いが至らなかった。
【公募・審査】秘匿性に注意を払い、ごく限られた人間しか審査過程に関与しないことにしたため、説明や情報発信などが絶対的に不足し、透明性に欠けた。著作権の問題が生じる可能性は低いかどうかなど、もっと考慮して審査すべきであった。担当局長の判断で八名のデザイナーに事前に参加要請文を送付した。結果的に上位三名は、この八名に含まれていた。事前参加要請と審査結果の関係は、民間有識者による調査が必要。
【原案の修正】当初は軽微な修正で済むと考えていたが、国際商標登録をとるための検討を重ねていくうちに、大きな変更となった。修正は組織委クリエーティブ・ディレクターが佐野研二郎氏に伝達し、修正は佐野氏が行った。審査委員会の役割や組織委員会との関係を事前に詰め、審査委員会が審査委員会として責任を果たせる体制をつくるべきであった。
【発表から取り下げに至る経緯】著作権侵害はないと確信し、法律的に問題ないことを説明し続ければ国民の理解を得られると考えていた。ベルギーのデザイナーが起こしたIOCに対する訴訟への影響を考慮し、国民に制作経緯を説明するのが遅れた。第三者の写真を無断使用した会見用資料のチェックを怠るなど、著作権への認識が不足していた。
【まとめ】「国民に向き合って策定する」「著作権などについてクリアできる案を検討する」などの対応をとっていれば、取り下げには至らなかった。新エンブレムを国民参加で策定し、信頼回復に努める。国民に向き合った組織運営へと転換し、大会準備に全力を挙げる。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tokyo_olympic2020/list/CK2015092902000200.html

 組織委員会としては、旧エンブレムの問題を(1)エンブレムの考え方、(2)応募要件、(3)審査委員の選任、(4)公募・審査、(5)原案の修正、(6)発表から取り下げに至る経緯、の六つに分けて示した形になっている。

 先とは別の整理をすれば、(1)エンブレムの考え方については基本的なコンセプトも決めずに秘匿性を最優先した点、(2)応募要件についてはマーケティング局長とクリエイティブディレクターの二名で決定していた点、(3)審査委員の選任についてはグラフィックデザイナー中心になっていた点、(4)公募・審査については八名のデザイナーに事前に参加要請文を送付していた点、(5)原案の修正については審査委員会への報告が適切になされていなかった点、(6)発表から取り下げに至る経緯については対応の遅さと著作権認識が不足していた点である。

 この時点で最も問題があると思われたのは、(4)公募・審査の「八名のデザイナーに事前に参加要請文を送付していた点」である。民間企業がクライアントの場合、デザイナーを予め指定して「指名コンペ」を行うこともあるだろう。しかし組織委員会公益法人であり、しかもエンブレムの選考を「公募」を行うとしていた以上、それなりの公平性が求められる。

 もし参加要請文を送付した8名のデザイナーだけでコンペを行うのであれば、なぜにしてその8名なのかを組織委員会がクライアントとして説明し、人びとに理解を求めればよい。しかし実際には公募として104点の応募があり、しかも上位3名は事前に参加要請した8名に含まれていた。こうなれば、審査そのものが疑われても仕方がない。組織委員会にはさらなる検証とその公開が求められる。

 振り返ってみれば、エンブレム問題は原作者に模倣の疑いが掛けられたことで始まったのであった。しかし、模倣の疑いを解こうと説明を重ねる過程において、組織委員会にも問題が少なくないことが明らかになってしまった形である。

 これまでは応募する側のグラフィックデザイナーにだけ説明責任が求められてきた状態だったが、このような展開になれば組織委員会マーケティング局長及びクリエイティブディレクターにも説明責任が求められる。グラフィックデザイナーと広告代理業がどのような関係にあるのかはこれまで殆ど明らかにされてこなかったが、今までの慣習と今回のエンブレムの件がどのように区別されていたのかはさらなる説明が求められるところだ。

 とりわけ今回処分を受けなかった「クリエイティブディレクター」とは、組織委員会でどのような役割を担っているのか。グラフィックデザインへの信頼を回復するためにも、広告代理業の方には是非とも口を開いてもらいたい。

五輪エンブレム委員会とコンセプト

 2015年9月16日に発足した「東京2020エンブレム選考に向けた準備会」は、9月18日、21日、24日の三回の会合を経て、9月28日に組織委員会の理事会を経て「エンブレム委員会」を設置することになった。組織委員会によれば、「準備会では当初の目的としていた基本方針には踏み込まず、前回の失敗を踏まえた論点整理のみ」に留まり、宮田座長は「今回まとめた論点を、改めて委員会の委員と議論し、最終的なものにしていきたい」と語っていたので(http://www.sankei.com/sports/news/150924/spo1509240047-n1.html)、選考の基本方針は今後のエンブレム委員会で決められていくことになる。9月28日に発表されたメンバー、ポイント、論点、コメントは以下の通りである。

▼メンバー(2015年9月29日発表)
[委員長]宮田亮平(東京藝術大学学長)、今中博之(社会福祉法人素王会理事長)、榎本了壱(クリエイティブディレクター/京都造形芸術大学客員教授)、王貞治福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役会長/一般財団法人世界少年野球推進財団理事長)、柏木博(武蔵野美術大学教授)、志賀俊之日産自動車株式会社取締役副会長)、杉山愛(スポーツコメンテーター/元プロテニス選手)、田口亜希(パラリンピック射撃日本代表/一般社団法人パラリンピアンズ協会理事)、但木敬一(弁護士/元検事総長)、田中里沙(「宣伝会議」取締役副社長兼編集室長)、夏野剛慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 特別招聘教授)、西崎芽衣(一般社団法人ならはみらい事務局(立命館大学休学中))、長谷川祐子東京都現代美術館チーフキュレーター/多摩美術大学教授)、林いづみ(桜坂法律事務所弁護士)、フミ・ササダ(株式会社ブラビス・インターナショナル 代表取締役社長)、松井冬子日本画家)、松下計(東京藝術大学教授)、マリ・クリスティーヌ(異文化コミュニケーター)、山本浩(法政大学スポーツ健康学部教授)
※2015年10月16日追加メンバー:勝井三雄(グラフィックデザイナー)、中西元男(デザインコンサルタント/PAOSグループ(東京・上海)代表)
▼今後の選考において踏まえるべきポイント
・エンブレムの考え方:国民的行事のエンブレムであることを強く意識して、エンブレムにどのような思いをこめるのか基本的なコンセプトを検討し、それを明確に伝える。
・応募要件:できる限り広く国民参加できる仕組みを用意する必要がある。一方で、応募数が非常に多くなることが考えられ、選考に係る時間やコストについても考慮が必要。
・審査方法:プロセスについて、できる限り情報発信を行う必要がある。特に審査の過程で国民が参加できるような手法を検討したい。また、商標、著作権への対応や、ネット対応なども専門的観点から検討する必要がある。
▼エンブレムの考え方と応募要件について、検討すべき具体的な論点
・エンブレムの考え方:基本的なコンセプトをどのようにするか、大会ビジョンとはどう結びつけるのかなどを検討する必要がある。
・応募要件:できるだけ広く応募できるようにするとして、年齢や国籍の要件をどうするか、応募期間や提出方法はどうするかなどを早急に検討しなければならない。
東京2020エンブレム委員会 宮田委員長コメント
今後発足するエンブレム委員会においては、本日理事会で了承された案をたたき台として、透明性の高い議論と手続のうちに、皆様に愛され、ときめきを共有し、世界に発信できるような新たなエンブレムを作っていきたいと考えております。
https://tokyo2020.jp/jp/news/index.php?mode=page&id=1475

 なおここまでの経緯として、準備会は「新エンブレムを作るのが第一で検証だけが目的ではない」という立場であり、「準備会として佐野氏や前回の審査委員会の永井一正代表を呼んで聞き取りを行うことは否定」していた(http://www.nikkansports.com/general/news/1541912.html)。また旧案については、リエージュ劇場が国際オリンピック委員会(IOC)に使用差し止めを求めた訴えを9月21日に取り下げる方針を示した一方で、デザイナーのオリビエ・ドビ氏は訴訟を続ける方向である(http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG22H2M_S5A920C1000000/)。

 さらに、組織委員会が選考過程でいかなる役割を果たしていたのかも『朝日新聞』(2015年9月28日朝刊)の取材で明らかにされ始めた。旧案の原案に対して「若干類似する作品が見つかった」という指摘だけではなく、「これはおかしい。日の丸を足元に置くなんて」という意見が組織委員会の内部から出ていたようである。そして、これらを踏まえて作成された修正案に対して「躍動感がなくなった」と、森喜朗会長及び武藤敏郎事務総長が述べていたのである。そこで最終案が再度示されることになったのだが、こうした調整を行ったこと自体が組織委員会から審査委員会へ知らされていなかったというわけである(http://www.asahi.com/articles/ASH9W5Q3GH9WUTQP02L.html)。

 要するに、クライアントである組織委員会は審査委員会の役割を明確にしないまま選考を進めていた。だからこそ、「真剣に検討し選んだものは、いちばん最初の原案であるので、ここについてはそのプロセスを経ていない」(平野敬子審査委員)という意見も出たわけである。最終的には平野敬子を除く7名の審査委員が承諾することで旧案の決定に至るわけだが、原案から最終案に至るまでの手続きに不備があったと言わざるをえない形である。

 ここまでを踏まえ、9月29日に第1回エンブレム委員会が開催された。旧エンブレムでは組織委員会が応募要項策定と審査委員の選任を行い、審査委員会が条件付き公募(デザイン賞を複数受賞したデザイナーが対象)によって審査(104点)を行っていたが、新エンブレムではエンブレム委員会が「再選考の準備会」→「エンブレム委員の選出」→「基本コンセプト、応募要項、審査方法の策定」→「幅広く募集」→「審査」という流れを管理することになる(『東京新聞』2015年9月30日)。組織委員会としては、クライアントとしての態度を明確にすることもエンブレム委員会の役割に組み込み、そのニーズに適ったデザインを選考するという形になっている。現時点では、10月中旬から公募を始め、2016年春には新エンブレムを決定することが目指されている。

 なお、組織委員会は「エンブレム選考特設ページ #東京2020エンブレム」(https://tokyo2020.jp/jp/emblem-selection/)を設け、そのなかで「エンブレムの選定に関するアンケート」(2015年9月29日〜10月4日、https://www.facebook.com/tokyo2020.jp/posts/878859008871404)を実施し始めた。「アンケート結果は、エンブレム委員会に提出いたします」と書かれた質問内容は、以下の通りである。

【みなさまの声をお聞かせください】
 第1回エンブレム委員会において、エンブレムに込めるべき想いについて議論を行いました。その基本となる東京2020大会の“大会ビジョン”は以下の画像にある通りです。この“3つの基本コンセプト”のうち、大会エンブレムのイメージとして、どれが最もふさわしいと思いますか?クリックまたはタップでお答えください。
アンケート期間:2015年9月29日(火)〜10月4日(日)
※アンケート結果は、エンブレム委員会に提出いたします。
「スポーツには世界と未来を変える力がある。1964年の東京大会は日本を大きく変えた。2020年の東京大会は「すべての人が自己ベストを目指し(全員が自己ベスト)」、「一人ひとりが互いを認め合い(多様性と調和)」、「そして、未来につなげよう(未来への継承)」を3つの基本コンセプトとし、史上最もイノベーティブで世界にポジティブな改革をもたらす大会とする」
1.「全員が自己ベスト」
2.「多様性と調和」
3.「未来への継承」
https://www.facebook.com/tokyo2020.jp/posts/878859008871404

 先にも述べたように、組織委員会は「基本コンセプト」の策定もエンブレム委員会に委ねている。だから、このようなアンケートも行われる。しかし、組織委員会がクライアントとしてコンセプトを決められないようでは困る(笑)。

 組織委員会がクライアントとしての態度を明確にするためには、コンセプトに対しての説明責任を引き受ける必要がある。というのも、そもそもオリンピック・パラリンピックの主催者に組織委員会は名を連ねているからである。したがって、クライアント=組織委員会としてコンセプトを明確にし、その上で市民も含めた広い公募を行い、応募者はクライアント=組織委員会が示したコンセプトにどう応えたのかという「もっともらしさ」を説明し、競えばよい。またエンブレム委員会の多様な顔ぶれは、ここでの「もっともらしさ」を複数案にまで絞り込むために活用すればよい。というか、そこまでしかできないと思う。

 もっと市民参加が必要ならば、その次のタイミングである。クライアント=組織委員会が示したコンセプトが明確であり、それに対応した応募案をエンブレム委員会が絞り込み、複数の「もっともらしさ」のなかから市民投票をした上で、クライアント=組織委員会が最終決定を行う。これで最善のデザインが選ばれるとはとても思えないのだが、旧エンブレムのように専門家に全てを委ねるのではなく、新エンブレムに市民参加の回路を組み込もうとすれば、このようなやり方にもなる。

 『クローズアップ現代』(2015年9月3日)に出演した時に、「どこまでを専門性として認めるかをみんなで考えていくのが重要」と話した。このように言うのは簡単なのだが(笑)、どの水準でどのように市民が関わるのかはその都度考えていかなくてはならない。新エンブレムに関していえば、応募者としての水準と投票者としての水準なのだと思う。

 現在のところ、組織委員会はエンブレム委員会にコンセプトの設定を委ねている。しかし、コンセプトの設定はクライアントである組織委員会で行うものではないか。新エンブレム委員会は選考の進行管理に徹し、最終決定はクライアント=組織委員会で行ってほしい。批判やあら探しに耐えうる新エンブレムを選ぶためには、コンセプトを明確に定めたクライアント=組織委員会が責任を持って応募者を守れないとダメだからである。落選者が「めっちゃ悔しい!」と思える公募結果になった時、クライアント=組織委員会は旧案の失敗を少しだけ乗り越えることができるのだと思う。

 もちろん、エンブレム委員会を組織委員会の一部として考えるか、それとも組織委員会とは切り離してエンブレム委員会の役割を考えるかで見解が分かれるところである。私としては後者で考えている。オリンピック・パラリンピック開催に賛成であれ反対であれ、そこそこまともな手続きでエンブレムのデザインが選定されてほしいと思う。

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追記
・10月5日に第2回アンケートが公開され、今度は評価基準が尋ねられた。

【みなさまの声をお聞かせください】
 第1回目のアンケートにお答えいただいたみなさんありがとうございました!続いて次の質問です。東京2020大会エンブレムの選考にあたって最も大事なことは、次のうちどれだと思いますか?クリックまたはタップで投票ください。なお、投票の結果はエンブレム委員会での議論の参考にさせていただきます。
アンケート期間:2015年10月2日(金)〜10月8日(木)
(1)東京2020大会のシンボルになること
(2)デザインとして優れていること
(3)オリジナリティにあふれ、個性的であること(独創性)
(4)多くの人に共感してもらえること
https://www.facebook.com/tokyo2020.jp/posts/880051458752159

・10月16日に第3回エンブレム委員会が開催され、公募スケジュールと公募要項が公開された。

2015年10月16日:応募要項公表
2015年10月中:応募サイトの概要公開
2015年11月24日 正午:募集受付開始
2015年12月7日 正午:募集受付終了
https://tokyo2020.jp/jp/emblem-selection/

・11月30日に第6回エンブレム委員会が開催され、以下の方針が示された。

 11月30日、第6回のエンブレム委員会を開催しました。今回は、デザインのチェック方法と年明けのエンブレム委員会での選考方法について議論をいたしました。
 デザインのチェックはエンブレム委員会のメンバー(※1)に加え、エンブレム委員以外のデザイナーの方々と実施します。1作品ごとにモニターに映し、一定レベルの評価を得た作品が次の選考に進みます。一度審査が済んだ作品を見直して再検討するステップも実施することにしました。さらに審査の透明性を高めるために、すでに実施している文書による選考方法の公開に加え、映像なども含めたプロセスの共有のあり方(※2)についても議論致しました。丁寧でフェアな選考に向けた様々な施策について活発な意見が交換されました。今後、各選考段階での通過作品数についても適宜公開する予定です。
 また、来年の1月7〜9日での実施が決まったエンブレム委員会での本審査の基本方針(※3)も決まりました。この審査で絞り込まれた作品が、国際オリンピック委員会による国際商標調査に進む予定です。
 次回の委員会では、国際商標調査に関する確認や国民参加の方向性などについて引き続き議論を行います。

※1 デザインのチェック参加予定メンバー(50音順)
今中博之、榎本了壱、柏木博、勝井三雄、田口亜季、但木敬一田中里沙、中西元男、夏野剛長谷川祐子、フミ・ササダ、松井冬子、松下計
*エンブレム委員会メンバー以外の審査メンバーについては確定次第、本Webサイトに掲載いたします。 →第7回エンブレム委員会の後に公開
※2 審査プロセスの共有のあり方
実施方法については、確定次第、本Webサイトに掲載いたします。
※3 エンブレム委員会での本審査の基本方針
・十分な審査時間を確保するために、形式審査、デザイン審査を経た100〜200作品程度を対象とする。
・応募作品は紙媒体で審査を行う。
・エンブレムデザイン案、デザイン展開案、作品タイトル、コンセプトをあわせて評価する。
・全エンブレム委員が参加し、投票・議論を行い、商標調査を行う作品を選考する。
https://tokyo2020.jp/jp/news/index.php?mode=page&id=1556

・2015年12月8日に第7回エンブレム委員会が開催され、以下が報告された。

 12月8日、第7回のエンブレム委員会を開催しました。会の冒頭に、前日に締め切ったデザイン募集の結果14,599作品(※1)という多くの応募があったことが報告されました。また、2段階で行われるデザインチェックにおける審査風景の一部をライブ配信(※2)することも決定しました。今回の主な議題として、年明けのエンブレム委員会での本審査の選考方法について最終議論をいたしました。3日間をかけて段階的に投票と議論を繰り返し、商標調査(※3)に進める作品を絞り込みます。エンブレム委員会メンバー全員が多様な視点で審査をいたします。
 さらに、国民参画のあり方についても議論。具体的な実施方法の議論の前提として、参加の公正性に関する議論(※4)をふまえ、候補作品への意見を募る方向で意見交換がなされました。また、商標調査と作品公開のタイミング(※5)や類似著作物に対する考え方(※6)についても共有いたしました。具体的な国民参画の実施方法は引き続き議論することとなりました。
 次回のエンブレム委員会は本審査を行う来年の1月7〜9日です。年内に完了予定の形式チェックやデザインチェックの経過報告については、12月下旬に当サイトでご報告の予定です。
※1 デザイン募集の結果について
■ 応募数総計 14,599件 (詳細は省略)
※2 デザインチェックの審査風景の一部ライブ配信について
・配信方法とスケジュールについては、近日中にエンブレム選考特設ページで発表します。
 あわせて審査方法や審査員の紹介などの動画コンテンツも公開予定です。
※3 商標調査について
・エンブレムが国内外で商標登録可能かの調査については、一定期間を要することから、複数の候補作品に対する調査を平行して行う必要があること。
・商標調査には一定の費用と期間を要するため、多数の作品を調査にかけることは困難。1月9日のエンブレム委員会本審査で、商標調査に進める候補作品を絞り込む予定。
※4 参加の公正性についての議論ポイント
・エンブレム委員会が公式に国民参画による審査を行う場合は、公正な参加が担保される方法で実施すべき。例えば、厳密に1人1票が守られないならば、人気投票のような直接的な参加方法は実施すべきではないのではないか。
・候補作品を公開して作品への意見を広く募集することは、参画の機会であるとともに、エンブレム委員会の最終選考にも反映できるため大変意義深い。
※5 国民参加に必要な候補作品を公開するタイミングについて
・法的な観点から、候補作品を公開するタイミングは、商標調査をクリアし、商標登録出願が完了した後になること。
※6 類似著作物に対する考え方について
著作権は、商標権のように行政庁への登録を必要とすることなく権利が発生するため、類似しているものがあるかどうかをあらかじめ完全に調べる方法は存在しないこと。
著作権とは著作物を無断で模倣、コピーされない権利であって、偶然類似している場合には著作権侵害とはならないこと。
・よって、仮に採用作品と偶然に類似したものが発見されたからといって、直ちに著作権侵害となるわけではないこと。
・応募者は、応募にあたり、第三者著作権等を侵害していないことを確約してエントリーしていること。
・応募要項において、制作過程の情報やスケッチ・デッサン等を確認することがありうる旨を伝達しており、採用候補作品の決定後において、必要に応じてこれらを取り寄せることも考えられること。
https://tokyo2020.jp/jp/news/index.php?mode=page&id=1561

・また2015年12月8日に第7回エンブレム委員会開催後に、エンブレム委員会メンバー以外の審査メンバーが公開されました。

審査員一覧
・委員
松下計(東京藝術大学教授)、フミ・ササダ(株式会社ブラビス・インターナショナル 代表取締役社長)、夏野剛慶応義塾大学大学院 政策・メディア研究科 特別招聘教授)、榎本了壱(クリエイティブディレクター/京都造形芸術大学客員教授)、柏木博(武蔵野美術大学教授)、中西元男(デザインコンサルタント/PAOSグループ(東京・上海)代表)、勝井三雄(グラフィックデザイナー/勝井デザイン事務所代表)
・審査員
青木克憲(クリエイティブディレクター)、天野幾雄(アートディレクター/グラフィックデザイナー)、岩上孝二(グラフィックデザイナー/崇城大学芸術学部教授)、カイシトモヤ (アートディレクター)、鎌田順也(アートディレクター/グラフィックデザイナー)、河北秀也(アートディレクター)、工藤強勝(グラフィックデザイナー)、左合ひとみ(グラフィックデザイナー)、高橋善丸(グラフィックデザイナー/大阪芸術大学教授)、寺島賢幸(アートディレクター)、中島祥文(アートディレクター)、はせがわさとし(株式会社D-NET&SDC project代表)、増永明子(アートディレクター/デザイナー)、宮田裕美詠(グラフィックデザイナー)、森重正治(アートディレクター/グラフィックデザイナー、有限会社アドボックス 代表取締役)、山形季央(多摩美術大学グラフィックデザイン学科教授)、加藤芳夫(公益社団法人日本パッケージデザイン協会理事長)、田川雅一(公益社団法人日本パッケージデザイン協会理事、株式会社ベネディクト 代表取締役社長)、宮崎桂(公益社団法人日本サインデザイン協会副会長、株式会社KMD代表取締役)、金田享子(公益社団法人日本サインデザイン協会常任理事、アトリエ景株式会社代表取締役
https://tokyo2020.jp/jp/emblem-selection/

・審査の進め方がまとめられました。

(1)形式要件のチェック(対象は14599点、通過作品は10,666点)
①事務局の職員総勢110名で、応募要項に記載の制作条件のうち、基本的な項目を満たしているか確認を行いました。
②形式要件のチェック①を通過した作品について、法的な観点から簡易確認を行いました。
(2)デザインのチェック①(12月15日より審査開始、対象は10666件、通過作品は311点)
 形式要件のチェック②までを通過した作品について、少人数複数のグループで、デザイン的な視点から審査します。※12月15日(火)8:45から10:15まで審査風景の一部をライブ配信する予定です(音声は一部を除き一切配信することができません)。
(3)デザインのチェック②(12月21日より審査開始、対象は311点、通過作品は64点)
 デザインのチェック①を通過した作品について、大人数1グループで、デザイン的な視点から審査します。
(4)エンブレム委員会での審査(2016年1月7日〜9日に審査、対象は64点)
 3日間をかけて段階的に投票と議論を繰り返し、商標調査に進める作品を絞り込みます。
エンブレム委員会メンバー全員が多様な視点で審査します。
https://tokyo2020.jp/jp/emblem-selection/

五輪エンブレムの準備会について

 2015年9月1日に取り下げられた東京オリンピックパラリンピックのエンブレムは、組織委員会に「東京2020エンブレム委員会(仮称)を設置するための準備会」を設置し、「新たなエンブレム選定のための東京2020エンブレム委員会(仮称)のメンバー選定、旧エンブレム選定に関しての問題点の把握、その結果を踏まえた新たなエンブレム選定の基本方針の決定」を行うことになり、9月16日に準備会のメンバー六名と座長によるコメントが以下のように発表された。

▼メンバー
宮田亮平:東京藝術大学 学長(座長)
杉山愛:スポーツコメンテーター/元プロテニス選手
但木敬一:弁護士/元検事総長
夏野剛慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 特別招聘教授
・マリ・クリスティーヌ:異文化コミュニケーター
・山本浩:法政大学スポーツ健康学部 教授/元NHKアナウンサー・解説委員
▼座長コメント
 東京オリンピックパラリンピックのエンブレムに関しては、非常に国民的にも関心の高いものとなっており、新たなエンブレムの策定に向けた準備会の座長に就任することは重責ではありますが、光栄でもあります。
 私としては、2020年のオリンピック・パラリンピックが日本全国で盛り上がるために、できるだけたくさんの方に参画いただきながら、国民の皆様に愛され、ときめきを共有できるエンブレムを作ることを目指していくよう努めてまいりますので、ご支援よろしくお願いいたします。
https://tokyo2020.jp/jp/news/index.php?mode=page&id=1459

 なおここまでの経緯としては、組織委員会が理事会の決議を経ずにエンブレムを取り下げたことを問題視する発言が、9月7日の日本オリンピック委員会(JOC)の理事会であがっていた(http://www.asahi.com/articles/ASH9765SXH97UTQP02M.html)。また9月11日には組織委員会自体がエンブレムの使用例として制作した画像8点のうち写真3点に画像の無断使用があったことが判明し(http://www.asahi.com/articles/ASH9C6VQ9H9CUTQP02P.html)、さらに9月14日にはもう1点(合計4点)の無断使用が判明していた(http://mainichi.jp/sports/news/20150915k0000m040076000c.html)。こうしたなかで、組織委員会では「最終候補に残った数点を公表し、国民の意見を聞いたうえで最終決定する選考方法を検討している」という報道も出ており(http://www.asahi.com/articles/ASH9864ZRH98UTQP033.html)、ようやく準備会の設置に至った状態である。

 本稿はこれまでの展開を踏まえつつ、ここまでに考えたことをメモしたものである。

(1)21世紀になってからは地方公共団体におけるマスコットキャラクターの選定などで市民参加の経験が積み重ねられているので、その関係者にヒアリングなどを行い、市民と行政とデザイナーの関係をどのように調停し、またそのこと自体をどのように市民に説明したのかを丁寧に調査しながら、新しいエンブレムの選定に向けて「市民の関わり方」を複数抽出することが可能ではないだろうか。そして、この複数の「市民の関わり方」のなかからどれをどのような理由で選択したのかを適切に説明すれば、少なくともこれまでよりは手続きの透明化が進んだようには見える。この路線でいけば「市民参加」の側面が目立つようにはなるが、専門性では評価の難しいデザインが選ばれることもある。

(2)エンブレムの選定とマスコットキャラクターの選定は区別する必要があるが、デザイナーの関わり方もいくつかの選択肢がありえる。エンブレムにおいてグラフィックデザインの専門性を重視する場合は、古くから印刷技術に親しんでいる世代とデジタルメディアにも親しんでいる世代の違いを踏まえる必要がある。またエンブレムの「展開力」を重視するなら、映像、ウェブ、空間において何をどのように評価しているのかを適切に説明する必要もある。

 組織委員会はクライアントとしてのニーズをもっと明確にし、それに適ったデザインを採用するのがもっともらしい。言い方を変えれば、審査委員会及び応募デザイナーに「丸投げ」したような形にはしないでほしい。取り下げ案のように「専門家」と「一般国民」という区別を強調するのではなく、デザイナーによる提案はクライアントとしての要望をどのように満たしていたのかという説明を尽くしてほしい。

 「クライアントありきのデザインにおいては原作と最終案は調整のなかで変わることもあり、コンセプトもそのなかで最終決定される」と設定しておけば、ある程度の自由度も保たれる。この路線でいけば「専門家」の側面が目立つことになるが、クライアントが説明を尽くすことで批判やあら探しに耐えうる、そして後世の人からも評価されるデザインが選ばれることもある。

(3)クライアントとしての態度はもっと明確にしてほしい。そもそも商用利用を前提にしていることを適切に説明し、それに対してどのような批判があっても、そういう前提でクライアントとしてどのようなニーズを持っており、その条件を踏まえたデザイナーによる提案を引き出す形にすれば今までよりもわかりやすいのではないか。

 アートとデザインの違いを混同されないためにも、クライアントありきのデザインにおいては原案から最終案までにデザインやコンセプトが調整されうることを認め、そのつど説明を尽くせばよい。絶対に批判されないデザインはないので、見た目の印象論に寄り切られない説明が求められる。

(4)『クローズアップ現代』(2015年9月3日、http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3700.html)で「どこまでを専門性として認めるかをみんなで考えていく」と述べたが、みんなが専門性をそれなりに尊重する社会であってほしい。そのためにも、クライアントはしっかり説明責任を果たすと同時にデザイナーを選んだことにも責任をもって対応してほしい。

 そのためにも、決定案だけを見せるのではなく、決定案に至るまでの候補を複数公開し、「どのような理由でほかでもなくこの選考方法にし、またこの決定案にしたのか」の説明を尽くすことが、専門性へそれなりに配慮をした市民への公開になるとは思う。また前案を取り下げるにいたった経緯とそれに対する見解も公式ホームページで適切に公開したほうが、信頼度は上がると考える。「失敗」への対応を褒めてもらえるようにすることが、今後の第一歩ではないだろうか。

エンブレム問題への見解のまとめ

 2015年8月28日に東京オリンピックパラリンピック組織委員会によってエンブレムの選考過程の説明があり、9月1日にはエンブレムの使用中止に関する記者会見があった。28日の説明は審査委員の代表である永井一正氏が「審査の過程も公表したほうがいい」(『朝日新聞』2015年8月26日)と述べたのを受けた形になっているが、そこで公表されたエンブレムの展開例の写真及び最終案とは異なる原案がインターネット上で再び「パクリ探し」の対象となり、その三日後にエンブレムの使用中止が発表されることになった。

 また、8月26日の時点で永井氏は「微修正を、大会組織委員会の依頼で何度か施した。審査委員に修正過程は伝わっていないが、皆さん最終案を承認したはずだ」(『朝日新聞』2015年8月26日)と述べていたのだが、そのこと自体が9月3日のNHKによる取材で再確認され、エンブレムの原案決定後は組織委員会と原作者の間で修正を繰り返し、審査委員会は発表一週間前に最終案を知らされていたことが明らかになった。エンブレムの白紙撤回を受け、再公募では「過程を公開して一つ一つの作業を理解してもらう形で進めていく」方向が探られようとしている(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150904/k10010215901000.html)。

 ここに至るまでの見解は、以下で公表した通りである。本稿では、その過程で気づいたことをメモしたものである。

・「グラフィックデザインと模倣の歴史的な関係:亀倉雄策佐野研二郎」(2015年7月30日)
http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150730
・「デザインは言葉である:東京五輪エンブレムと佐野研二郎」(2015年8月5日)
http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150805
・「アートディレクターと佐野研二郎」(2015年8月15日)
http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150815
・【ラジオ出演】「東京五輪エンブレム問題。その本質を考える?」(2015年8月18日、TBSラジオ『Session-22』)
http://www.tbsradio.jp/ss954/2015/08/20150818-1.html
・【記事内コメント】「「酷似」ネット次々追跡」『朝日新聞』(2015年9月2日朝刊)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11943116.html
・【記事内コメント】「Net critics central to Olympics logo scandal」『The Japan Times』(2015年9月3日)
http://www.japantimes.co.jp/news/2015/09/02/national/olympics-logo-scandal-highlights-power-of-the-internet-critic/#.Ver5WM4fNjc
・【テレビ出演】「東京五輪エンブレム“白紙撤回”の衝撃」『クローズアップ現代』(2015年9月3日、NHK
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3700.html
・【寄稿】「市民参加への道を探ろう」『毎日新聞』(2015年9月4日朝刊)
http://mainichi.jp/shimen/news/20150904ddm004070017000c.html

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・【記事内コメント】「現代デザイン考:五輪エンブレム問題/1 亀倉雄策の“呪縛”」『毎日新聞』(2015年10月27日夕刊)
http://mainichi.jp/shimen/news/20151027dde018040061000c.html
・【対談】河尻亨一+加島卓「五輪エンブレム問題、根底には「異なるオリンピック観の衝突」があった:あの騒動は何だったのか?」『現代ビジネス』(2015年12月28日)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47099
・【対談】河尻亨一+加島卓「「五輪エンブレム調査報告書」専門家たちはこう読んだ〜出来レースではなかった…その結論、信じていいのか?」『現代ビジネス』(2015年12月29日)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47141
・【対談】河尻亨一+加島卓「デザイナーをアーティストに変えた広告業界の罪〜日本のデザインはこれからどうなる?:五輪エンブレム騒動から考える」(2015年12月30日)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47191

※被引用記事:増田聡「オリジナリティと表現の現在地──東京オリンピック・エンブレム、TPP知的財産条項から考える」
http://10plus1.jp/monthly/2016/01/issue-03.php

(1)TBSラジオ『Session-22』に主演した時は弁護士の福井健策さんと一緒だったので、法的な説明は福井さんにお願いし、私はデザインに関する説明(アートディレクターとグラフィックデザイナーの違い、デザインにおける責任の所在、インターネット以前と以後のデザインへの批判の違い)に徹するように努めた。事前の打ち合わせでは著作権、商標権、意匠権の違いを説明してもらえると大変助かるとお願いし、番組のなかでは著作権と商標権の違いを説明してもらう形になった。著作権侵害としての「パクリ探し」が行われていた状態だったが、オリジナリティを主張するアートとは異なり、クライアントありきのデザインに著作権法がどこまでどのように適用されうるのかを見極める必要があると考えたからである。

 シンボルマークなどのグラフィックデザインはクライアント側で登録する商標権と関連付けられてきた。しかし、原作者(デザイナー)のオリジナリティが著作権の水準で語られることはこれまで多くはなかった(知恵蔵裁判やフォントの事例など)。現在のところ、福井さんは「一つは対象マーク、つまり劇場ロゴが著作物にあたること、二つ目は今回のエンブレムがロゴと実質的に類似していること、三つ目は佐野さん側が劇場ロゴを見たことがあること。この三つがすべてそろわないと著作権侵害は成立しません。さらに、三つの立証責任はすべて訴えたベルギー側にあります」との見解を示している(http://mainichi.jp/premier/business/entry/index.html?id=20150904biz00m010047000c)。

(2)8月28日の組織委員会による説明は、エンブレムの選考過程をかなり具体的に明らかにしたものだった。このような展開にならざるを得なかった今回の事情があるとはいえ、何事もなければ最終案しか知らされなかったであろう私たちが、7月24日の発表に加えて、8月5日の原作者によるデザインの説明、8月28日の選考過程の具体的な説明まで知れるようになったのは、少なくとも今までなかったことであり、結果的には透明度が上がったと考えることもできる。

 選考過程の具体的な説明は、グラフィックデザイン業界的における「いつものメンバー、いつものやり方」を改めて浮上させることになった。その結果として、「いつものメンバー、いつものやり方」の恩恵を受けてきたデザイナーとその恩恵を受けてこなかったデザイナーとでは、今回の事態に対して異なる反応が可能になっているように見えた。

 また、原案と修正案と最終案の違いが判別できるようになり、原作者によるデザインの説明が最終案にしか対応していないようにも見え始めた。現時点で原案のコンセプトは公表されてなく、原案に対しては視覚的な印象論を述べるしかない状態である。「クライアントありきのデザインにおいては原作と最終案は調整のなかで変わることもあり、コンセプトもそのなかで最終決定される」と組織委員会が説明すれば、もう少し別の見え方が可能だったのかもしれない。

 組織委員会及び審査委員会はエンブレムの「展開力」を評価したと説明していたが、「評価の高い展開力」と「評価の低い展開力」の違いを示されたわけではないので、現時点でもあのエンブレムの「展開力」をどのように評価すればよいのかは十分に定められていないように思う。また修正案に対して「躍動感が少なくなってしまった」という意見も出たようだが、これについても「躍動感が多い状態」と「躍動感が少ない状態」の区別が示されなかったので、十分な説明にはなっていなかったように思う。

 さらに、1964年東京五輪のシンボルマーク、1972年札幌五輪のシンボルマークの隣に2020年東京五輪のエンブレムが並べられたことで、1998年長野五輪のシンボルマークの位置づけがよくわからなくなった。組織委員会の説明によれば、1998年長野五輪では広告代理店によるコンペが行われ、米国のランドアソシエーツ社が作成したシンボルマークが選ばれている。2020年東京五輪のエンブレムにおける亀倉雄策氏へのやや過剰な関連付けは、こうした1998年長野五輪のシンボルマークの「不可視化」とセットになっているようにも見えた。グラフィックデザイナーと広告代理店の関係がどのようなものなのかは、なかなか見えてこない。

(3)9月1日の記者会見では、「専門家の判断」と「一般国民の理解」の区別がやや強調されすぎたように見えた。原案のコンセプトが公表されていれば、それが最終案に向けて調整されていく過程の説明を通じて、先行してしまった視覚的な印象論をある程度は抑えることができたのかもしれない。もちろんコンセプトがあれば安心というわけではない。同じデザインに複数のコンセプトを与えることは可能であり、コンセプト次第で見え方が変わることもある。そもそもデザインとはそんなものであり、それを『クローズアップ現代』(2015年9月3日、NHK)では「面白いですよね〜」と表現したのである。

 また「国民の支持が得られない」ということも語られたが、その調査データが示されたわけではなかった。質疑応答でもこの点が聞かれていたが、組織委員会は「誰なのかといっても答えはない」とした上で、「さまざまなメディアを通じ、あるいはそれ以外のものを通じて、出てきた意見というものを総合的に判断」したという。7月末から8月末にかけてインターネット上で「パクリ探し」が話題となり、それを各種メディアが取り上げていたことは事実だと思うのが、こうした状態を「国民の理解」として判定する材料が示されたわけではない。事態が急展開するなかで対応に難しい点も多々あったと思うが、説明の適切さとしては不十分だったように思う。

(4)『朝日新聞』の記者からの質問は、「エンブレムをめぐる今回の騒動の原因は何か」と「デザイン業界と一般市民の感じ方の違いをどのように理解するのか」だった。実際に記事になったのは、「専門家のデザインで満足するより、ゆるキャラのように、隙のあるデザインを応援して育てるのがネットが発達した今の市民参加型社会。皆が参加したということも価値を持ち、専門家にとっては厳しい時代だ」という部分だが(「「酷似」ネット次々追跡」『朝日新聞』2015年9月2日朝刊)、最初はこの三倍程度の分量が予定されていた(笑)。

 記事に「デザイナーは裏方的な存在で、業界内での評価が重んじられてきたとされる」と書かれた部分は、こちらへの取材を踏まえた記者が書いたものである。私自身はそのような表現を好まないので、コメントとは別枠の扱いになった。クライアントありきのデザインをアートと区別するのが重要だと考えていたのだが、「裏方的な存在」や「業界内での評価」という表現はどうしうても自分の発言として認めることができなかった。インターネット版では、「多様な価値観が表れるネットの世論は、良いデザインを皆で褒めるよりも、だめなデザインを探す方向に進みやすく、業界内評価の限界が出てきた」という文章が先のコメントの前に加えられている。取材では「専門家」という用語で一貫させていたのだが、記事では「業界」と読み替えられることになってしまった。

(5)NHKクローズアップ現代』は8月末から取材協力をしており、「今回の騒動の受け止め」「パクリ批判への拡散」「背景にある業界の構造」「デザインの評価の変遷」「今回の問題の影響」などが質問されていた。その時点ではどのタイミングで放送するのかの見極めが難しく、どのような番組になるのか想像もつかなかった。9月3日に放送するのが前日の午前中に決まってからは急展開で、「組織委員会の対応への評価」「ネット上での批判が高まった理由」「これからの送り手と受け手に求められる姿勢」「この先の対応への見解」などが求められていた。

 衝撃的だったのは、放送直前に「スクープ」(エンブレムの原案決定後は組織委員会と原作者の間で修正を繰り返し、審査委員会は発表一週間前に最終案を知らされていたこと)が明らかになったことだった。これによって用意していた想定問答は見事に崩壊し(涙)、番組冒頭のビデオを受けたスタジオの最初の場面では、国谷裕子さんの投げかけに対してズレた応答をすることになった。リアルタイムで進行する事態を生放送で伝えるとは「こういうことなのか!」と思わされた瞬間だったのだが、インターネット上での実況では「?」が連発していたようである(笑)

 国谷さんとの事前打ち合わせで、「同じデザインでも、コンセプト次第で見え方が変わる」という話が良さそうですねと決まった。今回の事態をそのように理解したくない方々には「意味不明」だったのかもしれないが、一ヶ月以上も緊張が続いてきたなかで、別なる理解の可能性を示すことは社会学的にとても重要だと考えていた。それを「面白いですよね〜」と表現したのである。今回の事態に対して、「炎上」とは異なる関わり方がありえるかもしれないことを示すのはとても重要だと考えていた。

 また、二回目のスタジオに戻る直前に「デザインとアートの違いを強調してから、今後のお話をしましょう」と国谷さんと決めた。「役割としてはデザイナー、見え方としてはアーティスト」という理解の仕方をどのように解除するのかは、この一連の騒動でとても苦労したところである。デザイナーが「アートディレクター」と名乗ったりすることもあるので、一般的にはわかりにくい。クライアントありきのデザインはニーズに応えられているかどうかが評価のポイントであり、それはアートにおける作者の独創性とは異なると何度も説明しているのだが、しばしば混同されてしまう点である。

 為末大さんとの共演は、結果的にうまくいったと思う。「専門家の判断だけでなく、市民参加による民主的な選択という方法も増えたと理解したい」とこちらが話したところで、彼が「五十年もつデザインを」と合いの手を入れてくれたので、私たちが現在どのような課題を抱えているのがわかりやすくなったと思う。専門性を強くとれば「もっと亀倉雄策に近づこう!」と言えるかもしれないし、市民参加を採用すれば「もう亀倉雄策は忘れよう!」という方向にも動き出せる。どちらであれ適切な説明が与えられれば、それなりに「もっともらしさ」を与えたことにはなるし、そもそも絶対に批判されないデザインなんて存在しない社会になったと思う。

 さすがに放送で話すことはできなかったが、今回の事態は次のような複雑さを明らかにしてくれたようにも思う。一つには、デザインを視覚的な水準で評価するのか、それともコンセプトとの対応で評価するのかという問題系があること。二つには、その評価を専門家で行うのか、それとも市民参加で行うのかという問題系があること。今回の「パクリ探し」は視覚的な水準での評価が市民参加によって行われたものであり、原作者による反論はコンセプトとの対応が専門家によって評価されたものである。このような複雑さが見えにくいまま、28日の会見では「専門家の判断」と「一般国民の理解」と表現されたのではないだろうか。

 『クローズアップ現代』をなんとか乗り切れたのは、「市民参加への道を探ろう」という『毎日新聞』(2015年9月4日朝刊)の原稿を既に書き上げていたからである。この一週間で考えたことのまとめでもあるので、本稿の最後にこれを転載しておく。

 「五輪エンブレムの使用中止と再公募が決定された。そもそも新国立競技場のデザインや観光ボランティアのユニフォームが話題になっていたので、エンブレムの原作者が誰であっても大騒ぎになる条件は整っていたといえる。これに加えて模倣の疑いをかけられ、「デザインとしての評価対象」から「パクリ探しの対象」へと見え方が変わり、誰でも大騒ぎできるようになった。その結果、エンブレムへの視覚的な反応とデザイナーによるコンセプトの対立関係が浮上した。
 グラフィックデザインの模倣に対する批判は、一九五〇年代からあった。六〇年代にはデザイナーを目指す学生が増え、業界誌の読者投稿欄で「元ネタ探し」が行われ、それに対する反論が掲載されることもあった。現在のように視覚的な類似性だけを捉えた批判が増えたのは、企業がシンボルマークを制作するようになってからである。一九七〇年の大阪万博のシンボルマークも、選考のやり直しが行われている。
 こうした歴史的経緯の上にインターネットが登場し、専門家でなくてもデザインを批判できるようになった。二〇〇六年には私立大学のロゴマークが話題となり、二〇〇八年には奈良県平城遷都一三〇〇年祭の公式マスコット「せんとくん」のデザインをめぐって議論が沸騰した。こうして、インターネットはデザインを社会的にチェックする機能を担うようにもなってきた。
 その結果として、「みんなが褒めるデザインを探す」というよりも「突っ込みを入れやすいデザインを探す」という傾向が生まれた。「ゆるキャラ」ブームもその一つだ。「未熟さ」や「緩さ」があればみんなで応援することができ、それによって行政への市民参加も達成したことにできる。その意味で、専門家による洗練されたデザインでは満足できなくなり、隙間のあるデザインをみんなで応援しながら盛り上がる社会になったと考える。
 九月一日の会見では専門家と一般市民の区別が強調された。デザインは商品の売上とは別に専門的な評価基準をそれなりに積み重ねてきたが、そのこと自体が市民には見えにくかったのかもしれない。したがって公共的な仕事を行う場合、デザイナーは市民への説明責任が今まで以上に求められ、また市民はデザイナーによる説明にもっと耳を澄ます必要がある。コンセプト次第で、デザインの見え方が変わることもある。
 ひとりひとりの意見が今までより見えやすくなった市民参加型社会では、専門家のあり方及びデザインの評価をめぐる合意形成が難しい。専門家を重視すれば、批判に耐えうるデザインが必要になる。市民参加を重視すれば、専門性では評価できないデザインが選ばれることもある。今回の件は「専門家対ネット」という構図ではなく、デザインに対する評価方法が一つから二つに増えたと理解したほうがよい。他方で、「パクリ探し」以外の盛り上がり方を見つけられれば、市民参加型社会のデザインはもっと面白くなると思う。」

・加島卓「市民参加への道を探ろう」『毎日新聞』(2015年9月4日朝刊)

アートディレクターと佐野研二郎

 2015年8月14日、サントリービールの景品をデザインしていた佐野研二郎(アートディレクター、多摩美術大学教授)が謝罪の声明をホームページで出した(http://www.mr-design.jp/)。8月12日までに「ネット上などにおいて著作権に関する問題があるのではないかというご指摘が出て」いたことを踏まえ(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1508/13/news087.html)、景品(トートバック)30種類のうち8種類の発送を止め(http://www.suntory.co.jp/beer/allfree/campaign2015/index.html)、「その制作過程において、アートディレクターとしての管理不行き届きによる問題があった」と認めたからである(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1508/15/news016.html)。

 このように他でもなく佐野研二郎が注目されているのは、彼が東京オリンピックパラリンピックの「エンブレム」をめぐって模倣の疑いをかけられ(http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150730)、それに対する説明を行ったという経緯があったからである(http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150805)。また今回も視覚的な類似点への気付きがインターネットで拡散・連鎖したものであり、それに対してクライアントやデザイン関係者が対応していくという形をとっている。順番的に言えば、まず東京オリンピックパラリンピックの「エンブレム」で佐野研二郎が注目され、その後に「佐野研二郎のこれまでの作品を徹底調査したら大量にパクリが見つかった」(http://netgeek.biz/archives/45562)というように、インターネット上で追求され始めた。上の謝罪は、こうした指摘に対応したものである。

 本稿では、佐野による今回の対応が東京オリンピックパラリンピックの「エンブレム」の時とは大きく異なり、「アートディレクターとしての管理不行き届きによる問題」とされた点に注目したい。というのも、この対応の違いに注目することで、佐野が今回の謝罪において「東京オリンピックパラリンピックのエンブレムはMR_DESIGNで応募したものではなく、私が個人で応募したものです」と弁明したことの意味がよりよくわかると思うからである。そのためにも、まずは「アートディレクター」が広告やデザインにおいてどういう役割を担っているのかを解説したい。

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 さて、多くの人にはどうでもよいことだと思うのだが、「アートディレクター」という言葉の歴史は長い。アメリカでは1920年6月に「Art Directors Club of New York」が53名の会員で結成され、日本では1952年9月に「東京アド・アートディレクターズ・クラブ」(以下、東京ADC)が22名の会員で結成されている。そしてアメリカにおけるアートディレクターは「芸術の活用に商業性を助言し、商業の必要性に応じて芸術を演出していく非常に専門化された職業」と捉えられ(The Art Directors Club of New York. Ed., Art Directing. Hasting House. 1957)、日本におけるアートディレクターは「経営者と宣傳技術者を結ぶ紐帯」(新井静一郎『アメリカ広告通信』電通、1952年)と考えられていた。2015年4月の時点で東京ADCは「アートディレクターの専門的職能を社会的に確立、推進する」ため、会員に対して賞を与え、優秀作の展覧会を行い、『ADC年鑑』という刊行物を毎年出している(https://www.tokyoadc.com/new/about/index.html)。

 なお、広告やデザインにおいてアートディレクターになるにはそれなりの時間がかかるものである。佐野の場合でいえば、多摩美術大学グラフィックデザイン科を卒業し、1996年に博報堂に入社した時はグラフィックデザイナーとして採用され、「プール冷えてます」(としまえん、1986年)などで知られる大貫卓也(アートディレクター)のグループに配属されている。佐野自身の回想によれば、彼がアートディレクターを担うようになったのは「ニャンまげ」(日光江戸村、1998年)キャンペーンからであり、以下のように仕事の見え方が変わったという。

 「それまではいろんな人の意見を聞いてバランスを取っていたけど、自分がこれがいいと思ったらどんどんカタチにしていきました。そのやり方で、グッズも作ったらそれも売れたりして、自分が面白いと思ったことはどんどんやっていいんだとわかったんです。
 それまでは我を出してはいけないと思っていたけれど、誰かの思い込みで突っ走ったもののほうが表現としておもしろかったり、強くなるということを学びました」(佐野研二郎「クリエーターズファイル:人をハッピーにするデザイン」http://biz.toppan.co.jp/gainfo/cf/sano/p1.html)。

 ここでは二つのことが言われている。一つにはグループ作業において「いろんな人の意見を聞いてバランス」を取る立場から、「自分がこれがいいと思ったらどんどんカタチにして」いく立場へと変わったことである。二つにはそうした立場の変更によって「我を出してはいけない」と思うことから、「誰かの思い込みで突っ走ったもののほうが表現としておもしろかったり、強くなる」と思えるようになったことである。要するに、グラフィックデザイナーからアートディレクターになるとは、グループ作業の一員として仕事をする立場からグループ全体の方向性を決定する立場になることなのである。

 そのため、グラフィックデザイナーに比べてアートディレクターの数は少ない。例えば2015年8月現在で、日本グラフィックデザイナー協会には約3000名の会員がいるのに対して(http://www.jagda.or.jp/about/)、東京ADCの会員は80名である(https://www.tokyoadc.com/new/about/index.html)。もちろん、グラフィックデザイナーやアートディレクターを名乗る者がこれらの組織に全員所属しているとは思えないが、前者に対して後者の数が圧倒的に少ないのは事実である。また東京ADCの会員80名を生年代で分類してみると(不明者2名を除く)、1920年代が1名(永井一正)、30年代が11名、40年代が20名、50年代が17名、60年代が19名、70年代が9名、80年代が1名(長嶋りかこ)であり、基本的にはある程度のキャリアを積んだベテランがアートディレクターを名乗っている状態にある。

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ここで注目したいのは、このアートディレクターという言葉が日本社会でどのように理解されてきたのかという点である。その歴史的な詳細については専門書を参照してほしいのだが(加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学せりか書房、2014年)、ここでは佐野研二郎が尊敬するという亀倉雄策がまたしても独特な役割を果たしていたことを紹介したい。東京ADCは1961年に「東京アド・アートディレクターズ・クラブ」から「東京アートディレクターズクラブ」に改称したのだが、その時に亀倉は次のような発言をしている。

「アートディレクターには二つのタイプがあるように思う。そのひとつは技術を他の人から求めて、自分は方向と出来上がりに責任を持つ人である。もうひとつは方向、技術、出来上りまで自分一人で責任を持つ人である。…(中略)…。私自身は後者に属するわけだが、この姿勢が広告製作上絶対正しいとは思っていない。しかし自分自身の限界を知り、その区域を守るなら、あるいはこの方がよいかとも思う」(亀倉雄策「創造性を高める」、東京アートディレクターズクラブ(編)『別冊 広告美術年鑑1962-3』美術出版社、1962年)。

 先にも確認したように、東京ADCの結成時においてアートディレクターは「経営者と宣傳技術者を結ぶ紐帯」、つまり経営者とデザイナーを媒介する中間的な存在として意味付けられていた。しかし、ここではそのアートディレクターに「二つのタイプ」があるとされている。そして、「そのひとつは技術を他の人から求めて、自分は方向と出来上がりに責任を持つ人」であり、「もうひとつは方向、技術、出来上りまで自分一人で責任を持つ人」だというわけである。広告史やデザイン史的にいえば、1950年代においてアートディレクターはデザイナーと区別された役割だったのだが、1960年代になってデザイナーを兼ねたアートディレクターという新たな理解が生まれるようになったのである。

 それでは、どうしてこのような理解の上書きが生じたのか。それはアートディレクターという役割がアメリカから輸入されたものであり、日本のやり方と齟齬を来すと考えられていたからである。例えば、「組織の中枢にいて、社会活動の個性的表現の軸心をなしているアートディレクターが、アメリカ全体では二千人以上いるのに、日本にはこれにピタリと該当する人が一人もいない」(新井静一郎『アメリカ広告通信』電通、1952年)と1950年代に指摘されていた一方で、1950年代後半にアメリカ視察を行った亀倉は以下のように述べている。

「1年半前にアメリカに行って、実際にアメリカの人達の仕事ぶりを見たのですが、日本人から見ると余りに細分化されすぎている。たとえば、レイアウトする人、活字を選ぶ人、紙の質を選ぶ人といろいろに組織が細分化されている感じがしたわけです。…(中略)…わたしはこの細分化に反対している一人であります。日本はアメリカの非常によい影響も受けましたけれども、非常に悪い影響も受けています。…(中略)…。そういうなかで、このような組織の中に入れられてしまったら、個性がなくなってしまうのではないか、私が一番心配しているのは、日本にアメリカのものとそっくり同じものを持ち込むということです」(亀倉雄策「討論」『世界デザイン会議議事録』美術出版社、1961年)。

 ここではいくつかの区別が重ね合わせて論じられている。一つにはアメリカと日本を区別することである。二つには組織と個性を区別することである。三つにはアートディレクターとグラフィックデザイナーを区別することである。このような区別を用いて亀倉は、「組織」を前提にしたアメリカのアートディレクターという役割とは別に、こうした「細分化」した作業に回収されない「個性」を活かせる役割(グラフィックデザイナー)があってもよいではないのかと発言しているのである。

 先に亀倉がアートディレクターを「技術を他の人から求めて、自分は方向と出来上がりに責任を持つ人」と「方向、技術、出来上りまで自分一人で責任を持つ人」の二つに分類したことを紹介したが、この二つに対応するのがここで紹介した「「組織」を前提にしたアメリカのアートディレクターという役割」と「「細分化」した作業に回収されない「個性」を活かせる役割(グラフィックデザイナー)」である。つまり、亀倉は「アメリカ/組織/アートディレクター」という組み合わせを想定することで、「日本/個人/グラフィックデザイナー」という組み合わせも作り出していたのである。

 1960年代になってアートディレクターの理解が上書きされたのは、このような二つの組み合わせに対応させる必要があったからである。この二つに対応させれば、1950年代のようにアートディレクターとデザイナーを区別する必要はなく、デザイナーを兼ねたアートディレクターもありえるという考え方に至れるからである。このようにしてアートディレクターとデザイナーの区別は曖昧なものとなり、広告やデザインを担当する者が結局どちらとして関与しているのかがわかりにくくなってしまったのである。

 なお、当の亀倉はグラフィックデザイナーであり続けることを選択していたのだが、東京五輪1964のポスター制作においては「私自身もアートディレクターというものの本当の仕事をした」と語っている(亀倉雄策「オリンピックポスター第3作が終わって」『デザイン』美術出版社、1963年7月号)。しかし別の史料によると、バタフライで泳ぐ男性をメインモチーフにした第3作目のポスターは、東京五輪1964の「組織委員会の一部から、「水上日本であるのに、外人を使うとは何事か」と不思議な横槍が入って、このネガはついに陽の目を見ないで終わった」後に、撮影され直したものである(村越襄「「水を凍らせろ」という電話以後」『デザイン』美術出版社、1963年7月号)。

 また別の資料によれば、そこで「組織委員会の上層部は私(引用者註:亀倉雄策)と政治家の間で板ばさみ」になり、「結局、頼み込まれて私が引きさがることになった」という(亀倉雄策「オリンピックと選挙のポスターについて」『JAAC』(第15号)日本宣伝美術会、1963年)。要するに、亀倉は自分の裁量で判断できない調整事が多いことをよく知っていたからこそアートディレクターとは名乗らず、自分一人で制作物に責任を持ち続けるためグラフィックデザイナーに徹したのである。

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 ここまでを踏まえると、佐野研二郎が今回において「東京オリンピックパラリンピックのエンブレムはMR_DESIGNで応募したものではなく、私が個人で応募したものです」と弁明したことの意味がわかってくる。つまり、佐野において東京オリンピックパラリンピックのエンブレムはグラフィックデザイナーという個人の水準で関わったものである。そして対して、サントリービールの景品はMR_DESIGNのアートディレクターという組織の水準で関わったものである。だからこそ、今回の対応は「アートディレクターとしての管理不行き届きによる問題」とされたのであり、東京オリンピックパラリンピックのエンブレムの時のようにデザインをどのように見ればよいのかいう丁寧な説明はなされなかったのである。

 広告やデザインを担当する人がアートディレクターやグラフィックデザイナーと名乗ることは多くの人にはどうでもよいことかもしれないが、このように責任の所在が問題となる場合はどうでもよくない。アートディレクターとグラフィックデザイナーとでは、責任の取り方が違うのである。なお、これはちっともおかしなことでもない。組織として仕事をしているのか、個人として仕事をしているのかは私たち自身にとっても重要な区別であり、佐野におけるアートディレクターとグラフィックデザイナーの区別はそのバリエーションの一つなのである。

 私たちは複数の役割を使い分けることで、実に様々なことを達成している。だからこそ、そのつど自分が今どの役割を担っているのかを相手に示し、それに合わせてもっともらしい発言をする。もちろん相手と理解が一致しないこともあるが、それゆえに私たちはお互いに理解を示し合い、和解や誤解を達成していくことは誰もが経験することだろう(前田泰樹+水川喜文+岡田光弘(編)『エスノメソドロジー新曜社、2007年、pp.100-107)。こうした意味において、今回の謝罪はアートディレクターとしての役割が可能にした責任の取り方だと言えよう。

 にもかかわらず、インターネット上での批判を見ると、民族的な属性に短絡させたり、親族との関係から説明しようとしたり(http://ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-12061609375.html)、小保方晴子と同列に扱おうとしたり(http://www.insightnow.jp/article/8591)、「役割」ではなく「人格」に焦点が当てられてしまっている。おそらく、これらのことはアートディレクターやグラフィックデザイナーを「作家」として理解したがる視線とも関係があろう。つまり、人間として評価しようとする態度は、人間に対して攻撃してしまう態度とコインの裏表である。

 もちろん、「人格」や「人間」として理解したい人がいてもいい。しかし、東京オリンピックパラリンピックのエンブレムやサントリービールの景品に関していえば、佐野研二郎が担った「役割」をめぐって生じた問題であり、それらについてそれぞれの役割から佐野は責任を果たそうとした。私たちはそのことにもっと耳を澄ましてもよいのではないか。このような人様の役割に応じた対応に目を向けず、なんでもかんでも人格概念で人様を理解してしまうのは、かなり気持ち悪い社会ではないかと社会学を学ぶ者としては思ってしまうのである。(2015.8.15)

※追記:みなさまより多くのコメントを頂きましたが、既にお知らせしましたようにコメント欄を閉じさせて頂きました。(2015.8.17)

エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)

エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)

※参考:MR_DESIGN(佐野研二郎)による説明

今回の事態について

 今回取り下げた8点のトートバックのデザインについては、 MR_DESIGNのアートディレクターである私、佐野研二郎の管理のもと、 制作業務をサポートする複数のデザイナーと共同で制作いたしました。そして、誠に遺憾ではありますが、その制作過程において、 アートディレクターとしての管理不行き届きによる問題があったと判断したため、今回の取下げという措置をお願いした次第です。

 今回のトートバックの企画では、まずは私の方で、ビーチやトラベルという方向性で夏を連想させる複数のコンセプトを打ちたてました。次に、そのコンセプトに従って各デザイナーにデザインや素材を作成してもらい、 私の指示に基づいてラフデザインを含めて、約60個のデザインを レイアウトする作業を行ってもらいました。その一連の過程において スタッフの者から特に報告がなかったこともあり、私としては渡されたデザインが 第三者のデザインをトレースしていたものとは想像すらしていませんでした。しかし、その後ご指摘を受け、社内で改めて事実関係を調査した結果、デザインの一部に関して第三者のデザインをトレースしていたことが判明いたしました。

 第三者のデザインを利用した点については、現在、著作権法に精通した弁護士の法的見解を確認しているところですが、そもそも法的問題以前に、第三者のものと思われるデザインをトレースし、そのまま使用するということ自体が、デザイナーとして決してあってはならないことです。 また、使用に関して許諾の得られた第三者のデザインであったとしても、トレースして使用するということは、私のデザイナーとしてのポリシーに反するものです。

 何ら言い訳にはなりませんが、今回の事態は、社内での連絡体制が上手く機能しておらず、私自身のプロとしての甘さ、そしてスタッフ教育が不十分だったことに起因するものと認識しております。当然のことながら、代表である私自身としても然るべき責任は痛感しており、このような結果を招いてしまったことを厳しく受け止めております。今後は、著作権法に精通した弁護士等の専門家を交えてスタッフに対する教育を充実させると共に、再発防止策として、制作過程におけるチェック項目を書面化するなどして、同様のトラブル発生の防止に努めて参りたいと考えております。

 また、過去の作品につきましても、問題があるというインターネット上のご指摘がございますが、その制作過程において、法的・道徳的に何ら問題となる点は確認されておらず、また権利を主張される方から問い合わせを受けたという事実もございません。お取引先の方々、そして権利等を主張される方からご連絡等があった場合には、引き続き誠実に対応させていただくつもりです。

 なお、東京オリンピックパラリンピックのエンブレムについて、模倣は一切ないと断言していたことに関しましては、先日の会見のとおり何も変わりはございません。東京オリンピックパラリンピックのエンブレムはMR_DESIGNで応募したものではなく、私が個人で応募したものです。今回の案件とは制作過程を含めて全く異なるものであり、デザインを共同で制作してくれたスタッフもおりません。

 今まで携わった仕事はすべて、デザイナーとして全力を尽くして取り組んでまいりました。このような形で、応募されたお客さま、クライアントさま そして関係者の皆さまには多大なご迷惑とご心配をおかけしたことを、 大変申し訳なく思っております。 今回頂戴したご批判を忘れることなく、デザイナーとしての今後の仕事、そして作品を通じて、皆様のご期待に全力をあげて応えていく所存です。

2015年8月14日 佐野研二郎
http://www.mr-design.jp/