エンブレム問題への見解のまとめ

 2015年8月28日に東京オリンピックパラリンピック組織委員会によってエンブレムの選考過程の説明があり、9月1日にはエンブレムの使用中止に関する記者会見があった。28日の説明は審査委員の代表である永井一正氏が「審査の過程も公表したほうがいい」(『朝日新聞』2015年8月26日)と述べたのを受けた形になっているが、そこで公表されたエンブレムの展開例の写真及び最終案とは異なる原案がインターネット上で再び「パクリ探し」の対象となり、その三日後にエンブレムの使用中止が発表されることになった。

 また、8月26日の時点で永井氏は「微修正を、大会組織委員会の依頼で何度か施した。審査委員に修正過程は伝わっていないが、皆さん最終案を承認したはずだ」(『朝日新聞』2015年8月26日)と述べていたのだが、そのこと自体が9月3日のNHKによる取材で再確認され、エンブレムの原案決定後は組織委員会と原作者の間で修正を繰り返し、審査委員会は発表一週間前に最終案を知らされていたことが明らかになった。エンブレムの白紙撤回を受け、再公募では「過程を公開して一つ一つの作業を理解してもらう形で進めていく」方向が探られようとしている(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150904/k10010215901000.html)。

 ここに至るまでの見解は、以下で公表した通りである。本稿では、その過程で気づいたことをメモしたものである。

・「グラフィックデザインと模倣の歴史的な関係:亀倉雄策佐野研二郎」(2015年7月30日)
http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150730
・「デザインは言葉である:東京五輪エンブレムと佐野研二郎」(2015年8月5日)
http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150805
・「アートディレクターと佐野研二郎」(2015年8月15日)
http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150815
・【ラジオ出演】「東京五輪エンブレム問題。その本質を考える?」(2015年8月18日、TBSラジオ『Session-22』)
http://www.tbsradio.jp/ss954/2015/08/20150818-1.html
・【記事内コメント】「「酷似」ネット次々追跡」『朝日新聞』(2015年9月2日朝刊)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11943116.html
・【記事内コメント】「Net critics central to Olympics logo scandal」『The Japan Times』(2015年9月3日)
http://www.japantimes.co.jp/news/2015/09/02/national/olympics-logo-scandal-highlights-power-of-the-internet-critic/#.Ver5WM4fNjc
・【テレビ出演】「東京五輪エンブレム“白紙撤回”の衝撃」『クローズアップ現代』(2015年9月3日、NHK
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3700.html
・【寄稿】「市民参加への道を探ろう」『毎日新聞』(2015年9月4日朝刊)
http://mainichi.jp/shimen/news/20150904ddm004070017000c.html

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・【記事内コメント】「現代デザイン考:五輪エンブレム問題/1 亀倉雄策の“呪縛”」『毎日新聞』(2015年10月27日夕刊)
http://mainichi.jp/shimen/news/20151027dde018040061000c.html
・【対談】河尻亨一+加島卓「五輪エンブレム問題、根底には「異なるオリンピック観の衝突」があった:あの騒動は何だったのか?」『現代ビジネス』(2015年12月28日)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47099
・【対談】河尻亨一+加島卓「「五輪エンブレム調査報告書」専門家たちはこう読んだ〜出来レースではなかった…その結論、信じていいのか?」『現代ビジネス』(2015年12月29日)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47141
・【対談】河尻亨一+加島卓「デザイナーをアーティストに変えた広告業界の罪〜日本のデザインはこれからどうなる?:五輪エンブレム騒動から考える」(2015年12月30日)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47191

※被引用記事:増田聡「オリジナリティと表現の現在地──東京オリンピック・エンブレム、TPP知的財産条項から考える」
http://10plus1.jp/monthly/2016/01/issue-03.php

(1)TBSラジオ『Session-22』に主演した時は弁護士の福井健策さんと一緒だったので、法的な説明は福井さんにお願いし、私はデザインに関する説明(アートディレクターとグラフィックデザイナーの違い、デザインにおける責任の所在、インターネット以前と以後のデザインへの批判の違い)に徹するように努めた。事前の打ち合わせでは著作権、商標権、意匠権の違いを説明してもらえると大変助かるとお願いし、番組のなかでは著作権と商標権の違いを説明してもらう形になった。著作権侵害としての「パクリ探し」が行われていた状態だったが、オリジナリティを主張するアートとは異なり、クライアントありきのデザインに著作権法がどこまでどのように適用されうるのかを見極める必要があると考えたからである。

 シンボルマークなどのグラフィックデザインはクライアント側で登録する商標権と関連付けられてきた。しかし、原作者(デザイナー)のオリジナリティが著作権の水準で語られることはこれまで多くはなかった(知恵蔵裁判やフォントの事例など)。現在のところ、福井さんは「一つは対象マーク、つまり劇場ロゴが著作物にあたること、二つ目は今回のエンブレムがロゴと実質的に類似していること、三つ目は佐野さん側が劇場ロゴを見たことがあること。この三つがすべてそろわないと著作権侵害は成立しません。さらに、三つの立証責任はすべて訴えたベルギー側にあります」との見解を示している(http://mainichi.jp/premier/business/entry/index.html?id=20150904biz00m010047000c)。

(2)8月28日の組織委員会による説明は、エンブレムの選考過程をかなり具体的に明らかにしたものだった。このような展開にならざるを得なかった今回の事情があるとはいえ、何事もなければ最終案しか知らされなかったであろう私たちが、7月24日の発表に加えて、8月5日の原作者によるデザインの説明、8月28日の選考過程の具体的な説明まで知れるようになったのは、少なくとも今までなかったことであり、結果的には透明度が上がったと考えることもできる。

 選考過程の具体的な説明は、グラフィックデザイン業界的における「いつものメンバー、いつものやり方」を改めて浮上させることになった。その結果として、「いつものメンバー、いつものやり方」の恩恵を受けてきたデザイナーとその恩恵を受けてこなかったデザイナーとでは、今回の事態に対して異なる反応が可能になっているように見えた。

 また、原案と修正案と最終案の違いが判別できるようになり、原作者によるデザインの説明が最終案にしか対応していないようにも見え始めた。現時点で原案のコンセプトは公表されてなく、原案に対しては視覚的な印象論を述べるしかない状態である。「クライアントありきのデザインにおいては原作と最終案は調整のなかで変わることもあり、コンセプトもそのなかで最終決定される」と組織委員会が説明すれば、もう少し別の見え方が可能だったのかもしれない。

 組織委員会及び審査委員会はエンブレムの「展開力」を評価したと説明していたが、「評価の高い展開力」と「評価の低い展開力」の違いを示されたわけではないので、現時点でもあのエンブレムの「展開力」をどのように評価すればよいのかは十分に定められていないように思う。また修正案に対して「躍動感が少なくなってしまった」という意見も出たようだが、これについても「躍動感が多い状態」と「躍動感が少ない状態」の区別が示されなかったので、十分な説明にはなっていなかったように思う。

 さらに、1964年東京五輪のシンボルマーク、1972年札幌五輪のシンボルマークの隣に2020年東京五輪のエンブレムが並べられたことで、1998年長野五輪のシンボルマークの位置づけがよくわからなくなった。組織委員会の説明によれば、1998年長野五輪では広告代理店によるコンペが行われ、米国のランドアソシエーツ社が作成したシンボルマークが選ばれている。2020年東京五輪のエンブレムにおける亀倉雄策氏へのやや過剰な関連付けは、こうした1998年長野五輪のシンボルマークの「不可視化」とセットになっているようにも見えた。グラフィックデザイナーと広告代理店の関係がどのようなものなのかは、なかなか見えてこない。

(3)9月1日の記者会見では、「専門家の判断」と「一般国民の理解」の区別がやや強調されすぎたように見えた。原案のコンセプトが公表されていれば、それが最終案に向けて調整されていく過程の説明を通じて、先行してしまった視覚的な印象論をある程度は抑えることができたのかもしれない。もちろんコンセプトがあれば安心というわけではない。同じデザインに複数のコンセプトを与えることは可能であり、コンセプト次第で見え方が変わることもある。そもそもデザインとはそんなものであり、それを『クローズアップ現代』(2015年9月3日、NHK)では「面白いですよね〜」と表現したのである。

 また「国民の支持が得られない」ということも語られたが、その調査データが示されたわけではなかった。質疑応答でもこの点が聞かれていたが、組織委員会は「誰なのかといっても答えはない」とした上で、「さまざまなメディアを通じ、あるいはそれ以外のものを通じて、出てきた意見というものを総合的に判断」したという。7月末から8月末にかけてインターネット上で「パクリ探し」が話題となり、それを各種メディアが取り上げていたことは事実だと思うのが、こうした状態を「国民の理解」として判定する材料が示されたわけではない。事態が急展開するなかで対応に難しい点も多々あったと思うが、説明の適切さとしては不十分だったように思う。

(4)『朝日新聞』の記者からの質問は、「エンブレムをめぐる今回の騒動の原因は何か」と「デザイン業界と一般市民の感じ方の違いをどのように理解するのか」だった。実際に記事になったのは、「専門家のデザインで満足するより、ゆるキャラのように、隙のあるデザインを応援して育てるのがネットが発達した今の市民参加型社会。皆が参加したということも価値を持ち、専門家にとっては厳しい時代だ」という部分だが(「「酷似」ネット次々追跡」『朝日新聞』2015年9月2日朝刊)、最初はこの三倍程度の分量が予定されていた(笑)。

 記事に「デザイナーは裏方的な存在で、業界内での評価が重んじられてきたとされる」と書かれた部分は、こちらへの取材を踏まえた記者が書いたものである。私自身はそのような表現を好まないので、コメントとは別枠の扱いになった。クライアントありきのデザインをアートと区別するのが重要だと考えていたのだが、「裏方的な存在」や「業界内での評価」という表現はどうしうても自分の発言として認めることができなかった。インターネット版では、「多様な価値観が表れるネットの世論は、良いデザインを皆で褒めるよりも、だめなデザインを探す方向に進みやすく、業界内評価の限界が出てきた」という文章が先のコメントの前に加えられている。取材では「専門家」という用語で一貫させていたのだが、記事では「業界」と読み替えられることになってしまった。

(5)NHKクローズアップ現代』は8月末から取材協力をしており、「今回の騒動の受け止め」「パクリ批判への拡散」「背景にある業界の構造」「デザインの評価の変遷」「今回の問題の影響」などが質問されていた。その時点ではどのタイミングで放送するのかの見極めが難しく、どのような番組になるのか想像もつかなかった。9月3日に放送するのが前日の午前中に決まってからは急展開で、「組織委員会の対応への評価」「ネット上での批判が高まった理由」「これからの送り手と受け手に求められる姿勢」「この先の対応への見解」などが求められていた。

 衝撃的だったのは、放送直前に「スクープ」(エンブレムの原案決定後は組織委員会と原作者の間で修正を繰り返し、審査委員会は発表一週間前に最終案を知らされていたこと)が明らかになったことだった。これによって用意していた想定問答は見事に崩壊し(涙)、番組冒頭のビデオを受けたスタジオの最初の場面では、国谷裕子さんの投げかけに対してズレた応答をすることになった。リアルタイムで進行する事態を生放送で伝えるとは「こういうことなのか!」と思わされた瞬間だったのだが、インターネット上での実況では「?」が連発していたようである(笑)

 国谷さんとの事前打ち合わせで、「同じデザインでも、コンセプト次第で見え方が変わる」という話が良さそうですねと決まった。今回の事態をそのように理解したくない方々には「意味不明」だったのかもしれないが、一ヶ月以上も緊張が続いてきたなかで、別なる理解の可能性を示すことは社会学的にとても重要だと考えていた。それを「面白いですよね〜」と表現したのである。今回の事態に対して、「炎上」とは異なる関わり方がありえるかもしれないことを示すのはとても重要だと考えていた。

 また、二回目のスタジオに戻る直前に「デザインとアートの違いを強調してから、今後のお話をしましょう」と国谷さんと決めた。「役割としてはデザイナー、見え方としてはアーティスト」という理解の仕方をどのように解除するのかは、この一連の騒動でとても苦労したところである。デザイナーが「アートディレクター」と名乗ったりすることもあるので、一般的にはわかりにくい。クライアントありきのデザインはニーズに応えられているかどうかが評価のポイントであり、それはアートにおける作者の独創性とは異なると何度も説明しているのだが、しばしば混同されてしまう点である。

 為末大さんとの共演は、結果的にうまくいったと思う。「専門家の判断だけでなく、市民参加による民主的な選択という方法も増えたと理解したい」とこちらが話したところで、彼が「五十年もつデザインを」と合いの手を入れてくれたので、私たちが現在どのような課題を抱えているのがわかりやすくなったと思う。専門性を強くとれば「もっと亀倉雄策に近づこう!」と言えるかもしれないし、市民参加を採用すれば「もう亀倉雄策は忘れよう!」という方向にも動き出せる。どちらであれ適切な説明が与えられれば、それなりに「もっともらしさ」を与えたことにはなるし、そもそも絶対に批判されないデザインなんて存在しない社会になったと思う。

 さすがに放送で話すことはできなかったが、今回の事態は次のような複雑さを明らかにしてくれたようにも思う。一つには、デザインを視覚的な水準で評価するのか、それともコンセプトとの対応で評価するのかという問題系があること。二つには、その評価を専門家で行うのか、それとも市民参加で行うのかという問題系があること。今回の「パクリ探し」は視覚的な水準での評価が市民参加によって行われたものであり、原作者による反論はコンセプトとの対応が専門家によって評価されたものである。このような複雑さが見えにくいまま、28日の会見では「専門家の判断」と「一般国民の理解」と表現されたのではないだろうか。

 『クローズアップ現代』をなんとか乗り切れたのは、「市民参加への道を探ろう」という『毎日新聞』(2015年9月4日朝刊)の原稿を既に書き上げていたからである。この一週間で考えたことのまとめでもあるので、本稿の最後にこれを転載しておく。

 「五輪エンブレムの使用中止と再公募が決定された。そもそも新国立競技場のデザインや観光ボランティアのユニフォームが話題になっていたので、エンブレムの原作者が誰であっても大騒ぎになる条件は整っていたといえる。これに加えて模倣の疑いをかけられ、「デザインとしての評価対象」から「パクリ探しの対象」へと見え方が変わり、誰でも大騒ぎできるようになった。その結果、エンブレムへの視覚的な反応とデザイナーによるコンセプトの対立関係が浮上した。
 グラフィックデザインの模倣に対する批判は、一九五〇年代からあった。六〇年代にはデザイナーを目指す学生が増え、業界誌の読者投稿欄で「元ネタ探し」が行われ、それに対する反論が掲載されることもあった。現在のように視覚的な類似性だけを捉えた批判が増えたのは、企業がシンボルマークを制作するようになってからである。一九七〇年の大阪万博のシンボルマークも、選考のやり直しが行われている。
 こうした歴史的経緯の上にインターネットが登場し、専門家でなくてもデザインを批判できるようになった。二〇〇六年には私立大学のロゴマークが話題となり、二〇〇八年には奈良県平城遷都一三〇〇年祭の公式マスコット「せんとくん」のデザインをめぐって議論が沸騰した。こうして、インターネットはデザインを社会的にチェックする機能を担うようにもなってきた。
 その結果として、「みんなが褒めるデザインを探す」というよりも「突っ込みを入れやすいデザインを探す」という傾向が生まれた。「ゆるキャラ」ブームもその一つだ。「未熟さ」や「緩さ」があればみんなで応援することができ、それによって行政への市民参加も達成したことにできる。その意味で、専門家による洗練されたデザインでは満足できなくなり、隙間のあるデザインをみんなで応援しながら盛り上がる社会になったと考える。
 九月一日の会見では専門家と一般市民の区別が強調された。デザインは商品の売上とは別に専門的な評価基準をそれなりに積み重ねてきたが、そのこと自体が市民には見えにくかったのかもしれない。したがって公共的な仕事を行う場合、デザイナーは市民への説明責任が今まで以上に求められ、また市民はデザイナーによる説明にもっと耳を澄ます必要がある。コンセプト次第で、デザインの見え方が変わることもある。
 ひとりひとりの意見が今までより見えやすくなった市民参加型社会では、専門家のあり方及びデザインの評価をめぐる合意形成が難しい。専門家を重視すれば、批判に耐えうるデザインが必要になる。市民参加を重視すれば、専門性では評価できないデザインが選ばれることもある。今回の件は「専門家対ネット」という構図ではなく、デザインに対する評価方法が一つから二つに増えたと理解したほうがよい。他方で、「パクリ探し」以外の盛り上がり方を見つけられれば、市民参加型社会のデザインはもっと面白くなると思う。」

・加島卓「市民参加への道を探ろう」『毎日新聞』(2015年9月4日朝刊)