旧エンブレム策定過程の検証報告書について

 2015年9月28日、東京五輪パラリンピック競技大会組織委員会は「エンブレム委員会」の設置を発表する前に、森喜朗会長がエンブレム問題について「国民のみなさまにご心配をかけたことをおわびしたい」と謝罪した。森会長によれば、「エンブレムのコンセプトの議論がないまま専門的なデザイン性を重視したこと」と「組織委員会内での策定作業が一部職員で行われ、十分なチェック機能が働かなかったこと」が問題だったという(『毎日新聞』2015年9月29日朝刊)。

 そして組織委員会の改革チームを設置すると同時に、武藤敏郎事務総長(月額20%を二ヵ月分)、布村幸彦副事務総長(月額10%を一ヵ月分)、佐藤広両副事務総長(月額10%を一ヵ月分)ら三名の報酬の自主返納と、組織委員会が作成した資料で写真の無断使用があった件で槙英俊マーケティング局長の戒告処分を発表したのである(森会長は無報酬のため自主返納はできない)。

 重要なのは、これと同時に組織委員会が外部有識者の意見を踏まえて作成したという「旧エンブレム策定過程の検証報告書」が示されたことである。そして同報告書によれば、2014年9月の公募発表前に槙英俊マーケティング局長の指示の下、永井一正審査委員長、高崎卓馬クリエイティブディレクターの連名でデザイナー8名に参加要請文書を事前に送付していたことが明らかになり、さらに旧エンブレム選定における上位3名(佐野研二郎原研哉葛西薫)は事前に要請した8名のなかに含まれていたことも判明したのである。

 こうしたことから、組織委員会は事前参加要請と審査結果の関係について外部有識者による調査が必要だとしている。またその他にも同報告書には「秘匿性を最優先し説明や広報が絶対的に不足」、「受賞歴を持つデザイナーに応募条件を限定」、「審査委員の過半数がデザイン関係者で偏りと受けとられた」、「インターネットの画像検索技術の進歩を意識した対策が足りなかった」、「詳細な制作経緯の説明が遅れた」といった反省点が記されている(『毎日新聞』2015年9月29日朝刊)。報告書の要旨は、以下の通りである。

旧エンブレム策定過程の検証報告 要旨(『東京新聞』2015年9月29日朝刊)
 二〇二〇年東京五輪パラリンピック競技大会組織委員会が二十八日発表した旧エンブレム策定過程の検証報告書の要旨は次の通り。 
【エンブレムの考え方】エンブレムは大会の象徴、最重要アイテムであり、策定にあたってはデザインの高度な専門性と国際商標登録のための秘匿性を重視した。しかし策定を急ぐあまり基本的なコンセプトについて詰め切れず、また秘匿性を最優先したため、組織内部での情報共有、議論もされず、国民への広報も足りなかった。このため、国民の強い支持を得られず、類似デザインの存在もあり、取り下げという事態に至った。
【応募要件】選考方法の枠組みづくりは組織委の担当局長、招致の経緯やコンセプトを熟知した組織委クリエーティブ・ディレクターで行った。国内外のトップデザイナーによるコンペとするため、定評あるデザイン賞の複数回受賞者による「条件付き一般公募」で行うことにした。このため、閉鎖的との批判を招いた。制度設計を担当部局のみで行ったためであり、組織全体で検討すべきだった。
【審査委員の選任】競争から質の高いものを選び抜こうと考え「わが国のグラフィック・デザイン界を代表する方」「一流のデザイナー」などの視点で人選を行った。しかし、多様な意見を反映させ、エンブレムを着用する選手などを加えるべきだった。担当部局が「デザイン的に優れたものを作る」という思いだけで走り、策定プロセスが開かれたものでなければ納得感が得られないことに、思いが至らなかった。
【公募・審査】秘匿性に注意を払い、ごく限られた人間しか審査過程に関与しないことにしたため、説明や情報発信などが絶対的に不足し、透明性に欠けた。著作権の問題が生じる可能性は低いかどうかなど、もっと考慮して審査すべきであった。担当局長の判断で八名のデザイナーに事前に参加要請文を送付した。結果的に上位三名は、この八名に含まれていた。事前参加要請と審査結果の関係は、民間有識者による調査が必要。
【原案の修正】当初は軽微な修正で済むと考えていたが、国際商標登録をとるための検討を重ねていくうちに、大きな変更となった。修正は組織委クリエーティブ・ディレクターが佐野研二郎氏に伝達し、修正は佐野氏が行った。審査委員会の役割や組織委員会との関係を事前に詰め、審査委員会が審査委員会として責任を果たせる体制をつくるべきであった。
【発表から取り下げに至る経緯】著作権侵害はないと確信し、法律的に問題ないことを説明し続ければ国民の理解を得られると考えていた。ベルギーのデザイナーが起こしたIOCに対する訴訟への影響を考慮し、国民に制作経緯を説明するのが遅れた。第三者の写真を無断使用した会見用資料のチェックを怠るなど、著作権への認識が不足していた。
【まとめ】「国民に向き合って策定する」「著作権などについてクリアできる案を検討する」などの対応をとっていれば、取り下げには至らなかった。新エンブレムを国民参加で策定し、信頼回復に努める。国民に向き合った組織運営へと転換し、大会準備に全力を挙げる。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tokyo_olympic2020/list/CK2015092902000200.html

 組織委員会としては、旧エンブレムの問題を(1)エンブレムの考え方、(2)応募要件、(3)審査委員の選任、(4)公募・審査、(5)原案の修正、(6)発表から取り下げに至る経緯、の六つに分けて示した形になっている。

 先とは別の整理をすれば、(1)エンブレムの考え方については基本的なコンセプトも決めずに秘匿性を最優先した点、(2)応募要件についてはマーケティング局長とクリエイティブディレクターの二名で決定していた点、(3)審査委員の選任についてはグラフィックデザイナー中心になっていた点、(4)公募・審査については八名のデザイナーに事前に参加要請文を送付していた点、(5)原案の修正については審査委員会への報告が適切になされていなかった点、(6)発表から取り下げに至る経緯については対応の遅さと著作権認識が不足していた点である。

 この時点で最も問題があると思われたのは、(4)公募・審査の「八名のデザイナーに事前に参加要請文を送付していた点」である。民間企業がクライアントの場合、デザイナーを予め指定して「指名コンペ」を行うこともあるだろう。しかし組織委員会公益法人であり、しかもエンブレムの選考を「公募」を行うとしていた以上、それなりの公平性が求められる。

 もし参加要請文を送付した8名のデザイナーだけでコンペを行うのであれば、なぜにしてその8名なのかを組織委員会がクライアントとして説明し、人びとに理解を求めればよい。しかし実際には公募として104点の応募があり、しかも上位3名は事前に参加要請した8名に含まれていた。こうなれば、審査そのものが疑われても仕方がない。組織委員会にはさらなる検証とその公開が求められる。

 振り返ってみれば、エンブレム問題は原作者に模倣の疑いが掛けられたことで始まったのであった。しかし、模倣の疑いを解こうと説明を重ねる過程において、組織委員会にも問題が少なくないことが明らかになってしまった形である。

 これまでは応募する側のグラフィックデザイナーにだけ説明責任が求められてきた状態だったが、このような展開になれば組織委員会マーケティング局長及びクリエイティブディレクターにも説明責任が求められる。グラフィックデザイナーと広告代理業がどのような関係にあるのかはこれまで殆ど明らかにされてこなかったが、今までの慣習と今回のエンブレムの件がどのように区別されていたのかはさらなる説明が求められるところだ。

 とりわけ今回処分を受けなかった「クリエイティブディレクター」とは、組織委員会でどのような役割を担っているのか。グラフィックデザインへの信頼を回復するためにも、広告代理業の方には是非とも口を開いてもらいたい。