2005-09-01から1ヶ月間の記事一覧

「正しいデザイン」という欲望

ひらめきとは先輩方の思考の中に埋め込まれているものである。それは、僕の思考を閉じこめると同時に切り開く。三木清の「構想力」や中井正一の「集団美」はそういう意味で発見だったし、柏木博さんの『近代日本の産業デザイン思想』(晶文社、1979年)の「…

「生き方モデル」としてのクリエイター

最近は「生き方モデル」という言葉が気に入っている。「どんな研究をされているのですか?」と聞かれた時に、「「クリエイター」というアイデンティティの歴史です」というよりは、「クリエイターという「生き方モデル」の変遷を調べています」というほうが…

世界が「斜め」になった時

先日の初講演は無事に終了。パワポで発表する言説分析に(!)、耳を傾けてくれたみなさまどうもありがとうございました。美術史の方々を前にして「レイアウト」=「反−構図」という直球を投げてドキドキしていたのですが、建築史の方々までも積極的に受け止…

「革命」の記憶

先日に志位さんがテレビで「共産党の名前は変えません、これはロマンなのです」と言っていた。「いまだに革命なのか?」とこっそり突っ込んでいたのだが、思い返せば自分にも「革命」を迫られた時があったことを思いだした。 前の職場の建物(3階建てのコン…

「注意する/注意される主体」としての近代

年に何回か「出逢ってしまいましたかぁ!」と思う本がある。そういう本に限って、とんでもなく分厚く、とんでもなく高い。しかし買わずにはいられない、いつ読み終わるのはわからないけれども。クレーリーの『知覚の宙づり:注意・スペクタクル・近代文化』…