「メタデザイン」の分裂

 あの頃を思い出した。DTP黎明期のデザインの現場。デザイナーの境界が曖昧になり始めた頃のこと。ソフトウェアは「道具」じゃなくなりつつあった。それを「よく使う人」と「そんな使わない人」では同じイメージを仕上げるまでの思考のプロセスが異なるのだ。どちらかといえば前者だった僕は、どちらかといえば後者だった年輩ディレクターと何度となく困難な会話をしていた。それはたとえば「どの線を最初に書くか」「どの色を最初にいれるか」などに現れる。この意味で、ソフトウェアはデザインのデザイン=メタデザインが存在していることを決定的に明らかにしたといえるだろう。
 ところで、デザインを共有することと「メタデザイン」を共有することは大分異なる。「メタデザイン」の共有とは「情報を整理する」ための「情報」を共有することである。「どんなルートをたどっても結果が同じならいいよね」ではなく、「同じルートをたどりながら同じ結果をだそうね」の思考。あらかじめプログラム化された手業を受け入れたうえで、それらを組み合わせを考えなくてならないソフトウェア。その登場はこうした「メタデザイン」の共有を強制するようになったのだ。
 しかし、人間はソフトウェアにあまり従順ではない。ソフトウェアにすべてを頼っている人はほとんどいない。それぞれがソフトウェアの「ある部分だけを使う」というような距離の取り方をするのだ。ここに一つの矛盾が生じる。「メタデザイン」の存在を暴露し、その共有を強制するソフトウェアが引き起こす「メタデザイン」の分裂。
 誰かとなにかを一緒につくっていく時に困難なのは最終的な「デザイン」だけではない。この無数に分裂した「メタデザイン」の調整こそしんどい作業なのだ。「あの人」との調整がうまくいきますように。今後もよろしくお願いします。
 

 ある戦争が他の戦争を想起させることがある。泥沼化するイラク戦争が想起させるベトナム戦争。成田は「日露戦争が想起されるときは、「日本」の岐路に当たっている」という。30周年のアジア・太平洋戦争、50周年の朝鮮戦争など。つまり「日露戦争」も戦争のなかで想起され、その観点から語られるのだと。そこでは「戦争そのもの、すなわち戦争の過程」に関心が寄せられる。本書はそうした状況に対して「私たちがどのように日露戦争の記憶を保持していくのか」を考えるもの。日露戦争における「思考停止」に介入を試みる歴史的想像力。日露戦争101年後に大河ドラマ化される司馬遼太郎坂の上の雲』への補助線となるか。