広告の批評について

 広告制作者の戦後史を書いているので、関連する雑誌はそれなりに眼を通している。この手の雑誌の量や売上がピークを迎えるのは1980年代で、広告が読みこまれると同時に広告の裏側や広告制作者が読みこまれる対象になるのはこの頃のこと。『広告批評』が創刊されたのは1979年だけど、広告をあえて解釈しようとする本誌のような姿勢は1970年代前半の『ブレーン』でも確認することができる。
 1970年代から1980年代にかけて広告による物語性はゆっくりとあぶり出されていった。そのキーワードとして「愛」や「女性」といったコトバが挙げられるだろう。天野祐吉さんや島森路子さんは、1960年代末までに国際化やアングラ化を経た印刷系制作者やCMを中心にした放送系制作者というように重層化し始めていた当時の広告制作者たちを、商品や企業の“説明的科学者”から“物語の語り部”へと解釈し直すことを試みていたように思えるところがある。
 彼らの読み解きの主な基準はコピーにあった。だからこそ、広告は“読み物”となり広告制作者は“作家”と捉えられるようになった。おそらくこのことは広告におけるコピーの位置をいままでになく前面に押し出したのだろう。デザインや映像のリテラシーがなくても広告が読み対象に成りうることを可能にしたのがここでいうコピーの前面化(読みの対象化)であり、コピーから広告に接近できるという点、いいかえれば文学的なリテラシーでも十分に広告に対応しうると感じられたところが、1980年代のコピーライターブームを用意したんだと思う。天野さんや島森さんの仕事はその意味においては大きい。
 しかし、かれらの仕事が広告の批評になっているのか?という点については、id:dice-x:20041015さんと似た印象を持っている。彼らの広告の切り取り方は妙にコピーに接近しすぎていて、それへの距離感がつかめない。広告というメディアを横断した独特の論理(広告をひとつのメディアとしてあつかえない難しさ)はコピーだけに回収できないと思うのだが、どうもその点に眼をつむっているように思えてならない。朝日新聞に長ーく連載されている「CM天気図」にも同様な感じを持っていて、広告のコトバと政治のコトバを当たり前のように接続させてしまう処は、天野さんと朝日新聞の抱きしめ合いをを見せられているような感じである。広告はネタである…というお気楽さ。やっぱりこれだと広告の批評じゃないんじゃないかな。
 ちなみにid:oxyfunk:20040904で佐藤可士和さんの話を書きましたが、彼が自らを「状況」や「コミュニケーション」をデザインする者として位置づけていたのはとても興味深いです。そこにはメディアを常に発見し続けること、すなわちなんでも広告として対象化しうる視線の存在を感じます。僕としてはこのことは、濱田増治の商業美術運動や中川静の『広告論』(昭和5年)における「メディウム」の発見のようにメディア論的思考を戦前から育んでいた広告制作者の何度目かの覚醒のようにも思えます。
 天野さん達はきっと気がついていると思うけれども、いままでに「批評」として言語化されてきていない部分はこうした広告のモノ性=媒体性の言語化(何によってそれが成立するといえるのか?という問題も含めて)にあると思います。

佐藤可士和の仕事と周辺 (Artist,Designer and Director SCAN)

佐藤可士和の仕事と周辺 (Artist,Designer and Director SCAN)