メディア・リテラシーの行方

 セール初日を初体験。開店前の行列&ダッシュで、狙った獲物を即購入。何やってんだ…と反省する間もなく、30分で帰宅。スガシカオの新曲「フォノスコープ」は、やっぱり買わないことにした。
 
 さて熊本学園大学でのマス・コミュニケーション学会での収穫は三つ。一つには、「失敗」によってしか成立しないであろう水俣病の記述をどのように引き受けるべきなのかという合意を、私たちはまだ調達できていないかもしれないということ。二つには、「バックラッシュ」は確かに存在するかもしれないが、そもそもウェブ上の言論空間における主体の数え方はかなりテキトーなのではないかということ(言論の量と主体の数が比例しているとは言い切れない)。そして、水前寺公園は40分もかからないで見終わってしまう場所であったということ。
 
 続いて筑波大学での関東社会学会での収穫も三つ。一つには、若者論への「歴史」もありえるな…という可能性を掴むことができたこと。二つには、研究者には方法論的な自覚が重要であり、場合によってはその倫理性がかなり厳しく問われるのだなと実感したこと。三つには、ポピュラー音楽の分類学は、なぜ当たり前のように若者論とクロスオーバーしていくのだろうと素朴に疑問を覚えたこと。もう一つ加えれば、フリーター・赤木智弘にとっての「希望」とは、「戦争」というよりも、「国家」に依存した雇用や資金調達の受動性なのではないかとも。
 
 さらに上智大学での青少年研究会(富田英典・南田勝也・辻泉編『デジタルメディア・トレーニング』(有斐閣、2007年)の書評会)での収穫は、もはや「メディア」や「メディア・リテラシー」は論としての全体的な視座というよりも、個別具体的な領域として部分的な最適化に向かわざるを得ない状況になっているという認識がかなり共有されていることが確認されたこと。確かにケータイにおけるメールの過剰(とそれによる、家族内監視と家族内別居)を鑑みれば、親子でメディア・リテラシーに取り組むような対応が必要である。しかしそれが、マナー教育やベタな啓蒙(やっぱり家族って大切だよね!)に回収されてしまうことを回避しようとすると、どうしても「メディア」への全体性を調達しなくてはならないないのではないかと思うのは、私だけであろうか…。
 
 このような議論にどこまで踏み込めるのかは全く未定ですが、7月13日(金)から本郷で行われる国際会議「Ubiquitous Media: Asian Transformations」(http://u-mat.org/jpn/index.html)にて"The Design of What? : Possibilities of the Communication Design and Difficulties of the Media Literacy"という発表をします。詳細と概要は以下の通り。
 

 この度、東京大学大学院情報学環、同総合文化研究科、ノッティンガムトレント大学 Theory, Culture & Society センターの共催で、7月13日(金)‐16日(月)の期間、下記サイトのような、きわめて大規模で野心的な国際会議を開催いたします。この会議では、現代世界を代表する超大物のメディア学者が次々に来日、基調講演をします。100を超えるテーマ別セッションが開かれ、世界中か
ら集まった約400人の報告者がメディアの理論と研究の文字通りの最前線を報告していきます。さらに、有力なメディア・アーティストによる作品展示も予定しています。

 今日、メディアの世界は激変し、社会を根底から変容させています。インターネットや携帯電話からデジタルアーカイブやゲーム、アニメなどのコンテンツ産業、仮想現実、iPodのような小型のデジタル
媒体の普及、ストリーミング配信や各種の音楽配信技術、ブログやコンテンツ・マネージメント・システム(CMS)等の発達といった状況の中、マスメディア中心のパラダイムは有効性を失い、まったく新たなパラダイムが求められています。このような技術的、社会的状況の中で、本国際会議は、新しいネットワーク型のデジタル情報社会に対応したメディア理論のパラダイム革新を、アジアから世界に向けて宣言する会議となります。詳しくは、

会議概要は、 http://www.u-mat.org/ 
プログラムは、http://www.u-mat.org/jpn/paper/sessions.html

をご覧ください。このようないまだかつてない規模、野心的なプロジェクトである本世界会議に、ぜひともご参加ください。また、この情報を、ご関係の各方面に広めていただけますと誠に幸いです。

東京大学大学院情報学環 学環長・教授 吉見俊哉
情報学環 副学環長・教授 石田英敬
情報学環 准教授 北田暁大
同総合文化研究科准教授 田中純
ノッティンガムトレント大学教授 TCSセンター長マイク・フェザーストン
ロンドン大学ゴールドスミス校教授 スコット・ラッシュ

7月15日(日)公募セッション6 17:00-18:45 @Room H 「メディア/リテラシー
Takashi KASHIMA 加島卓 The University of Tokyo
何がデザインされるのか?:コミュニケーション・デザインの可能性とメディア・リテラシーの困難
Mika IGARASHI  The University of Tokyo
無関心なオーディエンスを巻き込む:ニューメディアのプログラムを用いた文化越境的なアプローチ
Abdelghani JBARA  Temple University in Japan
ビジネス・マンガまたはビジネス・コミック:西洋とアジアにおける職業訓練と人的資源の開発での利用
Kensuke TAMURA 田村謙典 The University of Tokyo
言語の教育/言語を通した教育
Yuko TSUCHIYA 土屋祐子 Keio University  + Masako MIYATA 宮田雅子 Tokyo
University of Fine Arts & Music
「メルのもと.com」メディア・リテラシー実践を有機的に育むウェブデザイン

報告概要「何がデザインされるのか?/The Design of What?」

 現在は「デザイン」の時代と言われる。しかしそれが前提とする社会がいかなる状態であるのかにより、デザインの意味と効果は大きく異なる。物質的な価値を前提とした消費社会までと、非物質的な価値を前提とした情報社会とでは、“何がデザインされるのか”が異なるのだ。
 そこで本報告は、物質的な領域のデザインではなく、情報、コミュニケーション、空間・環境、メタデータアーカイブ、ネットワーク、コミュニティなど非物質的な領域がデザインの対象となってきたことに注目し、それが孕む社会学的な意味を明らかにする。
 その為の事例として、「コミュニケーション・デザイン」という活動理念を採り上げ、これがいかなる前提を持ち、どのような活動が目指され、どんな可能性と困難を孕むのかを指摘する。コミュニケーションの活性化を目指す情報の可視化の過剰と最適化が帰結する、メディア・リテラシーの意図せざる失効についても述べる予定である。

 We live in the era of "Design". Although, there is a important difference in "the Design of What?", if its premise is based on material values such as in a "consumer society" or on non-material values such as "information society". In this presentation, I would like to clarify a sociological meaning of the Design of non-material values in areas such as "Information Design", "Communication Design", "Space/Environment Design", "Meta data/Digital Archive" and "Network/Community". I will focus especially on the term of "Communication Design" which has recently been used in various social activities in Japan. Finally, I will try to analyze the logic behind "Visualization" of people's communication to show the problem by the increasing volume and optimizing of meta data that are undermining the process of Media Literacy in Japan.

デジタルメディア・トレーニング―情報化時代の社会学的思考法 (有斐閣選書)

デジタルメディア・トレーニング―情報化時代の社会学的思考法 (有斐閣選書)