エンブレム問題と組織委員会

 2015年10月2日、東京オリンピックパラリンピック組織委員会は槙英俊・マーケティング局長と高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターの退任を発表した。組織委員会によれば、「旧エンブレムに関する問題の影響で、適正かつ円滑な業務遂行が困難であると判断したため」という(『朝日新聞』2015年10月3日)。槙英俊は組織委員会の旧エンブレム担当者であり、高崎卓馬は旧エンブレムの審査委員の一人だった。二人は組織委員会マーケティング活動を担う専任代理店・電通の社員で、電通から組織委員会への出向を解除された形である。

 この報道に接して思い浮かべたのは、10月1日に発売されていた『週刊新潮』(2015年10月8日号)の「「五輪エンブレム」七転八倒 「新委員会」船出の前に片付けたい「インチキ選考」仰天の真実」という記事である。週刊誌はこれまでもエンブレム問題の報道をしていたが、この記事はこれまでの取材の集大成とでもいうべき「調査報道」になっている。この記事は「電通から来ている2人」(槙英俊と高崎卓馬)が組織委員会で果たしたと思われる役割を複数の取材から浮かび上がらせ、応募デザイナーだけに配布された「エンブレムデザイン制作諸条件」、旧エンブレム策定過程の検証報告書で明らかになった「参加要請文」の本文、旧エンブレムの2位と3位の案なども掲載して、これまで知られていなかった情報に溢れている。

 偶然なのかもしれないが、この記事が出た翌日に二人の退任が発表されている。9月28日の記者会見では、槙英俊・マーケティング局長の戒告処分は組織委員会として写真を無断使用した件に対してであった。高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターは、その時には処分されてはいない。本当に偶然なのかもしれないが、この記事が出た翌日にこの二人の退任が発表されたことで、旧エンブレム問題は一つの折り目を迎え、後は丁寧な検証を待つ状態になったと思う。

 以下は、『週刊新潮』(2015年10月8日号)を踏まえたメモ書きである。

(1)同記事によると、組織委員会は応募したデザイナーに「エンブレムデザイン制作諸条件」という資料を配付し、その「エンブレム策定について(2)」には「3.オリジナリティを持ち国際的に認識されているイメージ(例:各国国旗、国際機関シンボルマーク等)と混同されるようなデザインを含まないで下さい。(IOCの規定による)」と書いてあったという。この記事に従えば、募集の時点でいわゆる「日の丸」と混同されやすいデザインは回避するようにと指示が出ていたのである。

 今になって「エンブレムデザイン制作諸条件」の存在が明らかになり、それを踏まえて佐野研二郎による原案を見ると、確かに最終案のような「大きな円」を見つけることはできない。そこにあるのは、「小さな赤い丸」だけである。しかしこれに対して、組織委員会の内部から「これはおかしい。日の丸を足元に置くなんて」という意見が出ていたのだから(『朝日新聞』2015年9月28日朝刊)、結局のところは「日の丸」として理解されてもおかしくない要素が含まれていたと言える。

 興味深いのは、原案→修正案→最終案と調整されていくなかで「大きな円」が現れ、それにもっともらしい説明を与えようとしたら、結果的には「エンブレムデザイン制作諸条件」に反してしまった点である。「模倣」という見え方に対して「それなりに設計されたデザイン」という見え方を与えようとした佐野研二郎は、8月4日の記者会見で以下のように説明している。

「で、見て頂いてわかるように、(曲線部分を指さしながら)ここのRの部分がありまして、これは今楕円的なものが入っていると思うんですけれども、僕はこれを見て、亀倉雄策さんが1964年の東京オリンピックの時に作られた大きい日の丸というものをイメージさせるものになるんじゃないかなと思いまして、単純に「T」という書体と「円」という書体を組み合わせたようなデザインができるのではなかろうかということを思いました。そこで作ったロゴが、今回のこの東京オリンピックパラリンピックのエンブレムになります」(佐野研二郎による説明、2015年8月4日)。

 『週刊新潮』が組織委員会広報部に問い合わせたところ、「佐野氏が大会エンブレムにデザインした「赤い円」は、見た人が「日本国旗と混同する」ようなデザインではないと考えられ、IOCからも「制作諸条件」には反していないと判断されました」と回答を得たようである(『週刊新潮』2015年10月8日号)。しかし、8月4日の説明ではその「赤い円」ではなく、「大きな円」をどのように見るのかが説明の対象になっている。しかも、佐野はそれを「大きい日の丸というものをイメージさせる」と説明してしまったのである。

 もちろん、円をどのように見るのかは自由である。自由だからこそ、その円をいかに見るのかは誰でもどのようにでも語れる。こうして理解の自由度が高い円に対して、「どのように見てほしいのか」を人びとに訴えたい時、デザインにはコンセプトが必要になる。円をどのように見てほしいのかをデザイナーが説明することで、それなりの見え方を定めるのである。

 したがって、「赤い円」であれ「大きな円」であれ「エンブレムデザイン制作諸条件」によって日の丸との混同を避けるようにと指示をされていたのだから、佐野研二郎による8月4日の説明は言い過ぎであった。原案から最終案に至るまでにコンセプトやデザインの調整があったとはいえ、円については「亀倉雄策さんによるシンボルマークと関連付けて見ることもできます!」という程度で済ませておけばよかったのかもしれない(笑)。

 この点は模倣であるかないかとは別の問題である。「エンブレムデザイン制作諸条件」があったのだから、アーティストのようにオリジナリティに訴えるのではなく、その条件に従ってクライアント=組織委員会のニーズをいかに満たしたのかをデザイナーとして説明すればよかったのだと思う。と同時に、今回の件を通じてデザインとコンセプトの関係は「整合性の水準」というよりも、「とりあえず説明がなされたという事実の水準」で処理されているということが明らかになったと言えるのかもしれない(笑)。

(2)同記事は、高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターが佐野研二郎を「特別待遇」していたのではないかと報じており、その証拠として組織委員会から佐野研二郎へ送付された参加要請文書を掲載している。

平成26年9月吉日
TOKYO2020大会エンブレムデザイン応募について

拝啓
秋晴の候、佐野研二郎様にはいっそうご活躍のこととお喜び申し上げます。
この度、TOKYO2020大会組織委員会2020年東京オリンピック大会、パラリンピック大会のシンボルマークとなる「大会エンブレム」の選定をすることになりました。このマークは、大会そのもののシンボルとして機能するだけでなく、新しい時代のシンボルとして未来が記憶するものにしていきたいと考えており、応募方法も、次世代の才能にも広く門戸を開いた「条件つきの公募」というフェアなスタイルをとることにいたしました。
選考にあたっては、グラフィックデザインの視点はもとより、今後拡張することが予想される様々なテクノロジーとも親和する次世代のシンボルをつくりたいという想いを反映した、審査チームを結成することにいたしました。
世界にむけて日本が発信する大きなメッセージを集約したものになることと思います。今回の応募作品が、すでに日本のデザインのひとつの到達点にもなりうると考えております。
つきましては日本のデザインの今、デザインのこれから、を検証し発見するために、佐野研二郎様には是非この公募に参加していただけないか、と考えております。1964年の東京オリンピック大会のように、佐野研二郎様を含む数名に絞った指名によるコンペという形をとるべきであるとのご意見もございましたが、日本全国からの寄せられる関心の高さもあり、オープンでフェアな審査スタイルをとらせていただくこととなり、このようなお願いをすることになりました。ぜひご検討ください。
敬具

TOKYO2020大会エンブレムデザイン応募事務局
審査委員代表 永井一正(手描きのサイン)
大会組織委員会クリエーティブ・ディレクター 高崎卓馬(手描きのサイン)

このお手紙は9月12日(金)の公募開始より前にお届けしております。12日(金)に東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事会にて報告されたのちに記者会見を行い、応募条件および審査チームを発表・公募を開始いたします。従いまして12日(金)の発表前まではご内密にお願いいたします。
詳しい応募条件は、発表後に改めてご連絡させていただきます。
(『週刊新潮』2015年10月8日号より)

 この文書に従えば、「次世代の才能にも広く門戸を開いた」ものを想定し、その上で「条件つきの公募」にすることが「フェアなスタイル」になると考えていたことがわかる。というのも、「1964年の東京オリンピック大会」は「数名に絞った指名によるコンペ」でシンボルマークを決定したからである。だからこそ、その時と同じく閉じた方法にはならないようにしようと思って、「オープンでフェアな審査スタイル」としての「条件つきの公募」になったと読むことができる。

 旧エンブレム策定過程の検証報告書によると、こうした応募条件の設定は槙英俊・マーケティング局長と高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターで行い、「国内外のトップデザイナーによるコンペとするため、定評あるデザイン賞の複数回受賞者による「条件付き一般公募」で行うことにした」わけだが、これが「閉鎖的との批判」を招いたと言われる。

 グラフィックデザインに通じていない者ならば、そのように見えて当然だと思う。しかし、この文書の文脈に従えば「指名によるコンペ」よりも「オープンでフェア」であることを目指した結果として、「条件つきの公募」に至ったことには一定の理解を示してもよいと思う。少なくとも、「1964年の東京オリンピック大会」よりはまともなやり方を目指したのである。もちろん、それでも「いつものメンバー、いつものやり方」になっていたこと自体に変わりはないのだが(笑)

 その上で問題があるとすれば、このように「オープンでフェア」であることを目指した「条件つきの公募」への参加要請文を、8名のデザイナーに「ご内密に」と書き添えて事前に送付してしまったことであろう。公平性が求められる審査であったにもかかわらず、なぜにしてその8名を事前に選ぶことができたのか。その説明がない限りは、関係者の人脈として解釈されてしまうことは避けられないように思う。

    • -

 インターネット上では、高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターへの注目が早くからなされていた。もちろん私もそのことには気づいていたが、何しろ公開された情報がなかったので、憶測でいろいろと語るわけにはいかなかったし、未だに彼が何をしていたのかはよくわからない。『週刊新潮』(2015年10月8日号)はそうした隙間を複数の取材で埋めようとしているが、やはり本人に話してもらわないと評価できない部分は少なくない。

 今になってみれば、8月から9月にかけては公開された情報が極めて少なく、そうしたなかでラジオや新聞やテレビで見解を述べてしまったことが本当におかしくてしょうがない(笑)。あの状況あのタイミングで「パクリである/ない」以外の論点でグラフィックデザインの話にするのがどんなに「負け戦」であり、またそれでも炎上トピックを抱えた生放送で「面白いですよね〜」と絞り出すのにどんなに苦労したことか(涙)。凄く悔しいけれども、組織委員会の側から見れば「マジで笑える奴」だったのではないかと思う。

 とはいえ、エンブレム問題を通じて「アートとデザインの違い」だけでなく、「グラフィックデザイナーと広告代理業の区別」も多くの人びとに知ってもらえたらいいなと思った。もちろん問題のある部分もあったが、この二ヵ月でグラフィックデザイナーばかりが説明責任を負わされ、広告代理業側がなかなか口を開いてくれないのは、本当に悲しいことだった。あの状況でも自分たちがやっている仕事のことをなんとか人びとにわかってもらおうとしたグラフィックデザイナーのことを忘れてはならないと思う。

 エンブレム問題を通じて、沈黙するしかなかったグラフィックデザイナーたちの仕事がそれなりに評価される社会であってほしい。

    • -

追記(2015.10.15)
・「新マーケティング局長に電通・坂牧氏 東京五輪組織委」『朝日新聞』2015年10月15日

 「2020年東京五輪パラリンピック組織委員会の新マーケティング局長に、組織委のマーケティング活動を担う専任代理店、電通スポーツ局の坂牧政彦氏(48)が就任することが14日、わかった。15日付。
 組織委は白紙撤回された旧エンブレムの選考を担当した同じく電通社員の槙英俊・前マーケティング局長との出向協定を今月2日に解除した。
 坂牧氏は、慶大法学部から90年に電通入社。五輪・パラリンピックのスポンサー獲得や、東京マラソンの立ち上げ、運営などを行った。」(http://www.asahi.com/articles/ASHBG4F5CHBGUTQP00R.html