1950年代/1960年代

 「Qちゃん」を観て、やっぱりテレビは楽しいなと思った。「東京国際マラソン」は、単なる番組名でしかなかったみたいで、視聴して随分と彼女については詳しくなった。「頑張れ30代!」というコメントはとても印象的で、「ニート」への呼びかけのようにも、「ベンチャービジネス」への呼びかけのようにも聞こえた。その意味で、小出監督から「独立」した「Qちゃん」の優勝は、いつでもプロジェクトXに使えそうな「生き方モデル」になっていたと思う。その結果、幾度となく挿入されていたドコモの気合いたっぷりのコマーシャルの印象は薄れてしまったとも思うが(これはこれで面白かった)。
 
 さて、現代社会の歴史は書きにくいとしばしば言われる。言説分析という方法の場合、なおさらである。ここ一ヶ月は、1960年代の広告制作者について厖大な量の資料を読んでは、「アァ…」「ウゥ…」という、どうにもこうにも記述がはかどらない状態だった。出来事そのものについては資料を読み込んでいくことで、メモもたまるし、それなりに記憶していくのだが、それらを記述用に組み替え可能にするが困難なのだ。
 
 経済が成長し、社会が複雑化すれば、世界の切り取り方は単純にはいかないのだろう。一人の人間を、一つの活動において切り出すことができるのは、1950年代までなのだろう。そんななかで、とにかくイライラしたのは、学生運動における「自己批判」の循環ゲーム。広告制作者の場合、「日本宣伝美術会」というのが一つの舞台となった。ここに何かしらの論理があるのではないかと思い、生真面目に資料を追いかけてみたのだが、とにかく読めば読むほど苛立つばかり。「この人たちは、なんなんだー!!!」と思ったのがすべて始まりで、ここからズルズルと1960年代的学生運動の言語空間に呑み込まれてしまったのである。
 
 しばらくの間、抜け出せずにどうなるかと思ったところで、北田暁大さんの『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHK出版、2005年)を思い出し、これに関しては「三〇年という時間的な関税障壁を利用して反復」すべきではないと決断。そうそう、ネタの事実確認ゲームは今回の課題ではないのだから。

 というわけで、1960年代は横尾忠則さんに絞り、その在り方を「日本宣伝美術会」「草月アートセンター」「大阪万博」ほかの「場」から浮上させていくことに。懸案だった思想的な準拠点は、当事者の内部に「デザイン評論家」が登場し、言語化を代行していったということにして、勝見勝と栗田勇を取り上げ、その位置づけはゆるーく設定。そんなこんなで、ようやく見通しが立ち、目次はすっきり。厖大なメモはようやく入れ換え可能な状態になって記述へ向かうことになる(こうなるまでほぼ一ヶ月!)。
 
 論文の構成をご存じでない方には「何のこっちゃ?」かもしれませんが、とにかく1960年代以降の世界を1950年代までと同じハサミで切り取ろうとすると大変なことになってしまうということです。


 Qちゃんの「頑張れ30代!」発言もあり、「対象年齢30〜35歳、昭和45〜50年生まれ、バブル未経験世代におくる音楽と読み物がセットになった“ほぼ毎月”発行CDマガジン」の「free soul」版を購入。確かに「バブル」を経験しているかどうかは、大きな違いかも。「大学を卒業する頃には景気がよくなっているよ」と信じ込まされた団塊ジュニア世代の僕は、所謂「渋谷系」でしたね…。「free soul」といえば、「DJ BAR INKSTICK」だったなぁ。

嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)

嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)

30 - 35 special issue 「We love free soul」

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