天野祐吉編「広告」『日本の名随筆』別巻23、作品社、1993

 広告との出逢いに耳を澄ましてみよう。鶴見俊輔(「私の愛読した広告」)は言う。「きれいにだまされると、その広告にたいしても、あまりにくしみはわかないようである」。これほど広告とのつきあい方を簡潔に表現したものはない。だから僕らは広告を「騙そうとする資本」と「騙されまいとする民衆」の2元論で捉えてはならない。そこには資本という「夢」に身をまかせつつそれでもどこかでちょいと理性的であろうとするような2重の身体性が隠蔽されてしまっている。広告との出逢い。それは「だまし」や「にくしみ」が不思議と脱色されることを無理なく受け入れられる<寛容>の空間においてこそ成り立つ、高度で複雑でトリッキーなコミュニケーション行為なのである。