なにが「トホホさ」を教えてくれるのか

 靴を替えてみた。少し背が高くなった気分。ギュッと体重をかけ、新しい接触感を確かめてみた。今までとはちょっと違う「あの感覚」。これは初めてではない。こうした感覚を何と呼べばよいのだろう。身体と重力を媒介するもの。人間と地面との関係を成立させると同時に枠づけるもの。裸足の場合には皮膚や筋肉が、外出時には自転車やバイクが、レジャーではスキーやスノーボードが、というように「あの感覚」は遍在している。
 「あの感覚」は微妙な対抗軸を生み出すこともある。たとえば「ローラーブレード」派と「スケートボード」派。どちらかといえば前者の僕はかつての駒沢公園で両者の微妙な関係に気がついた。どちらともアスファルトを「シャーっ」とするものではあるが、両者の関係はどうも「スキー」派と「スノーボード」派との関係に近いものがあるのだ。陣地も違えば、服装も異なる。両者が手を繋いで「シャーっ」とすることはまずない。
 「ローラーブレード」派も「スケートボード」派も「あの感覚」(=自分によるもの)は共有しているとしてみよう。その上で両者を分けるとすれば、「あの感覚」をどのように獲得するのかだろう。その獲得の過程を把握するために欠かせないのは「視線」(=他者によるもの)であろう。なぜなら感覚の獲得過程の多くは他者の視線によって再認されているからである。
 とにかく、膝当てや肘当て、ストックがある種の「トホホさ」を醸し出しているとすれば、それは身体の動きを視覚的に捕捉する道具を器用に使用できていないということなのだろう。対照的に「ボード」系にはそれが少ない。だから「トホホさ」を醸し出す可能性も縮減される。その意味で「ボード」系は「視線」を集めつつ、スキーやローラーブレードのように「視線」を分散させないようにデザインされているとも考えられる。それはそれで初心者にも都合のよいことなのかもしれませんネ。