デザインは言葉である:東京五輪エンブレムと佐野研二郎

 2015年8月5日、東京オリンピックパラリンピックの「エンブレム」を制作した佐野研二郎(アートディレクター、多摩美術大学教授)と組織委員会マーケティング担当)による記者会見が行われた。2015年7月24日に発表してから約一週間後にベルギーのデザイナーが制作した劇場「Theatre de Liege」のロゴマークと「酷似」していることが話題になったからである。

・五輪エンブレム問題 制作者の佐野研二郎氏が会見

 既に述べたように(http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150730)、今回の事態は視覚的な類似点への気付きがインターネット上で拡散・連鎖したものであり、これに対して選考関係者やデザイン関係者がそれぞれの見解を述べていくという形をとっている。またこのように模倣を疑われたデザインに対して説明責任を果たしていくことは、東京オリンピック1964のロゴマークやポスターを制作した亀倉雄策の時代(1950年代〜1960年代)から繰り返されていたことでもある。歴史的いえば、亀倉だって模倣をしていた。それを認めて詫びることもあれば、反論として説明責任を果たすこともあった。だからこそ、亀倉は今でも評価されているのだ。

 本稿では、視覚的類似点への気付きが「模倣」と問題視されたことに対し、今回の記者会見では「デザインをどのように見ればよいのか」という説明が丁寧になされたという点に注目したい。というのも、こうしたやりとりは「デザインは言葉である」という社会的な事実をを再確認させてくれるからであり、また「私たちは何かしらの概念を用いることで、「見る」という行為をその都度達成している」ということも教えてくれるからである。

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 先に事実関係を確認しておくと、組織委員会によれば、リエージュ劇場のロゴは商標登録されていないので商標上の問題には当たらないとしている。また「盗用」ではないかという疑問に対しては、佐野氏から「先方のロゴマークは見たことがない、デザインの参考にしたことはない」との説明を受け、エンブレムの独自性を認めている。さらに、組織委員会は依頼時に「オリンピックとパラリンピックの関連性を持たせること」と「デジタルメディアでの展開も想定したデザインの拡張性を満たすこと」の二点をお願いしていたという。

 こうした前置きを踏まえ、まず佐野は盗用が「事実無根」であるとした上で、「この場で私がご説明することは、作成したエンブレムのデザインに込めた想いと具体的なデザインのディティールに関すること」と始める。そして「今回のオリンピック・パラリンピックのエンブレムは、アートディレクター、デザイナーとしてのこれまでの知識や経験を集大成して考案し仕上げた、私のキャリアの集大成ともいえる作品」であり、「力を出し切って、真にオリジナルなものができたからこそ、自信を持って世の中に送り出すようなものになった」とデザインの独自性を主張している。

 それでは、その独自性とはどのようなものか。どこをどのように見れば、そのデザインを理解することができるのか。そこで佐野はエンブレムの各パーツ及びそれらの配置をどのように見るべきかを説明する。

「まずエンブレムを制作する時に、一つの強い核を見つけたいと思いまして、いろんな方向性を試しました。その中の一つとして、TOKYOの「T」であるこのアルファベットの「T」に注目しました。いくつか欧文書体はあると思うのですけれども、そのなかでDibot(ディド)という書体とBodoni(ボドニ)という書体があり、これは広く世界に使われている書体です。それを見た時に、非常に力強さと繊細さとかしなやかさとかが、両立している書体だなと思いまして、このニュアンスを活かすことができないかというところから発想が始まりました」

 ここでは、エンブレムのデザインをアルファベットの「T」という形から見始めてほしいということが確認されている。そして複数の書体が存在することを示し、「T」という形状もいろいろありうることを紹介した上で、他でもなくこの形状に絞り込んだ理由を「力強さと繊細さとかしなやかさとかが、両立している」点に求めている。まずは他でもなく「T」として見ること。これが佐野による最初の設定である。


「で、見て頂いてわかるように、(曲線部分を指さしながら)ここのRの部分がありまして、これは今楕円的なものが入っていると思うんですけれども、僕はこれを見て、亀倉雄策さんが1964年の東京オリンピックの時に作られた大きい日の丸というものをイメージさせるものになるんじゃないかなと思いまして、単純に「T」という書体と「円」という書体を組み合わせたようなデザインができるのではなかろうかということを思いました。そこで作ったロゴが、今回のこの東京オリンピックパラリンピックのエンブレムになります」

 次に「T」のどこをどのように見ればよいのかである。佐野は「T」の曲線部分を指さし、文字装飾の一部分に「楕円的なものが入っている」と述べている。重要なのは、このようにデザイナーが見ているものが示されることで、私たちも「この図形には楕円も含まれている」と見えるようになってくることである。そして佐野はこの楕円と「大きい日の丸」を関連付け、「T」と「円」という組み合わせが、東京オリンピックパラリンピックのエンブレムにもなりえると説明している。つまり、円形という概念を用いて「T」を見ること。これが佐野による二つ目の設定である。

「図解で示しますと、正方形を9分割しているんですね。で、9分割して、ここの真ん中の黒いラインは、オリンピックの黒いロゴと対比したような形で黒の帯をとっております。ここの赤い丸なんですけど、鼓動(引用者注:質疑応答では「赤い丸を心臓の位置に置きたい」とも説明)をちょっとイメージしたような形で左上に置かさせて頂いて、ここの円とここのオリンピックロゴの円が、同じ(引用者注:縦の)ライン上に並ぶようにデザインしていて、ここの羽根の部分(引用者注:ゴールドの部分)は、この大きい円の周りの部分を使っているものです。で、右下(引用者注:シルバーの部分)にこのものを反転してを使っているようなものとしてデザインしています」

 続いて、エンブレムにおける各パーツの配置についてである。佐野はエンブレムの上に線が描き重ねられたボードを示して、「正方形を9分割している」と述べている。ここでも重要なのは、このようにデザイナーが見ているものが具体的に示されることで、私たちも「この図形は9分割された正方形に収まっている」と見えるようになることである。そして佐野はこの正方形の中央部分を「黒い帯」、右上部分を「赤い丸」、ゴールドとシルバーの部分を「羽根」と呼び、それぞれのパーツが円形とそれを囲い込む正方形との関係で成り立っていると説明する。つまり、円形とそれを囲い込む正方形との関連において「T」を見ること。これが佐野のよる三つ目の設定である。

 ここまでを踏まえると、今回のエンブレムには三つの設定がある。一つ目は他でもなく「T」として見ること、二つ目は円形という概念を用いて「T」を見ること、三つ目は円形とそれを囲い込む正方形との関連において「T」を見ることである。今回の記者会見で佐野はこの三つを説明しながら「デザインの考え方が違う」と述べたのだが、どういうわけかそれでも記者から「デザインの考え方が違うというのが、素人でもわかるように説明して頂きたい、どう違うのでしょうか」と再説明を求められてしまい、以下のように答えた。

「繰り返しになってしまいますが、リエージュ劇場のほうは、シアター・リエージュで「T」と「L」で作られてますよね。それでこちらは、「T」と「円」ということをベースにしてユニットの組み合わせで作っているものですので、まずデザインに対する考え方が違うと言ったのはその意味です。そしてディティールを見て頂いても、ここの部分が接しているですとか、ここにこう大きい円が入っているですとか、下の書体も同じなのではないかこととベルギーのデザイナーの方は申しているようなんですけれども、これは全く違う書体です。なので、表層的に見ても、実際のデザインの考え方としても全く違うと僕は思います」

 ここではリエージュ劇場のロゴと今回のエンブレムの区別がなされている。つまり、リエージュ劇場のロゴは「T」と「L」の組み合わせだとした上で、今回のエンブレムは「T」と「円」の組み合わせだと述べている。このようにして佐野は「表層」をどのように見ればよいのかを説明し、またその区別を支えるのが先に述べた三つの設定であると具体的に示し、「実際のデザインの考え方としても全く違う」と述べているのである。

 重要なのは、このようにデザイナーが見ているものが具体的に示されることで、私たちもリエージュ劇場のロゴと東京オリンピックパラリンピックのエンブレムが「異なる」と見えるようになることである。そしてこのように説明されれば、デザイナーではない私たちでもデザイナーが見ているように見えてくるのである。デザイナーによる説明を聞いて、デザインを「理解」するとはきっとこのような経験なのであろう。

 とはいえ、説明に不十分な点もある。例えば、今回の説明は組織委員会が既に発表している「すべての色が集まることで生まれる黒は、ダイバーシティを。すべてを包む大きな円は、ひとつになったインクルーシブな世界を。そしてその原動力となるひとりひとりの赤いハートの鼓動」(https://tokyo2020.jp/jp/emblem/)という文面に対応していたとは言えない。むしろ、今回の記者会見は佐野自身におけるデザインの見方を説明したに過ぎない。

 また佐野によれば、リエージュ劇場のロゴは「T」と「L」の組み合わせである。しかし、実際のところは黒い丸も使用されており、その中に白抜きで「T」と「L」が描かれている。したがって、東京オリンピックパラリンピックのエンブレムは「T」と「円」の組み合わせであるという説明が決定的であるとは言い切れないところもある。

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 今回の問題は視覚的な類似点への気付きが「模倣ではないか?」と話題になって始まったものである。そして、デザイナーによる記者会見では「T」を円形や正方形と関連付けて見てもらうための説明が尽くされることになった。「模倣」という理解から「それなりに設計されたデザイン」へと理解を書き換えていくための具体的な手順が、今回の記者会見で示されたのである。

 振り返ってみれば、このような「もっともらしさ」はデザインにおいてとても重要なものである。というのも、このように説明をされることで、デザイナーではない私たちはその対象をどのように見ればよいのかを定めることができるからである。専門家でなくても「見てわかる」とはこのような経験のことであり、またこうした経験を通じて私たちはデザインをわかったことにしているのであろう。

 要するに、デザインの何を見て何を見ないのかは、私たち自身の説明の仕方と不可分な関係にある。また「見る」ということは概念の利用と深く結びついてもいる。驚くべきことに、私たちはどの概念を用いるのかによって、見えている対象をどのように理解するのかも変わってしまうのである(前田泰樹+水川喜文+岡田光弘(編)『エスノメソドロジー新曜社、2007年、pp.210-216)。その意味において、今回は私たちがいかなる概念を用いて「T」を見るのかという視覚的なせめぎあいが生じていたのであろう。

 なお、このように「もっともらしさ」を競うことはそんなにおかしなことではない。というよりも、そもそも決定的かつ必然的なデザインは存在しないので、なぜ他でもなくそのデザインなのかを説明し続けなくはならない。その意味で、デザインはどうしようもなく言葉と不可分であり、何度でもどのようにでも語り直されていくのである(加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学:近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』せりか書房、2014年)。

 今回の騒動は、デザインにこうしたややこしさがあることを私たちに再確認させてくれた。デザインは言葉であり、私たちは何かしらの概念を用いることで、「見る」という行為をその都度達成しているのである。こうした面倒臭さと経験の可変性を引き受けながら面白がることが、現在の私たちには求められているように思う。(2015.8.5)

エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)

エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)

グラフィックデザインと模倣の歴史的な関係:亀倉雄策と佐野研二郎

 2015年7月24日に2020年開催予定の東京オリンピックパラリンピックの「エンブレム」が発表され、その約一週間後にベルギーのデザイナーが制作した劇場「Theatre de Liege」のロゴマークと「酷似」していることが話題となった。前者を制作したのはは佐野研二郎(アートディレクター、多摩美術大学教授)、後者を制作したのはオリビエ・ドビ(Studio Debie)である。

 経緯としては、「友人から電子メールで知らせがあり驚いた。類似点が多くある」とオリビエが認識し、Facebookに記事を投稿してから拡散的に知られるようになった(https://www.facebook.com/StudioDebie/photos/a.306570046078725.70557.306563286079401/883470945055296/?type=1)。また、スペインのデザイン事務所が東日本大震災の復興支援のために制作したものと「配色が同じ」という指摘も登場し(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150730/k10010171901000.html)、インターネット上では批判的な議論が繰り広げられている。

 こうした動きに対し、東京オリンピックパラリンピック組織委員会は「各国の商標をクリアしており、問題になるとは考えていない」という見解を示し、IOC(国際オリンピック委員会)のマーク・アダムス広報部長は「ロゴのデザインで同じことはしばしば起きる。リオデジャネイロオリンピックロゴマークも、多くの人が『ほかのロゴとデザインが似ている』と言っていた」と話している(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150730/k10010171901000.html)。

 また佐野と同じくコンペティションに参加した森本千絵(アートディレクター)は「私もやりきったし気持ちよい。佐野さんのエンブレムは代表して選ばれたわけで誇りに思うし応援したい」と述べており(https://twitter.com/morimotochie/status/624964454321537024)、佐野の同僚でもある中村勇吾ウェブデザイナー多摩美術大学教授)は「今回のエンブレムのオリジナリティについてはこの映像の後半によく表現されている。あるひとつのシンボルに集約されるのではなく、多様に発散していく形態のシステム」とも述べている(https://twitter.com/yugop/status/626601871835164672)。

 さらに、グラフィックデザインの業界誌『アイデア』の編集長でもある室賀清徳は「個人の感想」と前提して、「元ネタとされる劇場のは頭文字の「T」と「L」をモダン・ステンシル書体風味で一体化させてるのがポイントで、東京五輪はあくまで幾何的図形の構成をベースにTとOとIとLを表現するマークを作ったということだと思う」(https://twitter.com/kiyonori_muroga/status/626385596391370753)と書き込んでいる。

 このように、今回の事態は視覚的な類似点への気付きがインターネット上で拡散・連鎖したものであり、これに対して選考関係者やデザイン関係者がそれぞれの見解を述べていくという形をとっている。また内容としては、模倣を問題視する意見に対して、選ばれたデザインをどのように見ればよいのかと解説する意見が投げ返されている。本稿はこのようにインターネットで元ネタ探しと告発が行われてしまう独特の厳しさをとても興味深いと思うと同時に、このようにしてグラフィックデザインに対する模倣を指摘することは今になって始まったことではなく、それこそ1964年の東京オリンピックロゴマークをデザインした亀倉雄策にまで遡ることのできる出来事だということを紹介したい。

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 2015年7月24日の記者会見において、佐野は今回のデザインが1964年の東京オリンピックロゴマークをデザインした「亀倉雄策の影響」を受けていると話している(http://www.japandesign.ne.jp/editors/150729-tokyoolympic/)。また先に挙げた中村勇吾によれば、佐野のデザインは「1964年の亀倉雄策による究極のシンボルに対する明確な回答にもなっている」という(https://twitter.com/yugop/status/626601871835164672)。このように今回のデザインは、本人やその同業者も認めるほど亀倉雄策との関連を語らずにはいられないものになっている。

 それでは、亀倉雄策(1915-1997)とは一体何者なのか。一般的に広く読まれた書籍によると、様々な国家的イベントや大企業のポスターやシンボルマークを手掛けてきた亀倉は「日本のデザイン界を背負って立つ男」(野地秩嘉『TOKYOオリンピック物語』小学館、2011年、p.10)だと言われる。またデザイン史的な記述においても、「世界が認めたジャパンデザインの象徴」(『亀倉雄策のデザイン』美術出版社、1983年/2005年、帯文)と書かれるように、日本を代表するグラフィックデザイナーの一人として理解されている。

 ここで注目したいのは、その亀倉も模倣に手を染めていたことであり、また模倣の指摘を他者から受けてもいたことである。例えば、1951年の広告業界誌『広告と広告人』には以下のような記事が掲載されている。

「近頃、廣告界の話題として模倣とか盗用とか余り香しくなく話が專らである。今更事新しくとり立てて言うのが可笑しい位である。次に最近問題になったのは亀倉雄策氏の「包装」の表紙図案である。美術批評家植村鷹千代氏が辛辣な筆彈を朝日の文化欄にぶっ放した。スイス・グラフィース所載RIRIのチャックの廣告「河馬」の絵を盗用したというのである。模倣と創作の限界はまるで鶏と卵のように難しく、模倣と盗用も時に於てデリケートな問題にぶつかる。模倣とは善意の盗用か、盗用は文字どおり悪意の模倣か…全くややこしい。…(中略)…。ベテラン亀倉、彼が有名人だけに風当たりは彼がまともに食ったのである。成程、盗用と言われれば盗用であろう。そうなれば叩けば濛々たるホコリはあながち廣告作家の世界だけに限らぬことは知れきっている。…(中略)…。亀倉氏は「正しい批評だよ」と言っているだけに男らしい。」(狛江孝平「廣告時評」『広告と広告人』(第3号)丹青社、1951年) 。

 そして、この件については数年後に亀倉自身が以下のように認めている。

「実は私は今から8年か9年前、日宣美ができる以前、日本ではまだデザインというものが社会的に認められないころ「盗用作家」として1度朝日新聞で非常に大きくたたかれた人間で、…(中略)…。そのころ2千部か3千部ようやく出していたような雑誌に私は表紙をかいたのです。ちょうどスイスから初めて薄っぺらな雑誌が届いて、それにカバの絵があった、これがいけなかったのです。アイデアに困って苦心していたのですが、実は私もそのころは今みたいではなくもっとずっとやせておりまして、とにかく何とかしなければならない、カバを書きたい、そう思ったのですが、そのカバを写生するだけの気力もないわけです。また動物園にもカバはいなかった。何かいいのはないかと思って写真を一生懸命探したが写真もない。しょうがないから書いちゃった。もちろんうまくない、へたですけれども、そのカバの首を原画と逆に左へ曲げればよかったのを右へ曲げたのがいけなかった。カバの首を左に曲げて、おしりにラジオが乗っかっていてちょっとしたものでしたがそれを何のことなしに首を右に曲げた、それがぼくの失敗です。その首をぐっと左に回せば目につかなかったかもしれない」(亀倉雄策「盗用と影響」『全日本広告技術者懇談会記録』電通、1958年)

 『朝日新聞』の記事データベースでは当該記事を発見することができないのだが、少なくとも告発した側とされた側の主張は噛み合っている。1950年代前半の日本社会においては外国雑誌の流通が限られており、それゆえにその稀少性を利用した制作がなされ、それが結果として「模倣」や「盗用」と呼ばれてしまったというわけである。

 なおこうした傾向は亀倉に限ったことではなく、グラフィックデザイナーの職能団体である日本宣伝美術会でも問題になっていた。例えば、「模倣の罪 いまだに多い。有名作家でもやっている。モチーフだけいたゞいたのはまだいゝが、中にはトレーシングペーパーでしき写したようなのがある」(やなせたかし「デザイナー七つの大罪」『JAAC』(No.2)日本宣伝美術会、1954年)というように、西洋社会の模倣を疑われる日本のグラフィックデザインという問題は1950年代から生じていたものである。

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 このように、1950年代におけるグラフィックデザインの模倣は同業者や批評家によって告発されるものだった。しかし、1960年代になると一般人からも模倣が指摘されるようになり、その矛先が亀倉雄策に向けられたりもした。例えば、1960年の雑誌『デザイン』の読者投稿欄「デザインの広場」に次のような投書が掲載されている。

「近着のSwiss Watch and Jewelry Journal誌に掲載されている、スイスの時計メーカーAudemars Piguet社の広告の一部と貴誌『デザイン』3月号の表紙とは、全く同一と思われます。デザインにおける創造ということの大切なことを強調され、模倣を徹底して攻撃されている同亀倉氏の日頃の発言に共感をもつものとして、もし『デザイン』誌3月号の表紙が単に外国雑誌からぬきとったものだとすれば亀倉氏の対社会的な発言とも矛盾したはなはだ残念なことと思います。氏の誠意ある説明がほしいと思います」(小林松雄「グラフィックデザインの模倣について」『デザイン』美術出版社、1960年11月号)。

 そして、この件について亀倉は以下のように応答している。

「これは模倣でも盗用でもありません。最初から中世期の銅版画を利用することを目的に作ったものです。スイスの時計の広告も、やはり中世期の銅版からとったものです。この中世の技術図版は著名なもので、この復刻版が、最近アメリカから上巻、下巻の大冊で刊行されています。ですから、このスイスの時計の広告の銅版画は現代作ったものではありません。デザイナーがこの古い技術の本から複写して、それに品名をレイアウトしたものです。…(中略)…。あなたが強調されているスイスの時計の広告も私と同じように中世の銅版画を利用したものです。しかもデザイナーは、それを料理しないで、そのままナマに利用したわけです。…(中略)…。こういう銅版画は、技術者や科学者が、写真のない時代に描いたもので、従って無性格のものです。博物の鳥や蝶の絵と同じもので、作者があるというものではないのです。そのような無性格なものに、デザイナーが性格を与え表情を与えることも、ひとつの仕事であると思います。以上あなたの質問に答えたつもりですが、いかがでしょうか。あなたがもし、それでも私をおせめになるならば、スイスの時計会社のこのデザイナーも私同様せめられねばならない筈です」(亀倉雄策亀倉雄策氏の返事」『デザイン』美術出版社、1960年11月号)

 重要なのは、模倣を指摘された亀倉の対応が先の事例とは異なることの意味である。先の事例においては、同業者に模倣が蔓延るなかで自分もやってしまったことを認めている。しかし、この事例においては模倣や盗用でないと否定している。こうした対応の違いが生じるのは、後者の事例においては「全く同一と思われます」というように、視覚的な同一性だけが根拠にされているからである。つまり同業者や批評家であれば共有していてもおかしくない専門的知識が参照されないまま、結果としての制作物だけが問題にされている。だからこそ、亀倉はわざわざどのようにして制作したのかを丁寧に語らされてしまっているのだ。

 なお、こうした傾向も亀倉に限ったことではない。大阪万国博のマークがアメリカのデザイン書にのっている模様の一部と似ているといった指摘(『朝日新聞』1966年9月29日)や、札幌オリンピックのマークの構成要素の一つ〈初雪〉の紋が盗用ではないのか(『朝日新聞』1966年10月10日)といった指摘が相次ぎ、「このような問題が一つ起こると連鎖反応を示すようである。これは何も急に盗作が多くなるわけではなく、一般の好奇心がそこに集中されるため、少しでも似ているものを見つけると投書などの方法でどんどん摘発される」(永井一正「デザインの創造と盗作」『朝日新聞』1967年9月13日)とまで語られていた。1960年代にグラフィックデザインを見ることは、それと似ているものを探すことと結びつきやすくなっていたのである。

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 このような動きは、デザイン雑誌の読者が制作物という仕上がりだけを見て、デザインについて語ることがそれなりに可能になってきたということを意味している。1950年代のグラフィックデザイナーにおいては学習対象だった専門的知識が、1960年代の人びとには模倣にしか見えなくなってきたのである。それでは、どうしてこんなことになったのか。

 一つには、1960年代になってグラフィックデザイナーを目指す若者が急増したことが挙げられる。グラフィックデザイナーの登竜門と呼ばれた日本宣伝美術会へのエントリー数は1957年から1962年にかけて二倍になっている。また美術系教育機関への志願者も急上昇し、「戦前、美術学校を受験するような学生は、大体、自己の天分についての自覚をもっていたが、戦後はそうした学生は少なくなった。文科系や理科系の学校を受験するのと同じ気持ちでやってくるのもいる。絵画に興味を持ったこともないという勇敢な学生さえあらわれる。…(中略)…。そのためか、基礎の勉強をいやがる風潮があり、デッサンには手を触れず、初めから絵の具で描きたがる」(「デザイン科は花ざかり」『朝日新聞』1961年2月22日夕刊)とまで語られるようになっていた。要するに、グラフィックデザイナーを目指す学生が増えたことで専門的知識を丁寧に教えて育てるという「やり方」が難しくなってきたのである。

 二つには、1960年代になって「モダンデザイン」という専門的知識が深く信じられなくなったことが挙げられる。というのも、先にも挙げた日本宣伝美術会においては1960年代半ばまでに「グラフィックデザインの機能性、その表現の技術という2つの要素が、ほぼ1つの到達点に達した」(中原佑介「第13回日宣美展を見て」『調査と技術』電通、1963年10月)という見え方が生まれていたからである。1951年に始まった日本宣伝美術会は、「バウハウス的なデザインの流れをくんで、合理的、機能的な視覚像の追求ということが、グラフィックデザインを独自なものにするための第一の手がかり」と考え、「日本のグラフィックデザイン分野の確立は、亀倉氏ら構成主義によって達成された」と言えるまでになったのだが(浜村順「日本のグラフィックデザイン」『調査と技術』電通、1960年3月)、その分だけ、丸・三角・四角といった抽象的な図形の組み合わせでしかないモダンデザインの表現が出尽くしたかのようにも見えてきたのである。1960年代半ばに日本宣伝美術会のあり方を批判した横尾忠則らが「イラストレーター」を名乗り、モダンデザインに回収されることのない制作物を発表するようになったのは、こうした動きの結果でもある。

 つまり、グラフィックデザイナーを目指す若年層が増え、かつモダンデザインという専門的知識が信じられにくくなったことにより、1950年代と1960年代とではグラフィックデザインに対する理解の仕方に違いが生じやすくなっていた。そしてこのような社会的背景があったからこそ、デザイン雑誌の読者が制作物の視覚的類似性だけを見て、デザインについて語ることがそれなりに可能になっていたと考えられそうである。

 あえて言えば、「素人」が社会的に増えたことにより専門的知識が部分化され、「何を達成しているのか」を評価することよりも、「失敗探し」の次元で面白がるほうが、グラフィックデザインに関わる「みんな」を成立させやすくなったのである。こうしてグラフィックデザインに関わる人が増えたことで、グラフィックデザインに対する理解の仕方が変わり、またその変化がさらに関わろうとする人びとに利用されることで、何をどこまでグラフィックデザインと理解するのかが書き換えられていくのである。

 ここまでを踏まえれば、今回の騒動はデザイン史が好んで取り上げる亀倉雄策の制作物に学べというよりも、亀倉が向き合ってきた人びとにおけるデザインの理解の仕方において学ぶことがあるように思う(加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学:近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』せりか書房、2014年)。歴史的に言えば、亀倉だって模倣をしていた。それを認めて詫びることもあれば、反論として説明責任を果たすこともあった。だからこそ、亀倉は今でも評価されているのだ。

 人びとのリテラシーが上昇すれば、批判の声が増えることも避けられない。そういう「豊かな社会」において、デザインを制作する側には亀倉が果たそうとして苦労した説明責任が求められ、批判する側には相手の立場にもなってよりまともな意見を届けていくことが求められよう。絶対に批判されないデザインはありえない社会において、それでもそれなりに説明を尽くそうとするデザインとそうした根拠付けにそれなりに耳を澄ますことが、現在の人びとには求められているように思う。(2015年7月30日)

KoSAC「日本におけるソーシャリー・エンゲイジド・アートの行方」

第13回KoSAC「日本におけるソーシャリー・エンゲイジド・アートの行方」

 今年度2回目のKoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)のお知らせです。今回は、ロンドン芸術大学トランスナショナル・アート研究所(以降TrAIN)博士研究員の山本浩貴さんをお招きし、「トリックスターとしてのアーティスト」というタイトルでご発表を頂きます。

 山本浩貴さんは、一橋大学で宗教社会学を学ばれたのち渡英され、ロンドン芸術大学チェルシー・カレッジ・オブ・アーツを経て、現在TrAINでご自身のアーティスト、研究者両方の視点を生かしながら、社会とアートの関係性について研究を進められています。また2015年5月より、京都芸術センターのアーティスト・イン・レジデンスプログラムで京都に滞在されており、今回のKoSACでは、京都でのレジデンスプログラムを通して得た知見を反映させながら、日本におけるソーシャリー・エンゲイジド・アートの可能性と課題についてお話し頂く予定です。

 日本でも、今年に入ってから3月にパブロ・エルゲラの『ソーシャリー・エンゲイジド・アート入門』(フィルムアート社)が出版されたほか、研究者とアーティストの垣根を越えて「社会の芸術フォーラム」が5月に設立されるなど、「社会」と「アート」の関係性について再考しようという気運が高まっています。一方で、アートにおける「社会的なもの(the social)」、もしくは「社会的に関わること(socially engaged)」とは一体何を意味するのかについては、その議論は緒についたばかりです。そこで、日英の現状にも詳しい山本さんの研究成果をベースにしながら、会場の皆さんと自由に議論をする機会になればと考えています。

 当日までに、以下の山本さんの著作・プロジェクトのサイトをご覧戴くことをお勧めします。
1.Watarase Art Projectでのインスタレーション
「山本浩貴 『書かれなかった歴史に光を当てる』」 
http://watarase-art-project.tumblr.com/
2.展覧会「他者の表象あるいは表象の他者」(京都芸術センター、会期:2015年6月20日〜7月5日)
http://www.kac.or.jp/events/16109/
3.図書新聞:「レイシズムに抗するアート――1980年代イギリスにおける「ブラック・アーツ・ムーブメント」から反人種差別運動におけるアートの役割について考える」
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3204&syosekino=8257
4.図書新聞「英国のブラック・アートにおける反レイシズム戦略の多様性――クローデット・ジョンソンとリネッテ・イアドム=ボアキエの作品を例に考える」
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3204&syosekino=8307

■日時:2015年7月13日(月) 18:30〜20:30
■場所:東京経済大学 第4研究センター4階4422研究集会室
    国分寺キャンパス正門を入って直進。突き当たり右側にある図書館の4階です。入口は図書館とは別ですので、図書館を正面にして「第四研究センター」と書かれている入口からエレベーターで4階に上がって下さい。上がると正面に地図がありますので、4422研究集会室の位置をご確認下さい。構内の地図は以下のURLをご参照下さい。(http://www.tku.ac.jp/campus/institution/kokubunji/
■話題提供者:山本浩貴(ロンドン芸術大学博士課程、TrAIN博士研究員)
■討論者:狩野愛(東京藝術大学大学院博士課程)、光岡寿郎(東京経済大学
■司会:加島卓(武蔵野美術大学ほか)
■参加方法:(1)お名前、(2)ご所属、(3)自己紹介を140字程度でjoinkosac(at)gmail.com(atを@マークに変えて下さい)までお送り下さい。当日参加も歓迎いたします。
■問い合わせ
e-mail: joinkosac(at)gmail.com(atを@マークに変えて下さい)
■URL
http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/
http://toshiromitsuoka.com/

「町田×本屋×大学」、始めます。

「町田×本屋×大学」
第1回「時間消費型の新刊書店」のお知らせ

 2015年5月より、「町田×本屋×大学」というイベントを始めます。これは町田マルイ6階のブックカフェ「solid & liquid MACHIDA」にて、町田近辺の大学をネットワークしながら地域住民や通勤買物客、大学生や高校生を対象にトークショーやブックフェアなどを開催するイベントです。都心ではなく「町田」で、インターネットではなく「本屋」で、小田急線や横浜線沿いの「大学」を横断しながら、出版文化を応援するのが目的です。
 第1回は「時間消費型の新刊書店」がテーマです。ここ数年で「個性派新刊書店」が注目されるようになりました。昔ながらの街の本屋や駅前書店とは異なり、ブックカフェなどが併設され、特徴のある本棚をゆっくり楽しむような店舗が増えています。今回はこのような「時間消費型の新刊書店」に焦点を絞り、TSUTAYAhttp://www.tsutaya-ltd.co.jp/)、オリオン書房http://www.orionshobo.com/)、solid & liquid MACHIDAの三店からゲストをお招きして、現状認識や課題、そしてこれからの新刊書店と街の関係についてのお話を伺います。
 聞き手は、メディア論や社会学が専門の加島卓(東海大学http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/about)とドイツ現代史やヨーロッパ文化論が専門で『ニセドイツ』シリーズ(社会評論社伸井太一名義)でも知られる柳原伸洋(東海大学http://researchmap.jp/noby/)です。年齢や職業を問わず、書店に関心のある多くの方々にいらしてもらえると幸いです。

第1回 時間消費型の新刊書店
■日時:5月22日(金)19時〜21時
■場所:solid & liquid MACHIDA カフェスペース(町田マルイ6階、小田急町田駅徒歩2分、JR横浜線町田駅徒歩1分)
https://www.facebook.com/pages/Solidliquid-%E3%82%BD%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%89/667876799974426
■料金:800円(ワンドリンク付)
■ゲスト
・(株)TSUTAYA/BOOK部・安本朋幸
・万田商事㈱/専務・高田鉄(オリオン書房
リーディングスタイル㈱/代表取締役・今出智之
■聞き手:加島卓(東海大学)+柳原伸洋(東海大学
■参加方法:メールまたはsolid & liquid MACHIDA 店頭でご予約ください。メールの場合は(1)お名前、(2)お電話番号、(3)「5月22日の「町田×本屋×大学」に参加希望」とお書きの上、kitada@readingstyle.co.jpまでお送り下さい。頂いた個人情報はこのイベント以外には使いません。また先着での受付になります。定員(30名)になり次第、締め切らせて頂きます。
■お問い合わせ:042-785-4951(solid & liquid MACHIDA)
■URL:http://machidahonyadaigaku.hatenablog.com/

 なお、6月20日(土)19時からは、小規模の個性派書店(三店舗)に注目した「新しい本屋の形を考える」というセッションを予定しております。こちらにつきましては、改めてお知らせします。
 以下は、企画の背景とねらいについてです。

 「町田×本屋×大学」を企画した背景としては、「本屋の街」「変わる書店の在り方」「大学の交差点」の三つがあります。
 まず、町田は「本屋の街」です。しかし、2013年以降に大型書店(リブロ、あおい書店、福家書店ほか)が撤退してからは、町田で入手可能な書籍の種類が限られてしまいました。そうしたなか、2014年6月にブックカフェ形式の書店(solid & liquid MACHIDA)が町田マルイ6階にオープンし、本にまつわる「場」や「商品」にも目を配った個性的な店舗を展開しています。そこでこのような機会を活かし、地域の住民や周辺の大学と緩やかに連携しながら程良い読書空間を作り出していくことはできないだろうかと考えました。
 次に「変わる書店の在り方」です。オンライン書店が急成長する一方で、オフライン書店の在り方が再編成されつつあります。都心の大型書店では、併設カフェなどでトークショーなどのイベントを開催し、店舗へのリピーターを増やそうとしています。また、下北沢のB&Bや京都の恵文社一乗寺店のように地域性を活かしたイベントを開催し、個性的な書店作りに努めているような事例も出てきました。こうした傾向を踏まえつつ、都心ではなく「町田」であることを看板にして、町田という場所だからこそ可能なトークショーやブックフェアを開催できないだろうかと考えました。
 最後に「大学の交差点」です。町田を中心に見ると、小田急線と横浜線沿線にはかなりの数の大学があり、またそうした大学を目指す高校生たちもいます。言い方を変えれば、様々な本の書き手が町田周辺で働いており、またそうした書き手の下で学ぶ可能性の高い高校生がいます。こうした地理的な条件を踏まえれば、大学の交差点である町田をハブにして、書き手を緩やかにネットワークしつつ、読み手と出会う機会を作れるのではないかと考えました。
 以上を踏まえ、2015年5月より「町田×本屋×大学」というイベントを始めます。これは町田マルイ6階のブックカフェ「solid & liquid MACHIDA」にて、町田近辺の大学をネットワークしながら地域住民や通勤買物客、大学生や高校生を対象にトークショーやブックフェアなどを開催するイベントです。都心ではなく「町田」で、インターネットではなく「本屋」で、小田急線や横浜線沿いの「大学」を横断しながら、出版文化を応援するのが目的です。
 「町田×本屋×大学」では沿線の教育施設と緩やかに連携しながら運営していくことを考えております。企画案などがありましたら、ご相談下さい。

2015年4月30日
文責:加島 卓(東海大学文学部広報メディア学科准教授)
machidahonyadaigaku@gmail.com

KoSAC『発表会文化論』の発表会

第12回KoSAC『発表会文化論』の発表会

 2015年度初めてのKoSACのお知らせです。今回は、KoSACの共同運営者の一人である東京経済大学の光岡が寄稿した『発表会文化論―アマチュアの表現活動を問う』(青弓社、2015年)の書評会をトランスアジアポピュラー音楽研究会、および東京芸術大学の毛利研究室との共催で開催します。詳細は以下の通りですが、参加頂ける方は、KoSACのいつものアドレスではなく、書評会用の(e-mail:happyoukaiculture@gmail.com)へご連絡頂ければと思います。休日開催ですので、普段平日は参加するのが難しいという方も奮ってご参加下さい。

日時:2015年5月24日(日)15:00〜18:00
会場:東京芸術大学 千住キャンパス 第一講義室(東京都足立区千住1-25-1)
   (URL: http://www.geidai.ac.jp/access/senju
参加費:無料
申し込み:不要(ただし、当日のレジュメの準備などがあるため、事前に参加の旨をご一報いただけると助かります。事前の連絡先:happyoukaiculture@gmail.com

開催趣旨:
 『発表会文化論』の出版にあたり、書評会を開催することになりました。サブタイトルにもあるように、同書はアマチュアの表現活動について、さまざまな角度から議論を交わした本です。もちろん、あらゆる表現活動を網羅することは不可能で、当然のことながら同書で扱いきれなかった分野もあります。とはいえ、たとえ分野は異なっても、アマチュアの表現活動を取り巻く状況には共通する点が多々存在します。本書は、これまで、しばしば見過ごされてきた(あるいは自明のものとされていた)アマチュア文化の実践領域において、新しい分析の枠組みを提供していると考えています。今回の書評会は、本書で議論された「発表会」という形式を意識しつつ、ここで提示された新しい問題構成とその分析について、さまざまな研究領域、さまざまな世代の研究者を交え議論をしようという試みです。
  まず、同書で取り上げることができなかった分野を専門にしている研究者や同書に興味を抱いた大学院生がコメントを行ないます。そして、それぞれのコメントを受けて、執筆者には報告ごとに応答してもらいます。そのうえで、会場のみなさんとディスカッションの時間を設けたいと思います。
 この書評会はどなたでもご参加いただけます。事前に『発表会文化論』をご一読いただけると幸いですが、「予備知識」なしでの参加も歓迎します。ぜひご参加下さい。

登壇者:

タイムテーブル:
15:00〜15:10 書評会の主旨説明(毛利)、『発表会文化論』概要説明(宮入)
15:10〜16:10 報告①(吉澤、飯田、浅野)+執筆者の応答
16:10〜16:20 休憩
16:20〜17:20 報告②(高橋、調、今井)+執筆者の応答
17:20〜17:50 フロアとのディスカッション

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主催:トランスアジアポピュラー音楽研究会+東京芸術大学 毛利嘉孝研究室
共催:KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture)
問い合わせ:mouri@ms.geidai.ac.jp(毛利)

KoSAC「卒論修論フォーラム Vol.2」

第11回KoSAC「卒論修論フォーラム Vol.2」のお知らせ

 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)」では、大学の街でもある「国分寺」を拠点に「社会」「芸術」「文化」などをテーマにしながら、毎回ゲストをお呼びしてお話を伺う機会を設けております。

 その第11回として、「卒論修論フォーラム Vol.2」を2015年3月21日(土・祝)に開催します。これは卒業論文修士論文を書き終えた方がその内容を発表し、それに対して評者がコメントをする合評セッションです。研究の精度をより高めるというよりも、より多くの人に話題を共有してもらうことが目的なので、会場の参加者にも議論を開く形で行います。今回のプログラムは以下の通りで、一つ目はドイツ美術史をボードゲームで学ぶ卒業制作の報告と試遊、二つ目は芸術/非芸術の区別を社会学的に検討した修士論文の報告と議論になります。

14:00  はじめに:加島卓(武蔵野美術大学ほか)
14:10-15:50 「ヴォルプスヴェーデ村と4人の芸術家たち:1894-1937」
報告者:山中麻未(武蔵野美術大学芸術文化学科) 評者:山本貴光(哲学の劇場)
16:00-17:50 「人々の実践としての芸術/非芸術の区別:法・倫理・批評領域に焦点を当てて」
報告者:岡沢亮(東京大学大学院学際情報学府) 評者:森功次(日本学術振興会)+松永伸司(東京藝術大学
18:00 おわりに:光岡寿郎(東京経済大学
18:30 懇親会(国分寺駅周辺)

 なお、今回の報告者につきましては以下のサイトをご確認下さい。
・山中麻未「ヴォルプスヴェーデ村と4人の芸術家たち:1894-1937」
http://asamiy024.tumblr.com/post/110263428782/4-1894-1937
・岡沢亮「人々の実践としての芸術/非芸術の区別:法・倫理・批評領域に焦点を当てて」
http://ryookazawa.hatenablog.com/entry/2015/02/18/220313

当日のレポートと報告レジュメは、以下の通りです。
・山中麻未「3月21日(土)KoSAC修論卒論フォーラムのご報告」
http://asamiy024.tumblr.com/post/114494838157/3-21-kosac
森功次+松永伸司「第11回KoSAC「卒論修論フォーラム Vol.2」の資料公開」
http://d.hatena.ne.jp/conchucame/20150322/p1

 KoSACでは大学院生や研究者に限らず、学生から社会人までどなたでもご参加頂けます。ご所属や年齢を気にせず、テーマにご関心がありましたら奮ってご参加下さい。また、今後KoSACで取り上げたい企画の提案も歓迎いたします。また最後に、今回は会場の都合により、参加を希望される方は事前にメールでのお申し込みをお願いしております

■日時:2015年3月21日(土・祝) 14:00〜18:00
■場所:東京経済大学国分寺キャンパス 第四研究センター4階4422研究集会室
 国分寺キャンパス正門を入って直進。突き当たり右側にある図書館の4階です。入口は図書館とは別になっていますので、図書館を正面にして左側に「第四研究センター」と書いてある入口からエレベーターで4階に上がって下さい。上がると4階に地図があります。そこで4422研究室の位置をご確認下さい。尚、当日は祝日のため、14時以降、第四研究センターの入口が施錠される場合がございます。施錠されている場合には、当日入口の見える位置に呼び出しの方法を掲示しておきますので、ご参照のうえご連絡下さい。参加者の皆さまにはご迷惑をおかけしますが、ご協力頂ければ幸いです。

構内の地図は以下のURLをご参考になさって下さい。
(URL: http://www.tku.ac.jp/campus/institution/kokubunji/

■報告者:山中麻未(武蔵野美術大学)、岡沢亮(東京大学大学院)
■評者:山本貴光(哲学の劇場)、森功次(日本学術振興会)+松永伸司(東京藝術大学
■司会:加島卓(武蔵野美術大学ほか)+光岡寿郎(東京経済大学

■参加方法 ※会場の都合で事前予約をお願いしております。
(1)お名前(2)ご所属(3)自己紹介(4)懇親会への参加/不参加を140字程度で joinkosac(at)gmail.com (atを@マークに変えて下さい。)までお送り下さい。
■問い合わせ
joinkosac(at)gmail.com (atを@マークに変えて下さい。)
■URL
http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/
http://toshiromitsuoka.com/

KoSAC「アート×キャリア×ネットワーキング Vol.3」

第10回KoSAC「アート×キャリア×ネットワーキング Vol.3」のお知らせ

 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、略称コサック)」では、国分寺を中心に「芸術」「文化」「社会」をテーマとしながら、毎回ゲストを招いて一緒に議論をする会を開催しています。

 第10回のテーマは、KoSACでも中心的なテーマの一つになりつつある、アートに関わるキャリア形成です。私たちが経験するアート「業界」は、数多くの職能を持った人々によって支えられていますが、彼/彼女らの仕事やそこから生まれる人的なネットワークは、これまで具体的に語られる機会はほとんどありませんでした。そこで今回は、東京文化発信プロジェクト室プログラムオフィサーの佐藤李青さんをゲストに迎えて、今まで手がけてこられたプロジェクトや、そこから拡がったネットワークについて、具体的なエピソードを交えてご紹介頂こうと考えています。

 佐藤さんは、大学院在籍時から展覧会やアートプロジェクトに携わるかたわら、一方では日本の近現代の美術運動を研究の対象とされてきました。東京都小金井市文化政策の一環である「小金井アートフル・アクション!」の立ち上げにも参画し、実行委員会事務局長を務められます。その後2011年より現職に就かれ、現在でも数多くの地域型のアートプロジェクトのマネージメントに関わっておられます。

 1990年代後半以降、「アートマネージメント」をうたう学部、大学院の新設が増加した一方で、その出口問題は依然として解決されていない現状を考えれば、学生時代からどのようにアクションし、どのような人々と出会ったことで現在の道が開けたのかを伺える今回は、貴重な機会になるのではないでしょうか。ですので、これから仕事としてアートに携わりたい学生、フリーランスの方も、日本のアートシーンを対象とした研究を進めたいと考えている方も是非ご参加頂ければと願っています。

 なお、今回のゲスト佐藤さんの主な経歴は以下のテキストをご覧下さい。
・吉澤弥生『続々・若い芸術家たちの労働』2014年3月、28-32頁
https://drive.google.com/file/d/0BytBPnz0rcUUai1qbVh5cXhWZVE/view?pli=1
(2015年1月22日まで限定でウェブ公開)

■日時:2015年1月22日(木) 18:30〜20:30(今回は木曜日開催です!)
■場所:東京経済大学6号館7階中会議室1
 (http://www.tku.ac.jp/campus/institution/kokubunji/
 正門から直進して突き当り左手にある青い建物が6号館です。エレベーターを使って7階に上がって下さい。
■話題提供者:佐藤李青さん(東京文化発信プロジェクト室)
■司会:加島卓(武蔵野美術大学ほか)、光岡寿郎(東京経済大学
■参加方法:(1)お名前、(2)ご所属、(3)自己紹介を140字程度でjoinkosac(at)gmail.com(atを@マークに変えて下さい)までお送り下さい。当日参加も歓迎いたします。
■問い合わせ
e-mail: joinkosac(at)gmail.com(atを@マークに変えて下さい)
■URL
http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/
http://toshiromitsuoka.com/