エンブレム問題における広告代理業とグラフィックデザイナー

 旧エンブレム問題をめぐり、組織委員会は第三者からなる有識者会議を発足させ、調査を行うと発表した。2015年10月20日の時点では『日刊スポーツ』のみなのだが、以下のように報じられている。

 「アートディレクター佐野研二郎氏(43)がデザインし、盗作疑惑で白紙撤回となった20年東京五輪パラリンピックの公式エンブレム問題を巡り大会組織委員会が第三者からなる有識者会議を発足させ、調査を開始することが19日、分かった。組織委関係者によると現在、調査に参加する有識者と事前調整中で近々、調査を開始する。
 担当者だったマーケティング局の槙英俊局長、審査委員だった高崎卓馬クリエーティブディレクターらを含め調査を行う見通し。2人は2日、出向解除となり広告大手電通へ戻った。
 両氏は公募開始前、8人に参加要請した「招待状」の送付に関与。応募作品が「104→37→14→4」と絞られる過程で「14作品の中に、8人は何人含まれていたか」という問いに組織委は「調査が終わり次第ご報告する」としており、最大の疑念に迫ることとなる。」(「東京五輪エンブレム問題、有識者会議が調査開始へ」『日刊スポーツ』2015年10月20日http://www.nikkansports.com/general/news/1555017.html)。

 まったくの偶然かもしれないが、この記事が出る前日に別の新聞から取材依頼があり、エンブレム問題における広告代理業とグラフィックデザイナーの関係について見解(2015年10月20日時点)をまとめていたので、以下に公開する。

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 エンブレム問題の前提にはオリンピック観の変化があると考える。それは「トレーニングを積んだ人が競い合うオリンピック」から「市民も参加するオリンピック」へという見え方の変化であり、「少数精鋭の祭典」から「みんなの祭典」への変化である。東京五輪2020の基本コンセプトにも「全員が自己ベスト」と書かれている(https://tokyo2020.jp/jp/vision/)。

 デザイナーは、オリンピックをスポーツだけでなくデザインも競い合うイベントだと考えてきた。だからこそ、公募するにしても高い水準のデザインが選ばれるべきだと考えている(原研哉「デザイン開花する東京五輪に」『毎日新聞』2014年5月28日、http://www.ndc.co.jp/hara/thinking/words/2014/05/post_17.html) 。「東京デザイン2020オープンセッション」(http://tokyo-design2020.jp/)はそのような考えを共有する五つの業界団体が名前を連ね、その活動の延長線上に旧エンブレムの応募資格や審査委員会(細谷巖、永井一正平野敬子浅葉克己、片山正通、高崎卓馬、長嶋りかこ、真鍋大度)があったと言える。

 旧エンブレムは指名コンペではなく公募にしたのだが、それでも「いつものメンバー、いつものやり方」に見えたことは否めない。デザイナーから見れば今までになく「開かれていた」のかもしれないが(原研哉「コンペ 明快な基準を 五輪エンブレム 不可欠な専門性」『毎日新聞』2015年10月5日、http://mainichi.jp/shimen/news/20151005dde018040028000c.html)、そうした文脈を共有しない市民には「やっぱり、閉じている」ように見えたのである。その意味で、旧エンブレムはオリンピックの見え方が変わるなかでデザインという「競技」への参加資格をどのように設定するのかという問題になったのだと思う。

 東京五輪2020に向けては、デザイナーにある種の危機感も共有されていたと思う。例えば、東京五輪2020のエンブレムは東京五輪1964や札幌五輪1972と関連付けられたが、そこに長野五輪1998はなかった 。東京つながりで語るならば、札幌は必要ない。しかしグラフィックデザイナーつながりで語るならば、亀倉雄策永井一正、そして佐野研二郎という順番になる。長野五輪1998のシンボルマークは広告代理店のコンペによって米国のランドーアソシエーツ社が作成したものが選ばれたのだが、グラフィックデザイナーはそのことには触れずに、東京五輪1964の亀倉雄策だけを強調していたようにも見える。

 また別の資料によれば、「長野オリンピックの時には、デザイン関連の全体を見ているプロデューサー」は不在で、「ある代理店は開会式を担当するというように、役割分担をして、それぞれの代理店が担っていた。デザインコミッティーというのがあったというけど、盛り上がらなかった」という(江並直美+原研哉+東泉一郎「2008年大阪オリンピックを考える」『デザインの現場』(美術出版社、1999年2月号)における、原研哉の発言)。グラフィックデザイナーには長野五輪1998が広告代理店に主導されたように見え、そのことに危機感を持っていたのかもしれない。

 このように考えると、旧エンブレムの前提には長野五輪1998における広告代理店の影響力の大きさがあり、グラフィックデザイナーは東京五輪2020でそのようにはならない方向を探り、「東京デザイン2020オープンセッション」から旧エンブレムへの道筋を作ったように思われる。組織委員会マーケティング局長やクリエイティブ・ディレクターはその調整役だったのかもしれない。

 つまり、広告代理店主導の長野五輪1998の反省と危機感を踏まえ、東京五輪2020ではグラフィックデザイナーもそれなりの役割を担えるようにと広告代理店が調整に回った可能性が考えられ、その結果の一つとして八名に送られた事前の参加要請があったのではないかとも見える。

 重要なのは、こうしたことを「業界的にはそれなりに努力をした」とするのか、「それでも透明性が低い」とするのかである。少数精鋭型のオリンピック観を前提にすれば前者にように理解できるし、市民参加型のオリンピック観を前提にすれば後者のように理解できる。旧エンブレム問題は、このようにオリンピック観が衝突するなかで生じた移行期の出来事だったのではないだろうか(2015.10.20)。

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 取材された記事は以下の通りです。
・【記事内コメント】「現代デザイン考:五輪エンブレム問題/1 亀倉雄策の“呪縛”」『毎日新聞』(2015年10月27日夕刊)、http://mainichi.jp/shimen/news/20151027dde018040061000c.html

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※追記:外部有識者による調査が開始されました(2015年10月29日)。

「アートディレクター佐野研二郎氏(43)がデザインし、盗作疑惑で白紙撤回された2020年東京五輪パラリンピックの旧エンブレム問題を巡り29日、外部有識者による調査チームの第1回会合が行われた。
 メンバーは和田衛弁護士(元東京地検検事)、森本哲也弁護士(同)、鵜川正樹公認会計士青学大特任教授)、山本浩法大教授(現エンブレム選考委員、元NHK解説委員)の4人。
 旧エンブレムの選考の関係者を聞き取り調査し、11月までに調査を終える予定。調査結果の公表は年内に行う。
 調査の対象者はエンブレム選考への招待文書を送付した組織委の前マーケティング局長・槙英俊氏(出向解除で現在は電通)、審査委員だった組織委のクリエーティブディレクター高崎卓馬氏(同)、他審査委員7人。そして佐野氏を含めた招待文書を送付されたデザイナー8人らとなる見通し。
 しかし、聞き取り調査を申し入れても断ることはでき、強制力はないため、どこまで真相に迫れるかどうかは定かではない。不正な選考があった場合でも「処分」を科せるかどうかについても、未定だという。
 応募作品が「104→37→14→4」と絞られていく過程で、14作品の中に、招待状送付者8人は何人含まれていたかは既に事実として組織委の事務局が確認済みだというが、広報担当は「それも含めて全てまとめて12月に公表したい」と話すにとどめた」(「五輪エンブレム問題の調査始まる 結果は年内公表」『日刊スポーツ』2015年10月29日、http://www.nikkansports.com/general/news/1559100.html)。

※追記:外部有識者による調査の進捗が報道されました(2015年11月27日)

 白紙撤回された20年東京五輪の旧エンブレム問題で、審査過程を調査する外部有識者チームが、組織委の元マーケティング局長らが昨年11月に開かれた審査会に与えた影響を中心に調査していることが26日、分かった。
 日刊スポーツが入手した調査対象者に送られた質問状には、元マーケティング局長の槙英俊氏と元クリエーティブディレクター高崎卓馬氏の名前が明記され、「審査2日目の冒頭で高崎氏が残った14点の作品について商標上の問題がある作品を指摘しているが、佐野研二郎氏の作品については、どのような指摘があったか」などと書かれていた。
 「T」という単純文字をデザインしたことで、多数の類似作品が出てくる恐れがあったにも関わらず、佐野作品が通過した点に意図がなかったか、注目しているようだ。
 調査チームの公認会計士・鵜川正樹氏は取材に「(槙氏、高崎氏)中心にとは言えないが皆、調査には協力的。調査結果は処罰というより事実のあぶり出し」と話した。
 両氏は公募開始前、佐野氏ら8人に招待文書を送付したことが判明し今年10月に出向解除となり、出向元に戻った。調査対象は他に審査委員7人、招待文書を受け取った8人らとなる見通し。調査結果は12月中に公表される。
 ◆旧エンブレムの経緯 今年7月に発表された佐野作品は、直後にベルギー・リエージュ劇場のロゴに酷似しているとの指摘があった。その後、より「T」の文字が鮮明な原案を公表し、同ロゴとは違うことを訴えたが、それが逆にタイポグラフィの巨匠ヤン・チヒョルト氏(故人)の展覧会ポスターのデザインと酷似していると指摘され、9月1日に白紙撤回に追い込まれた。同月末、組織委が8人に招待状を送付していたことも発覚。10月29日、和田衛弁護士ら4人の外部調査チームが発足した。
(「五輪旧エンブレム問題で調査、佐野作品通過点に注目」『日刊スポーツ』2015年11月27日、http://www.nikkansports.com/general/news/1571849.html