データベースか、物語か。
どうしようもできない…、でもジッとしてもいられない。世の中からバンドがなくならないのは、こうしたことが少なくないからだ…。そんな気分の先週末から、少しだけ回復しました。
「デザインを語ることは不可能なのか」(@神戸芸術工科大学)への反応は、とても勉強になった。芸術系の学生は、決して言葉が不得意なのではない。言葉とは異なる表現方法を人よりも訓練し続けているために、言葉への信頼が「相対的に」掴めていないだけである。だから「デザインを語ることをできないというのも、結局は言葉によって表現するしかないのよね」と前提するだけで、言葉への見通しはかなり効くようになる。文系=言葉で表現/芸術系=絵で表現という二分法は、確かに強い。しかしその解除の可能性を直接知ることができたのが、何よりも大きな収穫だった。
待望の大著、難波功士『族の系譜学』(青弓社、2007年)を拝読。原宏之『バブル文化論』(慶應義塾大学出版会、2006年)の時にも思ったが、これらは「雑誌を参照点にして歴史を書くことができた」という意味での歴史性をもった作品である。歴史的な著作(そして分厚ーい)が増えるなかで重要なのは、各々が「どういう意味での歴史」なのかを見極めること。つまり読者がこうした「歴史の歴史」を見通せないと、著者が何をどのように条件づけて書いているのかを見落としてしまうように思う。
そこで「族」にこだわった場合、その歴史はどのように書くべきなのか。「族」は単体として並列することしかできないのか、それとも「系譜学」的に並べることができるものなのか。『族の系譜学』は、このような現代史の記述における難しさを遂行的に示している。非通念性の指標(「階級」「場所」「世代」「ジェンダー」「メディア」)は、とりあえず「歴史」として成立させるための装置のようなものであり、その妥当性を問題にしても、現代史そのものは揺らがないように思う。ある者は問いの立て方を優先するだろうし、また別の者は世界を記述を優先するかもしれない。とにかく充実した本なのだが、これを系譜学として読むべきなのか、データベースとして読むべきなのかが、判断に困るところ。しかしこれは著者に還元できる問題ではなく、複雑な世界を記述する上での問題なのであろう。
現代史は、データベースに徹するしかないのか。それとも(条件づけされた)物語にこだわるべきなのだろうか?
- 作者: 難波功士
- 出版社/メーカー: 青弓社
- 発売日: 2007/06/04
- メディア: 単行本
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『STUDIO VOICE』(2007年7月号)に、「日宣美、その記憶における二つの喪失」という小論を載せました。今回の特集は「日本のグラフィック・デザイン再考」で、似たような論考が多いなか、誰よりも「スタジオボイス的な文体」が掴めなくて苦労している様子が、テクストにはっきりと出ています(涙)。2008年4月から6月にかけて、「デザイナー誕生:1950年代日本のグラフィック」展が印刷博物館であるみたいで、愉しみ。
ところで日本のグラフィック・デザインの歴史が1970年前後で終わってしまうのにはそれなりの理由があり、僕はいつも「グラフィック・デザイン」というジャンルの固有性が融解したと説明します。これをデザインの「細分化」と言ってしまうとそれまでなのですが、上述の議論と同じように、細分化した状況をあえて系譜学としてまとめたほうが良いのか、それとも細分化したものはデータベース的にしかまとめるられないのかという問題が、とりわけ1970年代以降の歴史記述において顕著に現れるということです。
STUDIO VOICE (スタジオ・ボイス) 2007年 07月号 [雑誌]
- 出版社/メーカー: INFASパブリケーションズ
- 発売日: 2007/06/06
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6月9日(土)と10日(日)は、日本マスコミュニケーション学会で熊本学園大学へ、6月16日(土)と17(日)は、関東社会学会で筑波大学へ行きます。関東社会学会(http://wwwsoc.nii.ac.jp/kss/congress/55/program.html)では、以下のような研究発表を予定しております。若者論は初めてなので、どうぞお手柔らかに…。
6月17日(日)10:00-12:30 関東社会学会 自由報告部会
第7部会:若者(2)〔1B棟・2階 1B202講義室〕
司会:伊奈正人(東京女子大学)1.「フリーター」/「ニート」を生きる 仁井田典子(首都大学東京)
2.若者における「感覚」的な職業とは何か
――クリエイターとアイデンティティの社会学 加島卓(東京大学・日本学術振興会)
3.「笑い」を重視する若年層のコミュニケーション
――会話分析からみる一考察 瀬沼文彰(東京経済大学)
4.現代大学生の「まじめさ」の形成要因
――勉学を重視する学生の文化的背景に注目して 小澤昌之(慶應義塾大学)「若者における「感覚」的な職業とは何か−−クリエイターとアイデンティティの社会学−−」の概要
メディア文化が「コンテンツ産業」として国家的に支援される現代は、「クリエイター」を職業として選択することを奨励する社会である。ここで注目されるのは、クリエイターの特徴として「感覚」なるものが肯定され、これを人材育成で規格化することは困難であると認識されている点である。つまりクリエイターの増加は期待される一方で、その職能はどうしようもなく曖昧なのである。しかしその曖昧さこそが、若者にクリエイターを積極的に選択させる動機にもなっている。
そこで本報告は、このような若者の職業選択における「感覚」の肯定に注目し、こうした選択自体がどのようにして可能になったのかを言説分析≒歴史社会学によって明らかにしていく。具体的には、1960年代から1970年代に東京五輪や大阪万博などの国家的なイベントと草月アートセンターなどアンダーグラウンドな活動の双方に積極的に関わることで広く認知されることになった「グラフィック・デザイナー」という職業カテゴリーに注目し、これが当時の若者にどのように受け止められ、なおかつ「感覚」的な職業としてイメージされるようになったのかを述べていく。
このような作業によって、「感覚」的な職業を肯定する若者の認識と論理を明らかにし、曖昧なまま運用されていく職業としてのクリエイターを社会学的に分析していくための方策を示していきたい。