露光研究発表会2014と沖縄戦跡

「露光研究発表会2014」(http://rokouken2014.wordpress.com/)で報告するため、三泊四日で沖縄に行ってきた。2008年9月に開催された「露光研究発表会」(http://d.hatena.ne.jp/champuru/)の第二回目で、第一回目の時は「せんとくん」について報告し、今回は「あまちゃん」に関する報告をした。こういう報告をしたい時もある。

 初日は12時半頃に那覇空港に到着したのだが、まさかの大雨。前日までの天気予報に反して熱帯低気圧が登場し、いきなりテンションが下がる。とりあえずモノレールで首里まで移動し、「首里そば」(http://shurisoba.shop-pro.jp/)へ。まさかの大行列で30分位待ってから、生姜の効いた麺を楽しみ、会場の沖縄県立芸術大学当蔵キャンパスへ。

 天内大樹さんの報告を残念ながら聞き逃し、しっかり拝聴できたのは河村彩さんの報告「壁とページ:エリ・リシツキーの制作をめぐって」から。リシツキーが手がけた雑誌と展示空間の関係を紹介するような報告だったので、そもそも当時のロシアの印刷技術職人とリシツキーの関係はどういうものだったのか?と質問。どうやら、リシツキーはドイツの印刷技術のほうに関心が向いていたようである。

 夜の懇親会は失礼して、武蔵野美術大学で一緒にアートプロジェクトをやっていた方とおもろまちで再会。まさかの「京風鉄板焼き屋」(http://www.hotpepper.jp/strJ000989258/)だったのだが、なんだかんだで深酔い。タクシーで今回の宿「ロコアナハ」(http://www.rocore.jp/)へ向かったら、めっちゃ快適な部屋で感激。沖縄から本土へ移住した人びとについて書いた『同化と他者化』(http://www.nakanishiya.co.jp/book/b134997.html)の著者、岸政彦さんの紹介である。

 翌日は、森功次さんの報告「「芸術作品は非現実的なものである」というテーゼについて:初期サルトルにおける芸術作品の存在論的身分と美的経験論」から拝聴。『分析美学入門』(http://www.keisoshobo.co.jp/book/b109885.html)の感想を申し上げたかったのだが、準備不足で断念。書評会があれば、参加したいのだが。次は、遠藤みゆきさんの報告「博覧会から展示会へ:写真家のための写真展覧会と「絵画的写真」の形成」を拝聴。確かに「芸術写真」という用語が語られたのかもしれないが、それの実践的な使用価値は具体的にはどのようなものだったのか?とやや意地悪な質問をしてしまって反省。

 お昼は、首里の沖縄伝統料理屋「富久屋」へ(http://okinawa.kanjiman.net/restaurant/izakaya-naha-kokusaidoori/hukuya.html)。住宅街のなかで場所はわかりにくいが、古民家風の内装と優しい味付けがとても良かった。壁に貼られていたポスター「Banjo Ai 唄の島」(http://jimrock.sakura.ne.jp/pre/banjo-ai.html)は、海岸も見える沖縄的な場所でAKB的な衣装をまとい、ウエスタンハットでバンジョーを奏でていたのだが、とにかく隙間の多い仕上がりで失礼ながら大爆笑。

 午後は司会を担当することになり、阿部純さんの報告「『ku:nel』的地域文化誌が見せる「ライフスタイル」考」と、三井麻央さんの報告「19世紀ドイツのアルブレヒト・デューラー受容における、作品の位置づけ:ヘルマン・グリムの芸術論から」を拝聴。前者には科学や賢さをあてにした『暮らしの手帖』的な生活誌との比較が面白そうだねと適当にコメントし、後者にはロマン主義実証主義の「両義性」という言葉の中身をもっと教えて下さい的な質問をするなど。

 さらに二つの報告を拝聴してから、宜野湾トロピカルビーチ(http://www.ginowankaihinkouen.jp/information/)に移動してのバーベキュー。まさかの海鮮メニューなしで、ひたすら野菜をしゃぶることに(涙)。靴下を脱ぎ、島草履に履き替え、白い砂浜を歩き、波で足を濡らして、夕日を眺めるなど。前回もここでバーベキューをしたのだが、眺めのよい場所である。二次会では県庁前まで戻り、どういうわけか青森から飛行機を乗り継いで那覇までやってきた本務校の上司をみんなで向かえることに(笑)。世の中には、こうしてじっとしていられない人がいる。

 三日目は、ようやく自分の報告「『あまちゃん』のデザインと「稚拙さ」の居場所」。『あまちゃん』におけるグラフィックデザインの過剰さをアイドル文化におけるデザインの歴史と関係付けて説明し、あのテレビドラマにおけるグラフィックデザインの「稚拙さ」が「未熟」というよりも「成熟」の水準で捉えられていることを社会学的に論じてみたりなど。アイドルに限ってグラフィックがしょぼかったのはどうしてか?とか、「ヘタウマ」に普遍化してもいいんじゃね?とか、テレビ研究との関係でもっと論じられることがあるんじゃね?とかで、フルボッコ。美学・美術史を専門にする人が多いなかで、資本主義ズブズブの制作物をどういう風に語ったら面白がってもらえるかな〜とまたしても考えさせられた。

 午後はエクスカーションで、まずは「佐喜眞美術館」(http://sakima.jp/)へ。丸木位里丸木俊による「沖縄戦の図」について解説してもらってから、普天間基地にめり込んだ土地と屋上階段の象徴的な意味についても解説を伺う。何をどのように質問してよいのかもわからないうちに、「でもね、青い空青い海も沖縄よ、アハハ」と回収されてしまうなど。続いて、「嘉数高台公園」(http://www.odnsym.com/spot/kakazu.html)では、沖縄戦で使用された日本軍のトーチカ跡を見つつ、展望台から再び普天間基地を眺める。オスプレイを監視する団塊世代の方々が何名もいた。

 最後は「南風原文化センター」で、沖縄陸軍病院南風原壕群20号(http://www.town.haebaru.okinawa.jp/hhp.nsf/790659c24eed726e49256fff00306cf5/6b3fdcbe82f9533d4925755200258090?OpenDocument)の壕内を見学。所謂「ひめゆり学徒」が看護補助要員として動員された場所でもあり、今日マチ子の『cocoon』でも描かれていた「飯上の道」を歩き(http://www.1101.com/cocoon/2013-07-09.html)、自決のために青酸カリ入りのミルクが配られたという暗い穴の中でガイドの話にひたすら耳を澄ます。この三カ所を巡ったことが、翌日の南部戦跡巡りをとても充実させてくれることにもなった。夜は牧志駅周辺の居酒屋で、実行委員の方々に改めてお礼を申し上げつつ、お隣の方からでんぱ組.incについてお話を拝聴するなど。

 最終日は研究会でお知り合いになった方々とレンタカーを借りて南部の戦跡巡りへ。まずは、「旧海軍司令部壕」(http://kaigungou.ocvb.or.jp/about.html)へ。南風原壕を見た後なので、こちらのほうが立派に見えてしまう不思議さ。太田實司令官の自決により「海軍部隊の組織的戦闘はここで終わった」と言うのだが、その後を知っている私たちにはもどかしい記述である。続いて、南端の「喜屋武岬」(http://www.odnsym.com/spot/kyan.html)へ。自決の場所で知られる岬だが、当時の向かいの海は米軍の船に取り囲まれて真っ黒に見えたとか。以前はここに移動販売車がいて、ドラゴンフルーツにシークヮーサーをかけて食べたのが、今回はお見かけできずに残念。

 続いて、「ひめゆり平和祈念資料館」(http://www.himeyuri.or.jp/JP/top.html)へ。ここに来るのも二度目なのだが、前日に南風原文化センターへ行っていたので、展示内容を関連付けて見ることができた。というか、前回に訪問した時には、南風原のことを殆ど読み流していたことに気が付いた。観光を通じて自分の中に地図が出来上がるとは、こういう感じなのであろう。それから資料館では証言員の活動記録自体を保存公開していて、当番表や連絡ノートなどを見ることができ、これは本当に良かった。

 ひめゆりの後には「平和祈念公園」(http://kouen.heiwa-irei-okinawa.jp/)に移動して、沖縄時間をさらにゆっくりにしてしまう公園内のゾーニングを確認するなど。6月23日(慰霊の日)における日の出の方位に合わせて園路が伸びている「平和の礎」とその先にある「平和の火」は、象徴的にデザインされ過ぎでかなり怖かったのだが、人間にはこんなことしか出来ないのかもしれない。沖縄戦終焉の地と言われる摩文仁の丘の「国立沖縄戦没者墓苑」では、おばぁに花束を二つも買わされてしまったのだが、どういうわけか私を女の子だと思っていたようだ(笑)。

 遅めの昼食は奥武島まで移動して、もずくそば「くんなとぅ」(http://tabelog.com/okinawa/A4704/A470403/47001022/)へ。ガジュマルに囲まれたテラス席で、もずく麺のそば、もずく天ぷら、もずく酢、もずくゼリーが揃った定食で、一年分のもずくを摂取(笑)。前回も来たが、このお店は本当におすすめ。食後は奥武島をぐるっと回り、自動販売機で「琉球コーラ」。この辺りで時間を気にするようになり、「ニライカナイ橋」(http://www.odnsym.com/spot/nirai.html)で風景をさっと楽しんでから、海沿いをぐるっと回り、与那原から南風原を経由して那覇市内へ戻る。路上の直売所でマンゴーやドラゴンフルーツを購入したかったのだが、見つからずで牧志の公設市場で入手してから、みんなで空港へ。

 九月の沖縄と言えば台風らしいのだが、前回に続き今回も天候には恵まれた。普段の行いがよいからだと思うのだが(笑)、今回もまた沖縄県立芸術大学のみなさんには本当にお世話になった(ありがとうございました)。三泊四日の滞在だったが、朝から夕方まではお互いの研究に耳を澄まし、夜はみんなでお酒を飲み、そこでお知り合いになった方々とエクスカーションやレンタカーで戦跡巡りをできて本当に楽しかった。学会ほど規模が大きくなく、かといってシンポジウムのように一期一会でもない。程々の人数の研究会で、そこそこ研究分野が近ければ、それなりに充実した出会いになるのだと思う。

 考えてみれば、博論提出とその単行本化が済み、ようやく夏らしい夏を過ごせたようにも思う。東北巡りと沖縄巡りの二カ所だが、これくらい動けば、トーキョーの喧噪と本務校周辺の気だるさも一時的には(笑)忘れられることも知った。こういう仕事の仕方もあるのかと新しい身体感覚を得たところで、2014年度の秋学期はもう始まろうとしている。