多層的な経験としての<読書>

 寄り道をした。そういう時もある。改札を出て階段を下ればティッシュ配りのニイちゃん達がいる。やっぱり今日も無視された。欲しい時にもらえない。声をかけてくるのはバンド系ばかり。髪が長いだけで「仲間」にされてもねぇ。
 先日サイン会にいった。「サイン」や「握手」だけが目的なんじゃない。<読書>は多層的な経験であり、書き手と会うことは<読書>と深く関係している。書き手と交わす言葉なんて僅かでしかない。それでも、いやそれこそが本と私の関係を多声的に媒介してくれる。本を買うことで、声を聞くことで、手を握ることで、筆跡を残してもらうことで、生まれてくる書き手との関係性。そんなささやかなつながりの場を「売るために・・・」と言ってしまうのはどうももったいない気がしてならない。