五輪エンブレムの準備会について

 2015年9月1日に取り下げられた東京オリンピックパラリンピックのエンブレムは、組織委員会に「東京2020エンブレム委員会(仮称)を設置するための準備会」を設置し、「新たなエンブレム選定のための東京2020エンブレム委員会(仮称)のメンバー選定、旧エンブレム選定に関しての問題点の把握、その結果を踏まえた新たなエンブレム選定の基本方針の決定」を行うことになり、9月16日に準備会のメンバー六名と座長によるコメントが以下のように発表された。

▼メンバー
宮田亮平:東京藝術大学 学長(座長)
杉山愛:スポーツコメンテーター/元プロテニス選手
但木敬一:弁護士/元検事総長
夏野剛慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 特別招聘教授
・マリ・クリスティーヌ:異文化コミュニケーター
・山本浩:法政大学スポーツ健康学部 教授/元NHKアナウンサー・解説委員
▼座長コメント
 東京オリンピックパラリンピックのエンブレムに関しては、非常に国民的にも関心の高いものとなっており、新たなエンブレムの策定に向けた準備会の座長に就任することは重責ではありますが、光栄でもあります。
 私としては、2020年のオリンピック・パラリンピックが日本全国で盛り上がるために、できるだけたくさんの方に参画いただきながら、国民の皆様に愛され、ときめきを共有できるエンブレムを作ることを目指していくよう努めてまいりますので、ご支援よろしくお願いいたします。
https://tokyo2020.jp/jp/news/index.php?mode=page&id=1459

 なおここまでの経緯としては、組織委員会が理事会の決議を経ずにエンブレムを取り下げたことを問題視する発言が、9月7日の日本オリンピック委員会(JOC)の理事会であがっていた(http://www.asahi.com/articles/ASH9765SXH97UTQP02M.html)。また9月11日には組織委員会自体がエンブレムの使用例として制作した画像8点のうち写真3点に画像の無断使用があったことが判明し(http://www.asahi.com/articles/ASH9C6VQ9H9CUTQP02P.html)、さらに9月14日にはもう1点(合計4点)の無断使用が判明していた(http://mainichi.jp/sports/news/20150915k0000m040076000c.html)。こうしたなかで、組織委員会では「最終候補に残った数点を公表し、国民の意見を聞いたうえで最終決定する選考方法を検討している」という報道も出ており(http://www.asahi.com/articles/ASH9864ZRH98UTQP033.html)、ようやく準備会の設置に至った状態である。

 本稿はこれまでの展開を踏まえつつ、ここまでに考えたことをメモしたものである。

(1)21世紀になってからは地方公共団体におけるマスコットキャラクターの選定などで市民参加の経験が積み重ねられているので、その関係者にヒアリングなどを行い、市民と行政とデザイナーの関係をどのように調停し、またそのこと自体をどのように市民に説明したのかを丁寧に調査しながら、新しいエンブレムの選定に向けて「市民の関わり方」を複数抽出することが可能ではないだろうか。そして、この複数の「市民の関わり方」のなかからどれをどのような理由で選択したのかを適切に説明すれば、少なくともこれまでよりは手続きの透明化が進んだようには見える。この路線でいけば「市民参加」の側面が目立つようにはなるが、専門性では評価の難しいデザインが選ばれることもある。

(2)エンブレムの選定とマスコットキャラクターの選定は区別する必要があるが、デザイナーの関わり方もいくつかの選択肢がありえる。エンブレムにおいてグラフィックデザインの専門性を重視する場合は、古くから印刷技術に親しんでいる世代とデジタルメディアにも親しんでいる世代の違いを踏まえる必要がある。またエンブレムの「展開力」を重視するなら、映像、ウェブ、空間において何をどのように評価しているのかを適切に説明する必要もある。

 組織委員会はクライアントとしてのニーズをもっと明確にし、それに適ったデザインを採用するのがもっともらしい。言い方を変えれば、審査委員会及び応募デザイナーに「丸投げ」したような形にはしないでほしい。取り下げ案のように「専門家」と「一般国民」という区別を強調するのではなく、デザイナーによる提案はクライアントとしての要望をどのように満たしていたのかという説明を尽くしてほしい。

 「クライアントありきのデザインにおいては原作と最終案は調整のなかで変わることもあり、コンセプトもそのなかで最終決定される」と設定しておけば、ある程度の自由度も保たれる。この路線でいけば「専門家」の側面が目立つことになるが、クライアントが説明を尽くすことで批判やあら探しに耐えうる、そして後世の人からも評価されるデザインが選ばれることもある。

(3)クライアントとしての態度はもっと明確にしてほしい。そもそも商用利用を前提にしていることを適切に説明し、それに対してどのような批判があっても、そういう前提でクライアントとしてどのようなニーズを持っており、その条件を踏まえたデザイナーによる提案を引き出す形にすれば今までよりもわかりやすいのではないか。

 アートとデザインの違いを混同されないためにも、クライアントありきのデザインにおいては原案から最終案までにデザインやコンセプトが調整されうることを認め、そのつど説明を尽くせばよい。絶対に批判されないデザインはないので、見た目の印象論に寄り切られない説明が求められる。

(4)『クローズアップ現代』(2015年9月3日、http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3700.html)で「どこまでを専門性として認めるかをみんなで考えていく」と述べたが、みんなが専門性をそれなりに尊重する社会であってほしい。そのためにも、クライアントはしっかり説明責任を果たすと同時にデザイナーを選んだことにも責任をもって対応してほしい。

 そのためにも、決定案だけを見せるのではなく、決定案に至るまでの候補を複数公開し、「どのような理由でほかでもなくこの選考方法にし、またこの決定案にしたのか」の説明を尽くすことが、専門性へそれなりに配慮をした市民への公開になるとは思う。また前案を取り下げるにいたった経緯とそれに対する見解も公式ホームページで適切に公開したほうが、信頼度は上がると考える。「失敗」への対応を褒めてもらえるようにすることが、今後の第一歩ではないだろうか。