東京五輪2020の新エンブレムについて

 二〇一五年九月に取り下げ・再募集された東京五輪2020のエンブレムが決まった(https://tokyo2020.jp/jp/games/emblem/)。模倣を疑われ、原作者の問題や審査委員会の不正行為も明らかになった前回の反省を踏まえ、今回は市民参加と審査の透明性を重視して選んだものである。
 全体として円の要素が強い東京五輪2020のエンブレムは、東京五輪1964の発展形として見ることができる。大きく一つに塗りつぶされた円から、四十五個の構成要素を組み合わせた円になったことで、多様性を肯定するようになった現代社会を表しているようにも見える。「江戸の市松模様」を知らない人には「目がチカチカ」するかもしれないが、日本の国旗さえ知っていればそれと重ね合わせて見ることもできる。
 ここまでを振り返ると、「適切な手続き」が何度も強調されたのが印象的だった。再募集前にインターネットでアイデアを募集し、18歳以上なら受賞歴に関係なく誰でも応募できるようにした。エンブレム委員にはデザイン関係者以外も多く含まれ、審査の一部は動画配信を行い、最終候補案に対して広く意見を求めた。このすべてに関わった市民がどれほどいたのかはわからないが、今までよりは開かれた選考だったと言える。
 発表記者会見では「A案ありきではないか」や「最終候補の繰り上げは適切だったか」という質問もあり、組織委員会への信頼や東京五輪2020への期待はまだ高くはない。誰からも批判されないデザインは存在しないと思うが、エンブレムを選び直すことを急いだ分だけ、五輪にとってそもそもエンブレムとは何なのかを議論する機会を逸してしまったようにも思う。
 「どのように選ぶのか」の次は、「いかに使うのか」である。しかし、エンブレムは公式スポンサーしか使うことができない。みんなで選んでも、みんなが自由に使えるわけではないのだ。このように商業利用と強く結びついたエンブレムのあり方を見直すことは、五輪のあり方を見直すことにもつながるのではないか。
 東京五輪2020のエンブレムは「パクリかどうか」に始まり、「出来レースかどうか」を経て、「日の丸に見えるかどうか」に落ち着いたと考える。グラフィックデザインにしかできないことは何であり、その専門家と市民の関係はいかにあるべきか。それらのことを考えさせられた九ヶ月だった。