「武道館に行きたくないのか」?
「武道館に行きたくないのか」。2008年秋からのNHK連続テレビ小説「だんだん」では、芸能事務所のマネージャーが、このようにして島根・松江の少年少女を誘惑する。なんともいやらしい役なのだが、ふと「この殺し文句はまだ有効なのか?」と思う。バンドにとって日本武道館経由の社会的上昇は、未だに信じられているのかという話である。
スタジオで練習を重ね、ライブをいくつかこなすようになると、「誰とどこでやるのか」が選択可能になってくる。対バンではなくワンマンで、ライブハウスではなくホールでもというように。そうした拡張する選択肢の果てに日本武道館はあり、実際のところ、活動の一つの節目と意味づけるバンドは少なくない。爆風スランプであれ、ゆずであれ、ストリートから武道館への道程は「成功の物語」である。
しかしこれは、武道館が他のホールよりも特権的である限りのこと。ドーム型球場が各地にある現在、武道館の規模はどうしても相対的になり、バンドにとっても武道館でのワンマンよりも、全国ドームツアーのほうが「規模のでかい話」になる。したがって武道館が特権的であり続けるためには、「○○と同じステージで…」という歴史としての関係性に接続するしかない。
ところがこれは、武道館の必然性を導ききれない。歴史としての関係性を優先すれば、その接続先の選択が場所の固有性よりも優先されるからだ。○○に代入するバンドを高く見積もらなければ、別の場所であっても構わないのである。したがって武道館の特権性は、武道館を経たメガバンドがそれまでの道程を語り、それによってアマチュアバンドが牽引されるというコミュニケーションの文脈があってこそ、成立する話なのである。
よって、好みのバンドが武道館語りをしなければ、それまでのこと。勿論「それでも武道館は気持ちいい(はず)!」とか、「小さなハコではなく、大きなハコでやりたい」といった、場所を優先した語り口もあろう。しかしそれでも、どのような関係性に接続したいのかいうコミュニケーションの文脈なしに、「武道館に行きたくないのか」という誘惑は、殺し文句になり得ない。
その意味で「だんだん」における「武道館に行きたくないのか」は、お前達の知らない武道館は凄い所で、その凄いと言われる武道館で演奏したくないのかという、凄い凄い話でしかない。これは当事者における音楽の志向や関係性には殆ど内在しない、東京/地方という区別を利用した他者の支配である。テレビドラマの台詞に苛つくことなど滅多にないのだが、どうにもこれは例外であった。
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なんだかんだ言っておりますが、チャットモンチーの武道館ライブDVDは感動もので、これを見ながらの日常業務は無理です。三人の脱力した親密さに、不思議と引き込まれます。ベースのパフォーマンス、マジで格好いい。
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