デッサンからの離脱を楽しむ

 「美術の見方が分からない」。本気かどうかはともかく、このように前提されるからこそ、「美術の見方」を語る人がいる。しかし、その人が何を言っているのかが、わからない。いや、その人が何を前提としているのかがわからないので、何を語られても、その人のようには理解することができない、ということがある。

 「理論」は、この前提の不在を埋めると思われている。なぜなら、個々の作品と抽象的な概念としての「美術」との間には、(本当に)何もないからである。それゆえ、何かしらの言葉が個々の作品に投げ込まれ、ようやく美術史における位置、つまり浅い/深い、しょぼい/すごい、薄い/厚いが見えてくる。

 要するに、作品と美術の間を取り持つための読書量と、その「位置」を特定するための鑑賞量がなければ、「美術の見方」を語る人と前提を共有することはできない。しかし、これはこれでかなりハードなトレーニングが必要であり、正直に言えば、読書量や鑑賞量を資源とした知識確認ゲーム(あいつはわかっている/わかっていない)が生じやすいところが、かなり苦手でもある。

 意地の悪い私は、ついついこのように考えてしまうので、これまで作品を「深く」楽しむことがなかった。シンプルな作品には、さっと目を通す程度であり、やや複雑な作品だと、「あー、この人は、こうして目立とうとしているのかな」と、かなり失礼な態度であった。というか、それくらい距離を取ったほうが、鑑賞における負荷も低く、個人的には楽だったのである。

 ところが、今年の卒業制作展(武蔵野美術大学)では、このような見方が出来なくなった自分に気が付いた。なんというか、殆どの造形物が「完成品」というよりも、「一時停止の状態」として見えてくるようになったのである。

 こうした見え方には、ここ数ヶ月間、美大生になるまでの受験勉強、なってからの学生生活、そして就職活動などを集中的に調べたことが効いている。なかでも、高校の美術科や画塾・美術予備校で訓練される「デッサン」は、それが両義的な意味を持っている点で、大変興味深かった。

 例えば、デッサンは入試まではしっかりとやっておけと言われる一方で、入学後はいち早く離脱すべきものとされる。また、そのデッサンこそが、現代日本の美術をダメにしているとさえ言われてしまう。要するに、入学までの局所的な訓練とそこからの離脱が、「美大生の成長」としてチェックされているのだなと、思えてきたのである。

 こうして、多くの作品は「デッサンからの離脱過程」として、見えてくるようになった。ぐちゃぐちゃの抽象画も、スカスカでぺったりなキャラクターも、「あのデッサンからどこまで離れ、いかに展開させていったのか」という理解枠組みにおいて、共存し始めたのである。

 それゆえ、目の前にある表象が派手であっても、また稚拙であっても、あまり気にならなくなった。というか、とりあえずの訓練は踏まえているという安心感が、「良い/悪い」といった強い価値判断を吹っ飛ばしてくれるのである。「あー、この人は、こんな方向へいっちゃったのか」と、無限の展開をゆったり楽しむようになったのだ。

 とはいえ、「やっぱり、個別性は無視してるじゃん」とか、「それって、デッサンを踏まえた作品しか認めないということ?」といった反論もあろう。それは認めるところもある。しかし、逆にいえば、それくらい作品だけを見て反応することは困難だし、またその反応を背景的な知識の量や人脈の見え方に回収するのも、好みではない。内輪な人ほど、より良く理解ができるような解釈ゲームからは、距離を置きたいのである。

 その意味で、「デッサンからの離脱」という鑑賞方法は、かなり負荷が低い。なぜなら、デッサンは「受験絵画」や「マニュアル画」として批判されてしまうほどの画一性を持っているからである。つまり、これほど客観的な位置が、とりあえずはあることになっているからこそ、デッサンを基準点にして作品を鑑賞することは、作品への価値判断を宙吊りにしやすい。

 勿論、デッサンだけが基準点だとは言わない。しかし、この明確さゆえに、個別の成長や試行錯誤を「それぞれに」楽しむことができる。これは、完成品としての作品の優劣を争うようなゲームとは別の、ささやかに見守り続ける「美術の見方」である。デッサンからの離脱の大小は、作品の価値とは別であり、またそれだからこそ、面白い。

 また、デッサンが描けなくてもいい。ただ、言語の読み書き能力があって、文芸がほどほどに楽しめてくるように、ある程度のデッサン的な読み書き能力を知っておけば、解釈だけが「美術の見方」ではないこともわかってくる。作品を「面白がる」のであれば、実技教育とは異なる形で、こうした選択肢があっても良いはずであろう。

・平成21年度武蔵野美術大学卒業・修了制作展
http://www.musabi.ac.jp/degreeshow/2009/

芸大美大をめざす人へ No.129 (別冊アトリエ)

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