露光研究発表会2014と沖縄戦跡

「露光研究発表会2014」(http://rokouken2014.wordpress.com/)で報告するため、三泊四日で沖縄に行ってきた。2008年9月に開催された「露光研究発表会」(http://d.hatena.ne.jp/champuru/)の第二回目で、第一回目の時は「せんとくん」について報告し、今回は「あまちゃん」に関する報告をした。こういう報告をしたい時もある。

 初日は12時半頃に那覇空港に到着したのだが、まさかの大雨。前日までの天気予報に反して熱帯低気圧が登場し、いきなりテンションが下がる。とりあえずモノレールで首里まで移動し、「首里そば」(http://shurisoba.shop-pro.jp/)へ。まさかの大行列で30分位待ってから、生姜の効いた麺を楽しみ、会場の沖縄県立芸術大学当蔵キャンパスへ。

 天内大樹さんの報告を残念ながら聞き逃し、しっかり拝聴できたのは河村彩さんの報告「壁とページ:エリ・リシツキーの制作をめぐって」から。リシツキーが手がけた雑誌と展示空間の関係を紹介するような報告だったので、そもそも当時のロシアの印刷技術職人とリシツキーの関係はどういうものだったのか?と質問。どうやら、リシツキーはドイツの印刷技術のほうに関心が向いていたようである。

 夜の懇親会は失礼して、武蔵野美術大学で一緒にアートプロジェクトをやっていた方とおもろまちで再会。まさかの「京風鉄板焼き屋」(http://www.hotpepper.jp/strJ000989258/)だったのだが、なんだかんだで深酔い。タクシーで今回の宿「ロコアナハ」(http://www.rocore.jp/)へ向かったら、めっちゃ快適な部屋で感激。沖縄から本土へ移住した人びとについて書いた『同化と他者化』(http://www.nakanishiya.co.jp/book/b134997.html)の著者、岸政彦さんの紹介である。

 翌日は、森功次さんの報告「「芸術作品は非現実的なものである」というテーゼについて:初期サルトルにおける芸術作品の存在論的身分と美的経験論」から拝聴。『分析美学入門』(http://www.keisoshobo.co.jp/book/b109885.html)の感想を申し上げたかったのだが、準備不足で断念。書評会があれば、参加したいのだが。次は、遠藤みゆきさんの報告「博覧会から展示会へ:写真家のための写真展覧会と「絵画的写真」の形成」を拝聴。確かに「芸術写真」という用語が語られたのかもしれないが、それの実践的な使用価値は具体的にはどのようなものだったのか?とやや意地悪な質問をしてしまって反省。

 お昼は、首里の沖縄伝統料理屋「富久屋」へ(http://okinawa.kanjiman.net/restaurant/izakaya-naha-kokusaidoori/hukuya.html)。住宅街のなかで場所はわかりにくいが、古民家風の内装と優しい味付けがとても良かった。壁に貼られていたポスター「Banjo Ai 唄の島」(http://jimrock.sakura.ne.jp/pre/banjo-ai.html)は、海岸も見える沖縄的な場所でAKB的な衣装をまとい、ウエスタンハットでバンジョーを奏でていたのだが、とにかく隙間の多い仕上がりで失礼ながら大爆笑。

 午後は司会を担当することになり、阿部純さんの報告「『ku:nel』的地域文化誌が見せる「ライフスタイル」考」と、三井麻央さんの報告「19世紀ドイツのアルブレヒト・デューラー受容における、作品の位置づけ:ヘルマン・グリムの芸術論から」を拝聴。前者には科学や賢さをあてにした『暮らしの手帖』的な生活誌との比較が面白そうだねと適当にコメントし、後者にはロマン主義実証主義の「両義性」という言葉の中身をもっと教えて下さい的な質問をするなど。

 さらに二つの報告を拝聴してから、宜野湾トロピカルビーチ(http://www.ginowankaihinkouen.jp/information/)に移動してのバーベキュー。まさかの海鮮メニューなしで、ひたすら野菜をしゃぶることに(涙)。靴下を脱ぎ、島草履に履き替え、白い砂浜を歩き、波で足を濡らして、夕日を眺めるなど。前回もここでバーベキューをしたのだが、眺めのよい場所である。二次会では県庁前まで戻り、どういうわけか青森から飛行機を乗り継いで那覇までやってきた本務校の上司をみんなで向かえることに(笑)。世の中には、こうしてじっとしていられない人がいる。

 三日目は、ようやく自分の報告「『あまちゃん』のデザインと「稚拙さ」の居場所」。『あまちゃん』におけるグラフィックデザインの過剰さをアイドル文化におけるデザインの歴史と関係付けて説明し、あのテレビドラマにおけるグラフィックデザインの「稚拙さ」が「未熟」というよりも「成熟」の水準で捉えられていることを社会学的に論じてみたりなど。アイドルに限ってグラフィックがしょぼかったのはどうしてか?とか、「ヘタウマ」に普遍化してもいいんじゃね?とか、テレビ研究との関係でもっと論じられることがあるんじゃね?とかで、フルボッコ。美学・美術史を専門にする人が多いなかで、資本主義ズブズブの制作物をどういう風に語ったら面白がってもらえるかな〜とまたしても考えさせられた。

 午後はエクスカーションで、まずは「佐喜眞美術館」(http://sakima.jp/)へ。丸木位里丸木俊による「沖縄戦の図」について解説してもらってから、普天間基地にめり込んだ土地と屋上階段の象徴的な意味についても解説を伺う。何をどのように質問してよいのかもわからないうちに、「でもね、青い空青い海も沖縄よ、アハハ」と回収されてしまうなど。続いて、「嘉数高台公園」(http://www.odnsym.com/spot/kakazu.html)では、沖縄戦で使用された日本軍のトーチカ跡を見つつ、展望台から再び普天間基地を眺める。オスプレイを監視する団塊世代の方々が何名もいた。

 最後は「南風原文化センター」で、沖縄陸軍病院南風原壕群20号(http://www.town.haebaru.okinawa.jp/hhp.nsf/790659c24eed726e49256fff00306cf5/6b3fdcbe82f9533d4925755200258090?OpenDocument)の壕内を見学。所謂「ひめゆり学徒」が看護補助要員として動員された場所でもあり、今日マチ子の『cocoon』でも描かれていた「飯上の道」を歩き(http://www.1101.com/cocoon/2013-07-09.html)、自決のために青酸カリ入りのミルクが配られたという暗い穴の中でガイドの話にひたすら耳を澄ます。この三カ所を巡ったことが、翌日の南部戦跡巡りをとても充実させてくれることにもなった。夜は牧志駅周辺の居酒屋で、実行委員の方々に改めてお礼を申し上げつつ、お隣の方からでんぱ組.incについてお話を拝聴するなど。

 最終日は研究会でお知り合いになった方々とレンタカーを借りて南部の戦跡巡りへ。まずは、「旧海軍司令部壕」(http://kaigungou.ocvb.or.jp/about.html)へ。南風原壕を見た後なので、こちらのほうが立派に見えてしまう不思議さ。太田實司令官の自決により「海軍部隊の組織的戦闘はここで終わった」と言うのだが、その後を知っている私たちにはもどかしい記述である。続いて、南端の「喜屋武岬」(http://www.odnsym.com/spot/kyan.html)へ。自決の場所で知られる岬だが、当時の向かいの海は米軍の船に取り囲まれて真っ黒に見えたとか。以前はここに移動販売車がいて、ドラゴンフルーツにシークヮーサーをかけて食べたのが、今回はお見かけできずに残念。

 続いて、「ひめゆり平和祈念資料館」(http://www.himeyuri.or.jp/JP/top.html)へ。ここに来るのも二度目なのだが、前日に南風原文化センターへ行っていたので、展示内容を関連付けて見ることができた。というか、前回に訪問した時には、南風原のことを殆ど読み流していたことに気が付いた。観光を通じて自分の中に地図が出来上がるとは、こういう感じなのであろう。それから資料館では証言員の活動記録自体を保存公開していて、当番表や連絡ノートなどを見ることができ、これは本当に良かった。

 ひめゆりの後には「平和祈念公園」(http://kouen.heiwa-irei-okinawa.jp/)に移動して、沖縄時間をさらにゆっくりにしてしまう公園内のゾーニングを確認するなど。6月23日(慰霊の日)における日の出の方位に合わせて園路が伸びている「平和の礎」とその先にある「平和の火」は、象徴的にデザインされ過ぎでかなり怖かったのだが、人間にはこんなことしか出来ないのかもしれない。沖縄戦終焉の地と言われる摩文仁の丘の「国立沖縄戦没者墓苑」では、おばぁに花束を二つも買わされてしまったのだが、どういうわけか私を女の子だと思っていたようだ(笑)。

 遅めの昼食は奥武島まで移動して、もずくそば「くんなとぅ」(http://tabelog.com/okinawa/A4704/A470403/47001022/)へ。ガジュマルに囲まれたテラス席で、もずく麺のそば、もずく天ぷら、もずく酢、もずくゼリーが揃った定食で、一年分のもずくを摂取(笑)。前回も来たが、このお店は本当におすすめ。食後は奥武島をぐるっと回り、自動販売機で「琉球コーラ」。この辺りで時間を気にするようになり、「ニライカナイ橋」(http://www.odnsym.com/spot/nirai.html)で風景をさっと楽しんでから、海沿いをぐるっと回り、与那原から南風原を経由して那覇市内へ戻る。路上の直売所でマンゴーやドラゴンフルーツを購入したかったのだが、見つからずで牧志の公設市場で入手してから、みんなで空港へ。

 九月の沖縄と言えば台風らしいのだが、前回に続き今回も天候には恵まれた。普段の行いがよいからだと思うのだが(笑)、今回もまた沖縄県立芸術大学のみなさんには本当にお世話になった(ありがとうございました)。三泊四日の滞在だったが、朝から夕方まではお互いの研究に耳を澄まし、夜はみんなでお酒を飲み、そこでお知り合いになった方々とエクスカーションやレンタカーで戦跡巡りをできて本当に楽しかった。学会ほど規模が大きくなく、かといってシンポジウムのように一期一会でもない。程々の人数の研究会で、そこそこ研究分野が近ければ、それなりに充実した出会いになるのだと思う。

 考えてみれば、博論提出とその単行本化が済み、ようやく夏らしい夏を過ごせたようにも思う。東北巡りと沖縄巡りの二カ所だが、これくらい動けば、トーキョーの喧噪と本務校周辺の気だるさも一時的には(笑)忘れられることも知った。こういう仕事の仕方もあるのかと新しい身体感覚を得たところで、2014年度の秋学期はもう始まろうとしている。

三陸鉄道と国道45号線

 三泊四日で三陸海岸を南下した。ざっくり言えば、久慈〜宮古〜山田〜大槌〜釜石〜大船渡〜陸前高田気仙沼〜南三陸〜仙台〜塩竃というルート。南北300kmを2014年4月に完全復旧した三陸鉄道国道45号線を走る路線バスで移動したので、その記録を残しておく。

 久慈はNHK連続テレビ小説あまちゃん』の舞台になった街である。確かに「残念」な感じの漂うあの「駅前デパート」前までは、東北新幹線二戸駅からバスで一時間強。夜の到着だったので、駅には帰りの電車を待つ高校生しかない。思いのほか、道路は綺麗に整備され、電線は地中に埋まり、大型店舗もそれなりにある「街」だったので、ちょっとずっこけた。

 寿司屋が点在するなか、食事は中央線沿線のお店っぽい内装が外から見えた喫茶店『Cafe Salute』へ。ビールとピザだけのつもりだったのだが、マスターが釣り上げたイワシがさっと出てきて、続いて地元のホヤを頂き、さらには自家製の枝豆やトマトが並び、最後には日本酒が盛られた。気がつけば、私は店内に置かれたギターを手にして、マスターはピアノを弾いていた(笑)。

 翌朝は、さかなクンが支援している「もぐらんぴあ まちなか水族館」で『あまちゃん』のテレビ美術の展示を堪能。小道具を集めた「あまちゃんハウス」には時間の都合で寄れず、駅前で小袖海岸行きのバスを待つことに。間もなく、次々とヤバめの男子がやってきて(笑)、彼らのことを「オタクさん」と呼ぶこの街の集客力を見せつけられた。

 久慈は観光ボランティアに力を入れている。あまちゃんTシャツを着用したガイドがバスの乗客に手を振り、運転手はあまちゃんのテーマ曲を流しながら見どころを解説する。小袖海岸のバス停から海女の実演見学場所まではガイドが無料で同行してくれ、撮影スポットを手短に解説してくれる。朝ドラが街を活気づけるとはこういうことなのかと思い知らされた。

 海女の実演も、観光客の期待を裏切らない。おばさんだけではなく、女子高生もちゃんと混ざっている(笑)。あの格好で登場したら「がんばれ〜」ってみんなで声をかけ、海女がウニを両手で高く取り上げたら「わ〜っ」と拍手を送る。自分も潜ってみたいとは決して思えない微妙な専門性というか、その距離感を楽しみに来ているんだなと思った。

 震災の一年前に出来た「小袖海女センター館」は津波で流失し、再建工事が進む現在はプレハブ小屋だった。「あまちゃん」のオープニングで天野アキ(能年玲奈)が駆け抜けた堤防では、観光客がダッシュしながら動画撮影している。崖の上には「監視小屋」があり、船着き場には「まめぶ」がある。気がつけば、現実の風景にドラマの登場人物を重ねてしまう。これが「聖地巡礼」なのだと知った。

 帰りのバスでも、みんなが手を振っている。なんというか、ディズニーランドとまではいかないが、久慈はそれなりにはっきりした「物語」がある。なんというか、「あまちゃん」以外に物語を探索しようとは思えないシンプルさが出来上がってしまった感じだ。だから「地元の人と同じような経験をしたい!」と溶け込むよりも、「観光客として素直に楽しみたい!」と物語に入り込める。そういうキャストとゲストの分かりやすい関係が、久慈の居心地の良さかなと思った。

 三陸鉄道北リアス線(久慈〜宮古)は8月の週末ということもあり、高齢者のツアー客で大混雑。その結果、久慈駅周辺をゆっくり歩くこともできず、楽しみにしていたウニ弁当は売り切れ、お座敷列車を予約していない平民としてぎゅうぎゅうの一般車両に詰め込まれた(涙)。立ち位置が悪く、車窓からの風景は殆ど楽しめず、その代わりに車内でウニ弁当をビールやワインと一緒に楽しみ写真撮影に勤しむ乗客をぼ〜っと眺めるという最悪な展開となった。不平等社会には革命が必要で、我が内なる暴力にも覚醒した時間だった(笑)

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 久慈を取り囲むあの物語の世界観は普代駅くらいまでで、終着駅の宮古はすっかり「脱あまちゃん化」されていた。以降は、津波の街を巡ることとなり、更地とかさ上げの工事、そして仮設の住宅と商店街を沢山見ることになった。ここからは路線バスで南下したのだが、釜石に到着するまでに山田と大槌を見た。住宅がある高台と住宅のない平野で風景のコントラストは激しく、殆どの場所で瓦礫は片付けられているため、津波以前を全く想起することのできない眺めの連続だった。

 釜石での夜は「釜石はまゆり飲食店街」の「ひまわり」へ。仮設店舗は外装で判断することが出来ず、どのお店に入ればいいのかが悩ましい。「エスニックスープ」という手がかりだけで入ってみたのだが、女将と話しているうちにそこそこ温まり、新日鉄住金釜石製鉄所に勤めるおっさん二人がやってきてからは、「君も新日鉄釜石に就職しなさい!」という流れに(笑)。釜石は2019年のワールドカップラグビー誘致に名乗り出ているのだが、現実的な難しさと期待値の低さも沢山教えてもらった夜だった。

 翌朝の三陸鉄道南リアス線(釜石〜盛)には座れたのだが、やはり高齢者の観光客で満席状態。気がついたら、36歳のご子息をお持ちの団塊男子の持論を聞かされることになり、多くの風景を見逃してしまった(涙)。とはいえ、釜石市内の津波被害の大きさは高架を走る三陸鉄道に乗ってから知った。また、乗車した車両はトンネル内で津波被害を逃れた「奇跡の車両」だったという。おっさんの話に耳を澄ます役割さえ生じなければ、もっと自分のペースで過ごせたのだが(笑)。

 盛駅に到着したらホーム脇にBRT(バス高速輸送システム大船渡線が待っていたので、それで大船渡を経由して陸前高田へ向かった。BRTは線路敷をバス専用道にしたルートを走るもので、一般道のように信号もなく、鉄道用に掘られたトンネルを抜けたりもする。バスに乗りながらも車窓的には鉄道なので、そのズレを味わう一方で、BRTが一般道を走る時には大破した線路跡を見ることにもなる。鉄道なくして成立しないBRTだが、鉄道よりも便利に思えてしまうのが、なんとも複雑なところ。

 当日は仁平典宏さんが陸前高田でワークショップをやっていると伺い、会場までの移動プランを検討したのだが、レンタカーがないとアクセスが困難な場所だった。やむを得ず、陸前高田市役所前から希望の一本松まで歩こうとしたものの「距離的にも時間的にも厳しい」と助言され、今回のスケジューリングの甘さを悔やんだ。乗り換えたBRTから、今まで以上に広大な陸前高田の更地とベルトコンベアを眺め、もやもやしたまま気仙沼に入ることになった。

 タクシーの運転手に連れて行かれた「気仙沼魚市場」でどういうわけかカレーを食してから、今度はBRT気仙沼線へ。陸前小泉駅周辺の線路跡、南三陸のベイサイドアリーナ、志津川の南三陸さんさん商店街などを経由し、終着駅の柳津へ。BRTの一番前に座っていたので、歌津トンネルに入った時に遥か先に見えた出口の光の小ささは印象的だった。柳津からは仙台まではJRを二回乗り換えて移動。石巻に行けなくもなかったが、既に疲労していたので断念。ずっと山と海と更地を見てきたためか、賑やかな仙台市内に到着したら軽く目眩がしたのをよく覚えている。

 最終日は、先輩と合流して塩竃へ。志波彦神社鹽竈神社を参拝してから、御釜神社で神器にまつわるお話を伺い、『塩竃すし哲物語』(ちくま文庫、2011年)で知られる「すし哲」でお腹を満たした。それから塩竃港を経て、公園脇の塩釜市東日本大震災モニュメントへ。振り返れば、この道中で本当に沢山の石碑を見てきたことに気付かされた最後の訪問地だった。

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 ダラダラと書いてしまったが、今回は鉄道とバスで三陸海岸を南下するだけで精一杯だった。十分に滞在できなかった場所は多いのだが、久慈にはまた夏に行ってみたい。それが今回の予想外の収穫であり、「あまちゃん」の出演者たちも放送終了後に何度も足を運んでいるようだ(笑)。なお今回のガイドブックは、遠藤弘之『三陸たびガイド 復興支援』(マイナビ、2014年)。これに加えて時刻表をインターネットで確認しておけば、レンタカーでなくても十分に移動できる。

三陸たびガイド

三陸たびガイド

KoSAC「アート×キャリア×ネットワーキング Vol.2」

第7回KoSAC 「アート×キャリア×ネットワーキング Vol.2」

「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、略称コサック)」では、国分寺を中心に、「芸術」「文化」「社会」をテーマとしながら、毎回ゲストを招いて一緒に議論をする会を開催しています。

第7回のテーマはアートに関わるキャリア形成です。今年1月のKoSACでも同様のテーマを扱いましたが、反響も大きく、今後も継続的に「アートとキャリア」について考える機会を持つ予定です。

私たちが経験するアート「業界」は、数多くの職能を持った人々によって支えられていますが、彼/彼女らの仕事やそこから生まれる人的なネットワークは、これまで具体的に語られる機会はほとんどありませんでした。そこで今回は、TOKYO ART BEATの共同創設者であり、現在日米のアートシーンを股にかけて活躍される藤高晃右さんをゲストにお招きして、今まで手がけてこられたプロジェクトや、そこから拡がったネットワークについて、具体的なエピソードを交えてご紹介頂こうと考えています。

藤高さんは一般企業に勤める傍ら、バイリンガルのアート情報サイトとしては日本でも最大の「TOKYO ART BEAT」を2004年に立ち上げられました。その後2008年にはNYに活動の拠点を移し、現在は「NY ART BEAT」を運営されています。加えて、日米に拡がるネットワークを通じて、NYの最新のアートシーンを日本のメディアで伝えたり、日本からNYを訪問する美術関係者の現地コーディネートなど幅広い仕事を務められています。今回は、NYの最新のアート動向だけではなく、アートを含めたクリエイティブな情報産業の現場についてもお話が伺えるはずです。

これから仕事としてアートに携わりたい学生、フリーランスの方にとっても、日本のアートシーンを対象とした研究を進めたいと考えている方にとっても貴重な話がうかがえると思いますので、奮ってご参加下さい。

なお、今回のゲスト藤高さんの代表的なお仕事は以下をご覧下さい。
TOKYO ART BEAT (http://www.tokyoartbeat.com/)
NY ART BEAT (http://www.nyartbeat.com/)
スマートニュース (https://www.smartnews.be/)

■日時:2014年5月22日(木) 19:00〜21:00(今回は木曜日開催です!)
■場所:東京経済大学6号館7階中会議室4
http://www.tku.ac.jp/campus/institution/kokubunji/
正門から直進して突き当り左手にある青い建物が6号館です。エレベーターを使って7階に上がって下さい。
■話題提供者:藤高晃右さん(TAB, NYAB, SmartNews
■司会:加島卓(武蔵野美術大学ほか)、光岡寿郎(東京経済大学
■参加方法:(1)お名前、(2)ご所属、(3)自己紹介を140字程度でjoinkosac(at)gmail.com(atを@マークに変えて下さい)までお送り下さい。当日参加も歓迎いたします。
■問い合わせ
e-mail: joinkosac(at)gmail.com(atを@マークに変えて下さい)
■URL
http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/
http://toshiromitsuoka.com/

〈広告制作者〉の歴史社会学

 このページは、加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学―近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』(せりか書房、2014年、http://www.amazon.co.jp/dp/4796703306/)を紹介するものです。また、本書は日本社会学会 第14回奨励賞(著書の部)を受賞しました。

※更新情報(2015年11月9日):難波功士「《書評》加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学:近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』」『メディア史研究』(第38号、メディア史研究会、2015年)のPDF書類を「▼書評や紹介」欄で公開しました。

▼概要
 本書は、芸術家(アーティスト)でも企業人(サラリーマン)でもない〈広告制作者〉という曖昧な職業理念の歴史を濱田増治、今泉武治、亀倉雄策横尾忠則らを例に歴史学的に調べ、社会学的に分析したものです。その特徴は以下の通りで、

(1)広告やデザインの歴史
(2)広告制作がいかにして専門的な知識や職業になったのかを記述した社会学
(3)メディアの送り手や自由業的な労働の意味についての研究

などとして、お読み頂くことができます。また、本書は以下のような関心から書かれています。

(1−1)広告やデザインの歴史はいかに書かれてきたのか?
(2−1)広告やデザインにおいて「作者」概念はいかにして必要だと考えられるようになったのか?
(3−1)広告やデザインを職業にする人びとは「個人」と「組織」の関係をいかに考えてきたのか?

 したがって、本書は広告史やデザイン史、そして知識社会学や言説分析/概念分析、さらにはメディア論や専門家/職業人の研究などに関心ある方などにお勧めできます。

▼著者紹介
加島 卓(かしま・たかし)
1975年、東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。東京大学助教を経て、東海大学文学部広報メディア学科准教授。武蔵野美術大学及び中央大学で非常勤講師。博士(学際情報学)。専門はメディア論、社会学、広告史、デザイン史。
編著に、『文化人とは何か?』(東京書籍、2010年、南後由和と共編)。主な論文として、「デザインを語ることは不可能なのか」(『文字のデザイン・書体のフシギ』左右社、2008年、第7回竹尾賞受賞)、「美大論」十「ユーザーフレンドリーな情報デザイン」(遠藤知己編『フラット・カルチャー:現代日本社会学せりか書房、2010年)、「「つながり」で社会を動かす」十「メディア・リテラシーの新展開」(土橋臣吾・南田勝也・辻泉編「デジタルメディアの社会学北樹出版、2011年)ほか。
http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/about

▼本書の成り立ち
 本書は東京大学大学院学際情報学府に提出し、2012年6月に博士号(学際情報学)を授与された博士論文を加筆修正したものです。概要と審査要旨は、以下の「東京大学学位論文データベース」でご覧いただけます。
http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/gakui/cgi-bin/gazo.cgi?no=128544
 また、本書は日本社会学会 第14回奨励賞(著書の部)を受賞しました。選考委員会による選評は以下の通りです。

【受賞作品について】
 本書は、<広告制作者>がいかに自らを理解し語ってきたのかを、広告やデザインをめぐる物と言葉の関係に注目することで解明したうえで、近代における広告やデザインをめぐる「語り直し」が近代における人称性の消え難さを指し示していること、それらをめぐる「揺らぎ」が近代的個人と近代組織における個人というふたつの理念の循環のゆえに生じていること、そしてこの人称性の消え難さを具体的に示すのがこのふたつの理念を循環する秩序としての<広告制作者>であることを解明した良書である。
 また、別の観点からみれば、ある語り方、あるいはある問いとそれへの答えの与え方のセットを言葉と物との歴史的な配置のうちに求めていくその方法(事象内記述)は、歴史社会学に新しい道をひらくものだとも思われる。そしてその新しい方法は、同時に、広告という営みをめぐって生じる個人と組織との間のある揺らぎを記述するものにもなっており、その意味で社会学の古典的な主題にもしっかり接続されている。
 本書の主題設定、方法論的設定は先行研究を十分にふまえて緻密かつ周到に行われており、全体構成の位置づけ、守備範囲の限定、複数の位相や水準の弁別なども入念に練られたうえで行われており、分析は堅実、緻密でありながらも考察は独創的、先駆的であり、高く評価できる研究と判断される。

▼はじめに(PDFファイル)
https://sites.google.com/site/oxyfunk/public/kashima-hajimeni.pdf

▼あとがき(PDFファイル)
https://sites.google.com/site/oxyfunk/public/kahsima-atogaki.pdf

▼目次

はじめに
第一章 〈広告制作者〉と歴史社会学
 一 問題意識:理解への問い
 二 研究対象:〈広告制作者〉という職業理念
 三 研究方法:事象内記述
 四 先行研究:〈広告制作者〉の歴史社会学
第二章 〈広告制作者〉の不在
 一 引札における署名
 二 「戯作」という起源
 三 代作屋書知と戯作者
 四 「文案」の誕生
 五 工芸における図案
 六 比較の視座
 七 「区別」の発見
 ハ 参照点の不在
 九 工芸図案から印刷図案へ
第三章 〈広告制作者〉の起源
 一 広告の全面展開と図案家の揺らぎ
 二 大戦ポスターと美人画
 三 杉浦非水と七人社
 四 商業美術家の誕生
 五 職業理念としての〈広告制作者〉
第四章 〈広告制作者〉の自律
 一 企業のなかの商業美術家
 二 論理の自律
 三 ポスター概念の拡張と美人面の馴致
 四 語りのなかのレイアウト
 五 レイアウト概念の拡張
 六 報道技術者の弁証法
 七 報道技術者と「書くこと」
第五章 〈広告制作者〉の成立
 一 戦後のなかの戦前
 ニ アートディレクターと新井静一郎
 三 今泉武冶の消され方
 四 新井静一郎という偶然
 五 アートディレクターという冗長さ
 六 広告業界から語る/デザイナーから語る
 七 組織における技術語りの多重化
 ハ 東京ADCの「再スタート」と広告業界の再編
 九 アートディレクターの上書き
第六章 〈広告制作者〉の展開
 一 商業デザイナーと批評家
 二 模倣の社会問題化
 三 日本調モダンデザインとグラフィックデザイナー
 四 広告業界における組織の強化
第七章 〈広告制作者〉の並存
 一 なんとなく、デザイナー
 二 学生運動と日宣美の解散
 三 モダンデザインの限界と芸術家としてのグラフィックデザイナー
 四 広告業界とグラフィックデザイナー
第八章 〈広告制作者〉の歴史社会学
 一 理解への問い
 二 職業理念の系譜
 三 本研究の意義と課題
あとがき
参考文献表
索引

▼関連書籍のご案内(本書をより良く理解するために)

(1)記述の方法について
 第1章はとても不器用な仕上がりなのですが、①を読んで事象内記述という方法に関心を持ち、②③で歴史社会学や言説分析が一体何をやっているのかを知り、④⑤で人びとの「理解」を記述する概念分析やエスノメソドロジーの面白さを教えてもらいました。

①香西豊子『流通する「人体」―献体・献血・臓器提供の歴史勁草書房、2007年
②野上元『戦争体験の社会学―「兵士」という文体』弘文堂、2006年
佐藤俊樹・友枝敏雄(編)『言説分析の可能性―社会学的方法の迷宮から (シリーズ 社会学のアクチュアリティ:批判と創造)東信堂、2006年
④前田泰樹・水川嘉文・岡田光弘(編)『エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)新曜社、2007年
⑤酒井泰斗・浦野 茂・前田泰樹・中村和生(編)『概念分析の社会学 ─ 社会的経験と人間の科学』ナカニシヤ出版、2009年

(2)広告史・デザイン史について
 広告やデザインの歴史は戦前・戦中の研究が殆どです。近代日本の広告を「気散じ」という受け手の水準で述べた⑥、戦中の報道技術研究会の活動をまとめた⑦、戦時期のグラフ雑誌を分析した⑧、戦前の業界誌『廣告界』を中心に論じた⑨などがあり、明治から昭和までのデザインをめぐる通史として⑩があります。

北田暁大広告の誕生―近代メディア文化の歴史社会学 (岩波現代文庫)岩波書店、2000年
難波功士「撃ちてし止まむ」―太平洋戦争と広告の技術者たち (講談社選書メチエ)講談社選書メチエ、1998年
⑧井上祐子『戦時グラフ雑誌の宣伝戦―十五年戦争下の「日本」イメージ (越境する近代)青弓社、2009年
⑨竹内幸絵『近代広告の誕生 ポスターがニューメディアだった頃青土社、2011年
⑩長田謙一・樋田豊郎・森仁史(編)『近代日本デザイン史 (美学叢書 (03))美学出版、2006年

(3)個別の分析について
 「芸術としてのデザイン」や「アーティストとしてのデザイナー」という言い方は1960年代末に流通するようになったのですが、1970年代にはこうした作家主義的な広告史やデザイン史を問題にするような本が登場します。
 例えば、⑪ではデザイナーの意図に還元しないデザイン批評が書かれるようになり、⑫でデザイナーと広告産業の関係が歴史的に振り返られるようになり、⑬では社会的産物としてのデザインが書かれました。
 本書は、このように「作者」を当たり前のように語り、他方で「作者の死」を当たり前にする人びとが、そもそも「生かすにしろ、殺すにしろ、いかにして作者概念が広告やデザインにも必要だと考えるようになったのか」こそ書かれるべきではないかという関心を持っています。
 また「職業理念」の問題の仕方については⑭、近代日本における「個人」と「組織」の「対立的な関係」とその歴史的な経緯については⑮がとても参考になります。

⑪柏木博『近代日本の産業デザイン思想晶文社、1979年
⑫山本武利・津金澤聰廣日本の広告―人・時代・表現 (SEKAISHISO SEMINAR)日本経済新聞社、1986年
アドリアン=フォーティ『欲望のオブジェ鹿島出版会、1992年
⑭宮本直美『教養の歴史社会学―ドイツ市民社会と音楽岩波書店、2006年
佐藤俊樹近代・組織・資本主義―日本と西欧における近代の地平ミネルヴァ書房、1993年

▼書評や紹介

・「博論よりもTwitterが面白い」(とある合評会)
・「一刻も早い日本語訳が待たれる」(制度上の指導教員)
・「非モテの文章」(ネットで出会った会社員)
・「この分厚く、読みやすくはない一冊…」(ベテラン読書人)
・「まるで科研費の申請書のよう…」(若手社会学者)
・「『凡庸な芸術家の肖像 』を思い起こさせる、この物質感、圧倒的迫力…内容的にも物質的にも「殴打」したい中堅・若手研究者の顔が思い浮かびます」(とある学術系編集者)

・「エクリチュールの歴史的分析をこころみる地道な研究論文の書籍化。多くの引用文献によって〈広告制作者〉の社会史としても読める。日本における近代デザイン史の定式を再検討するための一冊」(『アイデア』第364号、誠文堂新光社、2014年)。http://www.idea-mag.com/jp/publication/364.php

・「ここで問われているのが「広告とはなにか」「デザインとはなにか」「広告制作者とはなにか」といった問題に答えを与え、確定することではない、ということだ。問いはもう一段入りくんでいて、「時代や状況ごとに人はなにをもって「広告とはなにか」と考えるようになったのか」という形をしている。つまり、「広告」や「デザイン」という言葉の使用と理解は、いかなる条件の下に成立してきたのかという、歴史社会学の試みなのである」(山本貴光「人はなにを「広告」だと思ってきたか」)。http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20140501

・「広告制作者は、近代が個人を組織に取り込み、人称性を消そうとする中で「どっちつかず」の特異な存在となっている。その姿が興味深い。長大で難解な部分もある論考だが、江戸から現在まで「広告」の社会的位置づけの変遷を総覧できるという意味でも貴重な一冊だ」(開沼博「個人と組織の二重性」『読売新聞』2014年5月11日)。https://sites.google.com/site/oxyfunk/public/20140511-yomiuri-kainuma.jpeg

・「「言葉の厚み」という表現が何度となく、説明の大切な局面で使われたのが印象的だ。著者が自らの方法だとする「事象内記述」は、この厚みの解剖学であり、内部の図解なのであろう…意匠条例を下支えにしつつ注目された「図案」が工芸から印刷文化の領域に移動すること、史的記述における「新井静一郎」と「今泉武治」の濃淡明暗の描き直しなど、面白くてためになる知識が縦横に詰められた一冊である。……制作物と制作者の隔たり……この「隔たり」それ自体が「商品」となる条件こそが分析のかなめになる……最終章の「近代組織における個人の在り方」などやや一般的な図式に傾いた印象が拭えず、改めて著者による「広告代行業」の成立と変容の、分厚い「事象内記述」が読みたいと思った」(佐藤健二「「言葉の厚み」の解剖学:「広告」という「商品」の奇妙さを分析する」『週刊読書人』2014年5月23日)。https://sites.google.com/site/oxyfunk/public/20140523-dokusyojinn-sato.jpg

・「作者や作品を中心として広告・デザインの本質を語る美術史でもなく、記号論や消費社会論を駆使して外在的に広告と社会の関係を語る社会史や社会批評でもない本書は、新たな広告史・デザイン史の領域を開拓したと言えよう……また日記、新聞・雑誌、業界誌、叢書、データベースなど、著者がどのような史料をどのような方法によって解読、記述したかの手の内が惜しげもなく披露されている(人文社会科学も科学たることのお手本でもある)……〈広告制作者〉をめぐる厚みある具体的な記述が、専門的知識、職業理念、個人と組織の関係を通した、近代日本という「社会」の記述になっているがゆえに、本書は、その他の領域との比較研究にも開かれた仕事としてある」(南後由和「新たな広告史・デザイン史の領域を開拓」『図書新聞』2014年6月7日、3161号)。https://sites.google.com/site/oxyfunk/public/20140607-toshoshinbun-nango.jpg

・「本書が、広告史研究の水準を一段高めた、エポックメイキングな成果であることは間違いない。……広告史を広告制作物の編年作品集や広告関係者の列伝とせず、広告の語られ方、さらにはその語りの文脈を丸ごと剔抉しようとする壮図には拍手を送りたいと思う。……そうした本書の意義をふまえた上で、読了後に覚えた違和感について、以下三点述べておきたい。まず一つ目は、「今泉武治」についてである。……評者の違和感を一言で表してしまえば、今泉は統計学で言うところの「外れ値」のような存在ではないか、という点である…」(難波功士「《書評》加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学:近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』」『メディア史研究』(第38号)メディア史研究会、2015年)。https://sites.google.com/site/oxyfunk/public/2015-mediahistory-namba.pdf

▼書評会のお知らせ

第53回文化社会学研究会
日時:2014年5月31日(土)15:00〜
会場:早稲田大学戸山キャンパス 31号館311教室
http://www.waseda.jp/jp/campus/toyama.html
①高野光平(茨城大学)『〈広告制作者〉の歴史社会学』の書評
②菊池哲彦(尚絅学院大学)「写真と歴史:「古きパリ」ブームにおける写真をめぐって」

▼訂正表

 今後更新します。
・p.165 「×太田英茂(一八七七〜一九九四) → ○太田英茂(一八九二〜一九八二)」
・p.363 「グラフィックデザイナーは人間疎外を語ることが可能になってくる」の文末に註番号「(82)」が入ります。
・p.367 図版⑪と図版⑬のキャプションが逆になります。
・p.450 「×関西外国語大学ほか → ○京都外国語大学ほか」

「社会」を語る文体とセゾンの広告

 永江朗『セゾン文化は何を夢みた』(朝日新聞出版、2010年)が刊行された時、「これでもう出尽くしたかな…」と思った。そしたら、『談』(第90号、たばこ総合研究センター、2011年)の「辻井喬と戦後日本の文化創造:セゾン文化は何を残したのか」特集が出て、さらには『BRUTUS Casa』(EXTRA ISSUE、マガジンハウス、2013年)の「渋谷PARCOは何を創ったのか!?」特集が続いたので、まぁなんというか、諸先輩方もなかなかしぶといな…と思ったものである(笑)。

 西武の広告と言えば、糸井重里による「おいしい生活。」や「ふしぎ、大好き。」といったコピーが語られ、パルコの広告と言えば、石岡瑛子と小池一子による「モデルだって顔だけじゃダメなんだ。」や「裸を見るな。裸になれ。」といったビジュアルがしばしば語られる。これらはある種のパターンになっていて、広告に言及するふりをしながら、結局は書き手の自分語りになることも多い。というか、書き手の昔を振り返るために当時の広告が社会の鏡として参照される程度である。

 私が知ってる限りでは、こういう「広告=社会の鏡」仮説は、1960年代後半以降にじわじわと定着したものである。高度経済成長を終えた日本はそこそこ豊かになり、企業として「いかに広告すればよいのか?」を考えるのとは別に、生活者の立場から「大衆文化としての広告」を語ることが可能になったのである。早い例で言えば、南博や福田定良であり、加藤秀俊、江藤文夫、石川弘義、山本明、藤竹暁、鶴見俊輔らによって積み重ねられた「大衆文化としての広告」語りは、天野祐吉島森路子が編集長を務めた『広告批評』(マドラ出版、1979年〜2009年)に結実していった。

 西武やパルコの広告は、こうした「広告=社会の鏡」仮説にうってつけの素材だった。というも、商品などを直接的に訴求することが多かったそれまでの広告に対して、西武やパルコは「よくわからないけど、面白い」としか言いようのない広告を展開し始め、人びとの話題になったからである。そして、このような変化を踏まえ、多くの広告分析は記号論図像学を参照し、意味の秩序を記述する方向へと向かった。広告を分析することで、消費社会の構造を取り出すような文体を採用したのである。

 『ユリイカ』(2014年2月号、青土社)の特集「堤清二辻井喬」に寄せた拙稿「「社会」を語る文体とセゾンの広告:「作者の死」と糸井重里の居場所」は、ここで述べたような「分析」が具体的にはどのような前提を持ち、またそれによって何が書かれ/書かれなかったのかを論じたものである。文学や絵画への記号論図像学を経由することで広告はいままでになく分析されるようになったのだが、それと同時に文学も絵画も広告も同じように「作者の死」が適用されてしまい、特に糸井重里堤清二との関係で実際には何を達成していたのかが見えにくくなってしまったよね?というお話である。

 結論だけ言っておくと、「糸井が何をやっていたのかと言えば、「面白さ」を強調することで消費者の自立を支援」したのである。また「その点において、糸井と堤は幸せな出逢いをしていたのである」。そこには「人びとを画一的に説得する広告から、多様な人びとの参加を支援する広告へ」の移行があり、「セゾンの広告で「社会」を語る文体は「作者の死」をあてにした分だけ、この移行をうまく捉えられなかったのかもしれない」のである。

 こうした指摘が最終的に何を意味するのかは、拙稿の最後をお読み頂きたい(笑)。なお、これを書くにあたって大量のセゾン論を読んだのだが、辻井喬上野千鶴子『ポスト消費社会のゆくえ』(文春新書、2008年)が一番参考になった。セゾンの広告に対する上野さんの「分析」を読むのが辛いのだが、辻井喬堤清二への「聞き手」として上野さんは他の誰にもできない仕事だったと思う。「時代の伴走者」(『〈私〉探しゲーム』筑摩書房、1987年)としての役割とは、そういうものなのかもしれない。

 なお、『東京人』(2014年3月号、都市出版)でも「堤清二辻井喬」の追悼小特集がなされている。永江朗さんは相変わらずなのだが、吉見俊哉さんは「セゾンからベネッセへ」という図式を描き、セゾン美術館と直島ベネッセ・アートサイトを比較し、「福武が「東京的」なものへの反発を繰り返し表明してきたのに対し、堤=セゾン文化は徹底して「東京的」であった」というお話を展開している。東京大学本郷キャンパスに福武ホールが出来るまでを見てきた者としては苦笑いしてしまうところもあるが、吉見さんらしい展開でもある。『セゾンからベネッセへ:消費社会のなかの文化政治学』(岩波新書)の刊行が待たれる(笑)。

ユリイカ』(2014年2月号)
堤清二辻井喬  西武百貨店からセゾングループへ…詩人経営者の戦後史 

【都市を仕立てる】
文化‐資本の〈場〉としての渋谷 / 吉見俊哉北田暁大
【ふたつの肖像】
1984 モスクワ / 小池一子
表に堤清二、裏には辻井喬。 / 浅葉克己
経営の詩人 / 日暮真三
カリスマそして知の巨人 / 林真理子
最後まで堤清二でいてほしかった / 水野誠一
捨て身の生涯の回顧 堤清二氏の他界を悼んで / 由井常彦
堤清二という志士 / 難波英夫
堤清二辻井喬・ところどころ / 八木忠栄
堤清二とオーラル・ヒストリー / 御厨貴
朝鮮高校での辻井喬 / 四方田犬彦
【尽き果てぬ詩語をもって】
ゆとり、ゆりもどし / 藤井貞和
叙事詩としての堤清二 辻井喬へのオマージュ / 建畠晢
緑色の、双頭の、蛇? 堤清二さんをおくる / 小林康夫
自伝詩へのアクセスポイント 辻井喬のポエジーを読む / 水無田気流
辻井様宛ての秘密文書 / 今唯ケンタロウ
【不易流行】
消費の超克 堤清二と増田通二の街づくりをめぐって / 三浦展 聞き手=南後由和
「社会」を語る文体とセゾンの広告 「作者の死」と糸井重里の居場所 / 加島卓
時代に衣裳をまとわせる 堤清二は日本モードに何をもたらしたのか / 成実弘至
ファッション・ブランドと堤清二 西武百貨店SEED館が示すもの / 田中里尚
空中庭園をあとにして / 小沼純一
【“文化事業”の相克】
百貨店という箱庭 西武百貨店とリブロの入れ子構造 / 中村文孝 聞き手=田口久美子
インフラについて / 松浦寿夫
〈身体〉を取り戻す / 宮沢章夫
セゾン文化財団とわたし / 岡田利規
【ひとつの帰着点】
「裏切り」の瘡蓋をはがす営み 「戦後知識人」としての辻井喬 / 成田龍一
堤清二における「伝統」と血のメーデー事件 / 千野帽子
経営者としての堤清二 幻想殺しのための三章 / 飯田一史
【歴史の岐路】
堤清二×辻井喬」クロニクル / 柿谷浩一
http://www.seidosha.co.jp/index.php?9784791702671

東京人 2014年 03月号 [雑誌]

東京人 2014年 03月号 [雑誌]

KoSAC「卒論修論フォーラム」

第6回KoSAC「卒論修論フォーラム」のお知らせ

 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)」では、大学の街でもある「国分寺」を拠点に「社会」「芸術」「文化」などをテーマにしながら、毎回ゲストをお呼びしてお話を伺う機会を設けております。

 その第6回として、「卒論修論フォーラム」を2014年3月15日(土)に開催します。これは卒業論文修士論文を書き終えた方がその内容を発表し、それに対して評者がコメントをする合評セッションです。研究の精度をより高めるというよりも、より多くの人に話題を共有してもらうことが目的なので、会場の参加者にも議論を開く形で行います。今回のプログラムは以下の通りになります。

13:00 はじめに:加島卓(武蔵野美術大学ほか)
13:10-14:40 「想像‐想起としての映画経験――映画館プログラムと『観ること』の再定義――」
報告者:近藤和都(東京大学大学院) コメント:上田学(日本学術振興会東京工芸大学ほか)
14:50-16:20 「展示のモダニズム1920年代のソシエテ・アノニム再考」
報告者:慶野結香(東京大学大学院) コメント:沢山遼(武蔵野美術大学ほか)
16:30-18:00 「美術館における参加型アートの意義―教育普及活動としての視点から―」
報告者:三田真由美(慶應義塾大学大学院修了/東京文化発信プロジェクト室) コメント:秋野有紀(獨協大学
18:10 おわりに:光岡寿郎(東京経済大学
19:00 懇親会(国分寺駅周辺)

 なお、KoSACでは大学院生や研究者に限らず、学生から社会人までどなたでもご参加頂けます。ご所属や年齢を気にせず、テーマにご関心がありましたら奮ってご参加下さい。また、今後KoSACで取り上げたい企画の提案も歓迎いたします。

■日時:2013年3月15日(土) 13:00〜18:30
■場所:東京経済大学国分寺キャンパス6号館7階中会議室1
    正門から入り直進。突き当たり正面左手に見える青いビルの7階です。
■報告者:近藤和都(東京大学大学院)、慶野結香(東京大学大学院)、三田真由美(慶應義塾大学大学院修了/東京文化発信プロジェクト室)
■評者:上田学(日本学術振興会東京工芸大学ほか)、沢山遼(武蔵野美術大学ほか)、秋野有紀(獨協大学
■司会:加島卓(武蔵野美術大学ほか)、光岡寿郎(東京経済大学

■参加方法
(1)お名前(2)ご所属(3)自己紹介(4)懇親会への参加/不参加を140字程度で joinkosac(at)gmail.com (atを@マークに変えて下さい。)までお送り下さい。当日参加も歓迎いたしますが、懇親会の開催を予定しておりますので、事前にお知らせ頂けると大変助かります。
■問い合わせ
joinkosac(at)gmail.com (atを@マークに変えて下さい。)
■URL
http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/
http://toshiromitsuoka.com/

KoSAC『アート×キャリア×ネットワーキング』

第5回KoSAC 「アート×キャリア×ネットワーキング」

「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、略称コサック)」では、国分寺を中心に、「芸術」「文化」「社会」をテーマとしながら、毎回ゲストを招いて一緒に議論をする会を開催しています。

第5回のKoSACは、アートに携わる仕事をテーマにします。12月に入り今年度も大学生の就職活動が解禁されましたが、「アートに関わりたい」、「アートを仕事にしたい」と考えるとき、つい私たちはアーティスト、アートライター、学芸員、研究者といったきわめて限定された職業を想像してしまってはいないでしょうか?

実際には私たちが経験するアート「業界」は、数多くの職能を持った人々によって支えられているのですが、彼/彼女らの仕事やそこから生まれる人的なネットワークは、これまで具体的に語られる機会はほとんどありませんでした。そこで今回は、それぞれご自身が仕事をされていく過程でこのようなネットワークを形成し、現在では日本のアートシーンで仕事を手がけることも多いSETENVの入江拓也さん、井上亮さん、そして編集者の齋藤歩さんの三名をゲストに迎えます。そのうえで、ゲストの皆さんからは具体的な仕事の流れやネットワーキングに関するコツなどを、具体的なエピソードを交えてご紹介頂き、議論をできればと考えています。

一組目のゲストのSETENVの皆さんは、元々芸術文化に関心のある学生が集まって、2000年にアート関係のイベント情報を提供するインターネット掲示板(BBS)を立ち上げることから始められた団体です。その後、芸術文化関係のウェブサイト、展覧会や音楽イベントなどの企画・制作、国際展シンポジウムの事務局運営等、アートに関わる幅広い仕事を手がけられています。一方で、学生時代には建築を専門とされていた齋藤氏は、書籍、雑誌、ウェブサイト、展覧会カタログ等の編集を手がける過程で数多くのアーティスト、美術批評家、研究者と付き合ってこられました。このような経験を通じて、現在ではアーカイブズ的な視点を取り入れたメディアを提案したり、具体的な業務から生まれた問題意識に対して学問的なアプローチを試みる、現役の大学院生/研究者でもあります。

これから仕事としてアートに携わりたい学生、フリーランスの方にとっても、日本のアートシーンを対象とした研究を進めたいと考えている方にとっても、日本でアートに関わる仕事とそこでのネットワーキングに関する貴重な話がうかがえると思いますので奮ってご参加下さい。

なお、登壇者の皆さんの代表的なお仕事は以下をご覧下さい。
【SETENV】
「ネットTAM」:http://www.nettam.jp/
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」:http://mimoca.org/
「Variations on a Silence−リサイクル工場の現代芸術」:http://variations.jp/index.html
「Filaments Orchestra」:http://www.setenv.net/event/filaments_orchestra/
地域を変えるソフトパワー アートプロジェクトがつなぐ人の知恵、まちの経験』(青幻社、2013)

【齋藤歩さん】
「『10+1』DATABASE」:http://db.10plus1.jp/
「Dialogue Tour 2010(artscape)」:http://artscape.jp/dialogue-tour2010/
AIR_J(アーティスト・イン・レジデンス・ジャパン)」:http://air-j.info/
『「3.11とアーティスト──進行形の記録」記録集』:http://arttowermito.or.jp/gallery/gallery02.html?id=331
*すべてメディア・デザイン研究所での担当業務

■日時:2014年1月29日(水) 19:00〜21:00
■場所:東京経済大学第3研究センター331研究集会室(今回は3階の部屋です)
 (http://www.tku.ac.jp/campus/institution/kokubunji/
 正門から直進して最初に右手に出てくる2号館の先で右折。2号館の裏にある建物の3階。正面は大学院の入口なので向かって左手の入口をご利用下さい。
■話題提供者:入江拓也、井上亮(SETENV)
齋藤歩(編集者/学習院大学大学院アーカイブズ学専攻博士後期課程)
■司会:加島卓(武蔵野美術大学ほか)、光岡寿郎(東京経済大学
■参加方法:(1)お名前、(2)ご所属、(3)自己紹介を140字程度でjoinkosac(at)gmail.com(atを@マークに変えて下さい)までお送り下さい。当日参加も歓迎いたします。
■問い合わせ
e-mail: joinkosac(at)gmail.com(atを@マークに変えて下さい)
■URL
http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/
http://toshiromitsuoka.com/